変化を知らぬ者たち
高い天井を支える氷柱のような白銀の柱。冬の国の中枢たる執務室には、冬竜王直属の側近達が集められている。
机の向こうに座る冬竜王は相変わらず無表情だった。
報告を続けていた妖魔が最後の書類を閉じる。
「――以上が、陛下ご不在中の報告となります」
部屋に静寂が落ちた。冬竜王は書類から視線を上げることもなく、ただ静かに一度頷いた。
「そうか。俺が不在の間、よく国をまとめた」
とだけ答える。それだけで、充分な労いだった。側近達も慣れている。元より冬竜王は多くを語る王ではない。
その時、執務室の扉が開き白狐が入室してくる。恭しく頭を下げ、末端の席に座る。
「失礼いたします。遅れました」
「構わん。様子は?」
冬竜王の問いに、執務室の空気が僅かに揺れた。誰も声には出さない。だが確かに側近達は顔を見合わせた。
冬竜王が、自ら誰かの体調を気にする。それ自体が異常だった。それなのに、その対象は人間だ。
白狐は、少し心配そうに眉間に皺を寄せて報告する。
「移動の疲れが出たようです。顔色が優れませんでしたので、部屋で休んでいただいております」
「そうか」
冬竜王は頷く。それだけだった。それだけなのに。側近達の違和感はさらに大きくなる。
その違和感を決定付けるように、冬竜王は立ち上がった。
「今日はもう良い。下がれ」
それだけ告げると、冬竜王は執務室を後にした。白銀の扉が閉じ、足音が遠ざかる。
沈黙。そして。
「……今のは何だ?」
誰かが呟いた。冬竜王が退室したことで、堰を切ったように声が上がる。
「あんな人間に合わせて馬車で帰還なさるなど」
「夏の国へ連れて行かれた時は、狂化を抑えるための治癒術師として連れて行っただけだと思っていたのですが」
「まさか本当に様子を見に行かれたのか?」
「ただの気まぐれで拾った人間ではなかったのか?」
困惑。戸惑い。そして僅かな警戒。
彼らが知る冬竜王は、他者へ興味を示さない。ましてや人間なら尚更だった。だからこそ理解できない。
どうしてあの少女だけが特別なのか。
自然と視線が一人へ集まる。白狐だった。雪那の世話役。そして最も近くで二人を見ている存在。
「お前もだ、白狐」
側近の一人が眉を顰める。
「随分と入れ込んでいるようだな」
「世話役にでも落ちぶれたのか?」
「お前ほどの妖魔が、人間の後ろを付いて回るとは」
部屋の空気が張り詰める。側近達からの突き刺さるような視線にも、白狐は少しも揺らがなかった。むしろ穏やかに微笑んでみせた。
「落ちぶれた覚えはありません。ただ、守りたいと、そう思っているだけです」
側近達の目が見開かれる。変わったのは、冬竜王だけではない。白狐もまた、あの人間に入れ込んでいる。白狐はゆっくりと周囲を見渡した。
「それがたまたま人間だっただけのこと」
側近達の表情が険しくなる。雪那との交流を持たない彼らでは、理解できないのだろう。それも当然だった。
白狐は知っている。雪那の隣にいる時間が最も長いのは自分だ。だからこそ分かる。あの少女を城へ連れてきた主の変化も。自分自身の変化も。
ただ永遠に続く冬のように、そこに在り続けていた冬竜王が、まるで雪が溶けるように変化している。
長く仕えてきた者ほど、その変化を理解してしまう。だから受け入れられない。厄災と恐れられた王。同じ妖魔でさえ、その前では自然と跪いてしまう存在。
そんな彼らの崇拝する王が、たった一人の人間によって変えられている。
側近達が騒ぐのも当然だった。
白狐は窓の外へ視線を向ける。雪が降り続いていた。どこまでも静かに。
「主様は変わられています。それを受け入れられないのは、あなた方が雪那様を知らないからです」
誰に向けた言葉でもない。ただ事実を告げるように。白狐は窓の外へ視線を向けた。
雪は静かに降り続く。永遠に降り続くと思われた冬が、今変化を迎えようとしていた。
冬の国に帰還してから数日が経った。
城の中は以前と変わらない。窓の外では雪が降り続き、白銀の世界がどこまでも広がっている。高い天井を支える氷柱のような柱も、磨き上げられた床も、静かに燃える青白い魔灯も、何一つ変わらない。
変わったのは、雪那だけだった。夏の国で過ごした日々は、思っていた以上に雪那の中へ深く残っていた。
市場の喧騒。水煌の街並み。蓮華と並んで食べた食事。炎竜王の豪快な笑い声。
そして、いつも視界のどこかにいた冬竜王。
不在中の政務が山積みらしく、帰還した日以来、冬竜王の姿を見ることはほとんどなかった。
白狐からたまに様子を伝えてもらうことはあるが、忙しいと分かっている以上、自分から会いに行くこともなかった。
ただ、廊下を歩いていても。窓際で雪を眺めていても。無意識にその姿を探してしまう自分に気付く。
見つけたところで何を話す訳でもない。ただ姿を見れば安心する。それだけなのに。
「……一目、会えたらなんて」
ぽつりと呟く。羽雲が首を傾げて雪那を見上げる。雪那は苦笑してふわふわと手触りの良い毛並みを撫でる。
「何でもありません」
羽雲は納得していない様子だったが、それ以上は追及してこなかった。
窓の外では雪が降っている。白く煙る景色を眺めながら、雪那はゆっくりと城の回廊を歩いた。
「おや」
声がした。柔らかい声だった。けれどそこには好意は欠片もない。
振り返ると、一人の妖魔が立っていた。




