夜明け
朝日に誘われるように、冬竜王はゆっくりと瞼を開く。
最初に感じたのは温かさだった。身体を包む柔らかな熱。規則正しい鼓動。
あまりにも心地良くて、しばらく何も考えられなかった。
ぼんやりとした意識のまま、視界へ差し込む光に目を細める。眩しい。
思わず眉を寄せた。そして、沈んでいた意識が急速に浮上する。
冬竜王はゆっくりと瞳を見開いた。天井が見える。寝台が見える。差し込む陽光が見える。
言葉が出なかった。状況を理解するまで数秒かかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。
「……眠って、いたのか?」
茫然と、掠れた声が落ちる。
眠りに落ちた。自分が。朝日が昇るまでの、長い時間を。あり得ない。
今までどれだけの方法を試した。酒も薬も意味がなかった。術も意味がなかった。疲労で意識を失うことはあった。だが、それは眠りではない。ほんの一瞬、闇へ沈むだけ。
そんな日々を、何百年も繰り返していた。
なのに。
冬竜王は雪那の腕から抜け出すように、ゆっくりと身体を起こした。そこで違和感に気付く。
身体が軽い。あまりにも軽い。昨日の傷だけではない。何もかもが消えていた。
日々頭の奥を削り続ける頭痛も、胸を掻き毟りたくなるような苛立ちも、常に何かに追われているような焦燥感も。
それらが、綺麗さっぱり消えていた。冬竜王は静かに息を吐く。
視線が下へ落ちる。そこに雪那がいた。自分の身体の下敷きになるような格好で眠っている。
銀色の髪が寝台へ広がっていた。長い睫毛。穏やかな寝息。少しだけ開いた唇。何の警戒もない。何の不安もない。
信じられないほど無防備な寝顔だった。
冬竜王は暫くその寝顔を見下ろした。雪那がもぞりと身体を捩る。
「……ふ」
思わず笑った。自分でも驚くほど自然に。呆れたような、困ったような、けれど温かい笑みだった。
昨夜、自分に殺されかけたはずだ。首を絞められ、壁へ叩きつけられ、血を吐いたはずだ。それなのに、こんなにも安心しきって眠っている。
普通ではない。けれど、その異常さが、不思議と愛おしかった。
朝日に照らされた銀髪が溶けるように輝いている。
雪那の寝顔を見つめていた冬竜王は、ふと窓の外へ視線を向けた。
そして、完全に動きを止める。
「……何だ」
窓の向こうに広がっていたのは。透き通るような青空だった。雲一つない。どこまでも澄み渡る空。
冬の国では、雪が止むことはある。吹雪が弱まることもある。
だが、空が晴れることなどない。冬の国は年中、分厚い雲に覆われている。
それが当たり前だった。それなのに今、眩しいほどの青空が広がっている。
冬竜王は静かに窓を見つめた。
やがて、一つの答えへ辿り着く。
王石。土地と王を繋ぐもの。王石を通して、王は民の感情を受け取る。
喜びも、悲しみも、怒りも、絶望も、全て。
だが、逆もまた然りだった。土地もまた、王石を通して、王の心に影響される。
冬竜王は窓の向こうの青空を見る。そして自分の胸へ手を当てた。
心と、身体から、何百年も抱えていた重さが消えている。それと呼応するように、空もまた晴れ渡っていた。
「……そうか」
冬竜王は小さく呟く。認めるしかなかった。自分は、救われたのだと。この脆弱な人間に。
ゆっくりと視線を落とすと、そこには相変わらず、すやすやと眠る雪那がいる。
何も知らず、何も求めず。ただ傍にいただけの娘。
冬竜王はそっと銀色の髪を撫でた。その指先は驚くほど優しかった。
雪那が眠ったまま、何かを探すように寝台の上で手を動かす。そして、冬竜王の手に触れると、まるで逃がさないようとでも言うように、そのまま指を絡める。
起こすのも、勿体無いような穏やかな寝顔だった。冬竜王が誘われるようにその寝顔に顔を近づける。肩口から、はらりと漆黒の髪が滑り落ちる。
ぱち、と灰色の瞳が開き、冬竜王の動きが止まる。
「……冬竜王さま?おはよう、ございます」
まだ寝ぼけたようにぼんやりとした頭で、雪那は目の前にある彫刻のような整った顔に、ふにゃりと微笑む。
自分が昨日、何をしたのか、まるで理解していない顔。
「あぁ。おはよう、雪那」
ふふ、と笑った雪那が、指を絡めたままの手を引き寄せる。
「眠れましたか?」
「おかげさまでな」
雪那が嬉しそうに頬を緩める。その身一つで、冬竜王の世界を一変させた。冬竜王の夜を終わらせた。
窓の外では青空が広がっている。
冬の国に、何百年ぶりかも分からない朝日が降り注いでいた。




