帰る場所
雪那の話が終わる頃には、部屋の空気は重く沈んでいた。
語ったのは、ほんの一部。
家族を人質に取られたこと。
治癒術を発現させるため、何度も身体を壊されたこと。
王石を埋め込まれ、痛みを無くした代償に、無理やり術式を増幅されていたこと。
春の国が、その力で利益を得ていたこと。
炎竜王はいつの間にか眉間を押さえていた。蓮華は唇を震わせながら、雪那の話を聞いている。
「昨日、子供に憑依していたのは、春の国の術師です。あの人は……私を、連れ戻しに……」
そこで言葉が詰まる。胸の奥が軋むように痛んだ。それでも雪那は最後まで言い切った。
「昨日は、全部、私のせいです……王妃様を危険な目に遭わせてしまって……申し訳、ありませんでした……」
膝に頭がつきそうなほど深く、雪那は頭を下げた。静寂が落ちた。その沈黙が痛くて、雪那は顔を上げられない。
やがて、炎竜王が低く息を吐いた。
「……同じ、人間に対する所業とは思えんな。ここまで残虐に、一人へ犠牲を押し付けるとは」
怒りとも嫌悪ともつかない感情が滲んでいた。その顔は、かつて自分の話を聞いた冬竜王と、どこか似て見えた。
その隣に座っていた蓮華が勢いよく立ち上がり、ガタ、と椅子が揺れる音が響く。
「雪那様は何も悪くないではありませんか!!」
雪那がはっと顔を上げる。蓮華はそのまま雪那を抱き締めた。
「謝らないでください!!」
声が震えている。けれどそれ以上に、怒っていた。触れる腕から、怒りが伝わるほどに。
「聞けば聞くほど腹が立ちます!!おかしいのは春の国でしょう!?全ての元凶は向こうではありませんか!!」
蓮華は雪那を抱き締めたまま、炎竜王を振り返り瞳を吊り上げる。
「陛下、春の国の人間の立ち入り、今後一切禁止にいたしましょう。胸糞悪い!!」
「おい蓮華」
「だって本当でしょう!?」
炎竜王に宥められても、蓮華の怒りは収まらない。蓮華は雪那を抱き締める腕に、そっと力を込めた。
「……雪那様」
先程までとは違う声だった。優しくて、温かい、雪那を丸ごと包み込んでくれる声。
「雪那様は何も悪くありません。だから、もう謝らないでください」
蓮華は泣きそうな顔で微笑んだ。
「そんなことを言われると、わたくしまで悲しくなります」
胸が熱い。じわり、と涙が滲みそうになる。
怒れない自分の代わりに、理不尽だと叫んでくれている。そして今、こんなにも優しく抱き締めてくれている。
そのことが、どうしようもなく嬉しかった。
「雪那。蓮華の言う通りだ。昨日のことで、自分を責める必要はない。お前は何も悪くない」
雪那の喉が詰まる。優しくしてくれた二人に、何か答えたいのに、声が出ない。雪那はそれでも、小さく頷いた。
炎竜王は呆れたように額を覆う。
「それにしても……王石を人間に埋め込むとは……身体に異常はないんだな?いや、これほど治癒術式を酷使して、何もないわけもないか……」
純粋な心配の声音。それに応えるように、冬竜王が低く吐き捨てる。
「人間の醜悪さを煮詰めたような国だ。奇跡の代償を一人の女に押し付け、自分達だけがその恩恵を享受していた。それが春の国の実態だ」
春の国に対する侮蔑を隠そうともしない声音だった。
蓮華が一度身体を離し、そっと雪那の手を握る。
「雪那様は、わたくし達が必ずお守りしますからね」
その言葉に、雪那が僅かに目を丸くする。だが冬竜王は、蓮華の言葉が続く前に、静かに口を開いた。
「……だからこそだ。春の国が雪那を狙っている以上、ここは安全ではない」
その言葉に、蓮華も表情を曇らせた。昨日の出来事が脳裏を過る。人で溢れる街。あの中に紛れ込まれれば、防ぎようがない。
「俺達はそろそろ帰る。お前たちを巻き込むのは、雪那も本意ではない」
雪那は冬竜王の言葉に、同意するように頷いた。これ以上、自分の事情で二人を危険に巻き込みたくはなかった。
「狂化は解決した。雪那の身体が落ち着くまで残っていたが……春の国に居場所が割れている。これ以上狙われる前に、冬の国へ戻る」
蓮華は悲しそうに長い睫毛を伏せた。引き止めたい。守ってやりたい。炎竜王を助けてくれたこの少女を、安心できる場所へ置いてやりたい。
けれど、その場所が冬の国なのだと、今の蓮華には分かっていた。だからこそ、引き止める代わりに。
「……また、お会いできますわよね?」
その言葉に、雪那は少しだけ目を見開いた。蓮華は何度も、未来の約束してくれる。雪那の話を聞いた後でさえ。
雪那は胸の奥がじんわり熱くなるのを感じながら、小さく頷いた。
「……はい」
その返事に、蓮華はようやく安心したように笑った。炎竜王も肩を竦める。
「次はもっと穏やかな時に来い。今度は街案内くらい最後までさせてやる」
「甘味処もまだ途中でしたものね!」
蓮華がぱっと表情を明るくする。その少女のような笑顔に、雪那は思わず小さく笑った。
本当に短い時間だった。けれど夏の国で過ごした日々は、雪那にとって初めて知るものばかりだった。
誰かと食事をして、知らない食べ物を口にして、街を歩いて、笑って。守りたいと怒ってもらって。
それは、雪那が知らなかった普通だった。
「……ありがとうございました」
ぽつり、と零れた声は少し震えていた。蓮華はまた泣きそうな顔をして、雪那を抱き締める。
その後ろで、冬竜王が静かに口を開いた。
「行くぞ、雪那」
「……はい」
別れの時間だった。暖かな国だった。陽射しも、人も。
春の国で凍えた雪那の心に、初めての優しさをくれた場所だった。
城の外では、白銀の馬が繋がれた大きな馬車が待っていた。白銀の装飾が陽光を反射し、氷細工のように静かに輝いている。
「冬竜王様も、馬車で?」
「抱えて帰った方が早いんだがな。またずぶ濡れになるのも嫌だろう」
「……はい」
冬竜王に手を取られ、雪那はゆっくり馬車へ乗り込む。後ろから白狐と羽雲も続く。
扉が閉まり、馬車は静かに浮かび上がった。窓の外で、夏の国の城が遠ざかっていく。
透き通る青空。立ち昇る白い雲。煌めく水路。賑やかな街並み。全部が少しずつ小さくなっていく。
その全てを忘れないようにと、窓から外を眺めていた雪那に、冬竜王は静かに視線を向ける。
「……未練があるか?」
雪那は少しだけ考えた。それから首を横に振る。
「いいえ。……でも、好きになりました」
夏の国を。蓮華を。炎竜王を。あの暖かな日々を。
「そうか」
馬車の外では、白銀の馬達が雲海を駆けていく。やがて景色は少しずつ変わり始めた。
暖かな色彩は薄れ、空気が冷えていく。
白く分厚い雪雲。凍った風。遠くには、全てを覆い尽くす銀世界が見え始めていた。
冬の国。
そこはもう、閉じ込められる場所ではない。利用される場所でもない。怯えながら生きる場所でもない。
生まれて初めて手に入れた、帰る場所だった。
雪那はそっと目を閉じる。隣には冬竜王がいる。それだけで、不思議なくらい安心できた。もう、独りではない。
馬車は静かに銀世界へ向かう。




