名誉
武闘会は始まった。
開会の宣言が響いた直後、闘技場の空気が変わる。
それまで王の姿に熱狂していた観客達の視線が、一斉に闘技場へ注がれた。
最初に飛び出したのは、鋼のような鍛え抜かれた肉体の、大柄な獣人だった。対する相手は細身の妖魔だった。
開始の合図と同時に獣人が消えた。そう錯覚するほどの速度だった。
次の瞬間には細身の妖魔の目の前へ踏み込み、振り抜かれた拳が空気を爆ぜさせる。
妖魔が後方へ飛び退いた瞬間、足元に巨大な術式が展開された。眩い光と共に氷の槍が何十本も地面から突き出す。
だが、獣人は止まらない。氷の槍を拳で砕きながら突き進む。砕け散る氷片が雨のように降り注ぐ。
観客席から歓声が上がった。
次の試合では火柱が天高く噴き上がった。闘技場全体を包み込むような業火。熱風が観客席にまで届く。
炎の中心にいる妖魔が笑う。勝利を確信している顔だった。だが、次の瞬間には、炎の中から拳が飛び出した。
火柱そのものが吹き飛ぶ。燃え盛る炎を拳だけで打ち破りながら、一人の戦士が姿を現した。
雪那は試合会場を見下ろしながら、呆然と呟く。
「……何でもありなんですね」
「えぇ。武術のみで戦う者もいれば、魔術で戦う者もおります」
闘技場では戦いが続いている。拳、剣、槍、魔術、何を使ってもいい。ただ勝てばいい。己の力を証明すればいい。それが武闘会なのだと、突きつけられるよう。
雪那は少し考え込み、素朴な疑問を口にした。
「その……魔術が使える方が有利に思えてしまうんですけど……」
「そう思われますか?」
「はい」
雪那の疑問を解消するため、白狐は闘技場を指差す。
「ご覧ください」
白狐に言われた通り、雪那が下を見る。そこでは先程の戦士が、自らを囲む巨大な火柱へ突っ込んでいた。
普通なら焼け死ぬ。だが違った。
戦士が拳を振るう。ただそれだけで、空気が爆ぜる。炎が裂ける。巨大な火柱が真っ二つに吹き飛んだ。
白狐が楽しそうに強者同士の試合を見つめながら笑う。
「鍛え抜かれた力というのは、全てを凌駕するものですよ。身体一つであれ、魔術であれ、己が鍛え上げたものに変わりありません」
勝敗が決まったのか、観客席から歓声が響く。
その光景を目の当たりにして、雪那は唖然とした。価値観が、根本から違う。
強さとは、力とは。冬の国の者達が見ている世界は、自分の知るものとはまるで別物だった。
試合は続く。
一戦ごとに激しさが増していく。
腕が折れる。骨が砕ける。血が吹き出る。ある試合では戦士の片目が潰れた。別の試合では腕が千切れた。勝者ですら立つのがやっとだった。
雪那は堪らずに横にいる白狐を見つめる。
「その……彼らは、大丈夫なんでしょうか……?治療が必要なら私が……」
「雪那様、彼らにとって、強者との闘いで得た傷は名誉です」
「ですが、あれでは……」
「傷を誇り、敗北すら糧にする。それが冬の国の戦士達ですよ」
まるで勲章でも語るような口振りだった。雪那にはまだ、理解出来ない。けれど、彼らにとっては誇りなのだろう。
拳を突き上げ、勝利した妖魔が歓声に讃えられる。雪那は冬の国の価値観を目の当たりにして、眩しそうに目を細める。
「私も混ぜて頂いても?」
聞き覚えのある声がして、雪那が振り返る。あの時の、眼鏡を掛けた妖魔が立っていた。
「氷雅」
白狐が意外そうにその名を呼ぶ。氷雅と呼ばれた妖魔は肩を竦めた。
「私も観戦したくてね」
当然のように雪那の隣へ腰掛ける。そして眼鏡の奥から、揶揄うような視線を雪那に向ける。
「人間には刺激が強いのでは?」
口元が意地悪く歪む。白狐が即座に眉を寄せた。
「氷雅。人間ではありません。雪那様です」
氷雅の口元が意地悪く歪む。全く悪びれた様子もなく、視線を闘技場に移す。
「ですが敬意を持たない人間に様を付けるつもりはありませんよ」
「氷雅!」
白狐が目元を吊り上げる。けれど、雪那はそっと白狐を止めた。そして氷雅を見つめる。
試すような瞳が、値踏みするような視線を向ける。雪那は静かに首を振る。
「ですが、雪那様……!」
「いいんです。気にしていません」
雪那は本当にそう思っていた。この闘技場を見ていれば分かる。
この国が何を重んじているのか。何を尊ぶのか。力。ただそれだけだ。
得体の知れない人間を受け入れられないのも当然だった。氷雅は何も言わず、膝に頬杖をつきながら、面白そうに目尻を下げた。
「氷雅様も、この大会に出場されたことがあるんですか?」
「えぇ、まぁ」
氷雅は中指で眼鏡を押し上げた。さらりと答えるが、雪那は内心驚きが隠せない。試合を見ていれば、体の大きさや見た目が強さに関係ないのはいやと言うほどわかる。
けれど、この人も、白狐も。どう見ても武闘派には見えない。
「あなた、護衛の仕事はどうしたのです」
「私達の仕事はこの闘いの後が本番ですからね。今くらいはゆっくりさせていただきますよ」
その言葉に、白狐が小さく息を詰める。氷雅の声音はいつも通り軽い。けれど、その一瞬だけ、白狐の表情に曇った気がした。
雪那はその反応に首を傾げた。
その言葉の意味を、その時の雪那はまだ知らなかった。
そして、知ることになる。冬の国の誰もが口を閉ざす、王の夜を。




