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死ねない私は、竜王様に囚われる  作者: ゆきだるま


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夏の光、春の影

食事を終えたあとも、蓮華は楽しそうに街を歩いていた。


「見てください、雪那様。あちらのお店、とても綺麗でしょう?」


鮮やかな布が風に揺れている。硝子細工の飾りが陽光を反射して、きらきらと眩しく光っていた。


市場の喧騒は相変わらず賑やかだった。香辛料の香り。焼いた肉の匂い。呼び込みの声。水路を流れる水音。


春の国とは、何もかも違う。雪那は蓮華の隣を歩きながら、ぼんやりとそんなことを思った。


誰も雪那を見ない。怯えない。術師として扱わない。ただの一人の人間として、この街の中に溶け込めている。それがまだ、不思議だった。


「雪那様?」


「あ……すみません」


「ふふ。ぼうっとしていらっしゃいましたね」


蓮華がくすりと笑う。柔らかな声だった。優しくて、穏やかで、隣にいるだけで安心するような人。


こんな風に、誰かと街を歩く日が来るなんて、昔の雪那なら想像もできなかった。


その時だった。


どんっ、と小さな衝撃が蓮華へぶつかる。


「あっ――」


振り返ると、小さな男の子が尻餅をついていた。慌てたように顔を上げる子供に、蓮華はすぐ微笑む。


「ご、ごめんなさい……!」


「大丈夫ですよ」


しゃがみ込み、そっと子供へ手を差し伸べる。


「怪我はありませんか?」


「うん……ありがとう、お姉ちゃん」


子供が、蓮華の手を取って立ち上がる。礼を言ったまま、ジッと蓮華を見つめていた。


笑っているはずなのに、その目だけが、まるで動いていない。


ぞわり、と。雪那の背筋を、氷のような悪寒が駆け抜けた。子供の目が、泥を流し込まれたかのように不自然に濁っている。


これは――。


「蓮華様!!」


声を掛けるより早く、太陽の光を受けて輝いていた蓮華の瞳から、光が消えた。


「あ……」


虚ろな目のまま、ぴたりと動きを止める。雪那の心臓が跳ねた。距離を空けて着いてきていた護衛を振り返る。


「っ、護衛――」


「雪那。動くな」


護衛を呼ぼうと、声を上げようとしたその耳元で、ひしゃがれた老人の声が響いた。


全身が凍り付く。この声を、知っている。骨の内側を、冷たい泥で撫で回されるような感覚が、背筋を這う。


何度も。何度も。何度も何度も。雪那を壊れるまで痛めつけた、春の国の術師の声だった。


息が止まる。喧騒が遠ざかる。周囲の音が、急に膜を隔てたように聞こえなくなった。


「王妃はただ意識を飛ばしているだけだ。お前が大人しく従えば、何もしない」


雪那は震える視線を子供へ戻した。子供の顔をしている。けれど、その目だけが老獪に嗤っていた。


「我々の望みは一つ。戻ってくるんだ」


胸が、押し潰される。喉が引き攣る。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。帰りたくない。


あそこへだけは。


雪那の震える視線が、虚ろなまま立ち尽くす蓮華へ向く。この優しい人を、巻き込みたくない。


彼らが手段を選ばないことを、雪那は誰より知っている。


「どうした?」


子供が嗤う。


「いいのか?せっかく外で出来た友達が、お前のせいで死ぬぞ?」


「っ……ぁ……」


呼吸が乱れる。息を吸っている。吸っているはずなのに、肺が空っぽのままだ


暑い。暑いはずなのに、指先が冷たい。手のひらが震える。


人々は行き交っているのに、そこだけ世界から切り離されたみたいだった。


雪那は力なく俯く。


「わ、かり……ました……だから、蓮華様は……」


子供が満足そうに口角を吊り上げた。


「最初からそうしていればいい。さぁ、帰るぞ」


すっと、小さな手が伸びて、雪那を地獄へ呼び戻すように目の前に差し出される。雪那は、帰りたくないと拒む身体に、無理やり力を入れて、震える腕を持ち上げた。


からり、と銀細工の腕輪が揺れた。紅色の石が、陽光を弾く。


『俺を呼べ』


低く、静かな声が脳裏に蘇る。


助けて。助けて。助けて。


来て、くれるだろうか。


――それでも、私の最後は、あの人の紅がいい。


雪那の手が、途中で止まる。子供の目が鋭く細まった。


「早くしろ!その女を廃人にしたいのか!」


怒声が響いた瞬間。雪那は腕輪の石を掴んだ。


「ッ、冬竜様ぁ!!」


次の瞬間。


轟音。目の前の子供の身体が、凄まじい勢いで吹き飛んだ。


周囲の悲鳴すら、一瞬遅れて聞こえた。凍てつく冷気が、熱を持った石畳を這う。同時に、蓮華の身体が崩れ落ちた。


「蓮華!」


夜空のような藍色が視界を裂く。どこからか現れた炎竜王が、蓮華の身体を抱き留めていた。


そして。


雪那の前へ、黒い影が降り立つ。大きな背中。見慣れた黒髪。空気そのものを凍てつかせるような殺気。


「――俺のものに、手を出したな」


低く響いた声だけで、周囲の空気が張り詰める。人々がざわめき、護衛達が慌てて駆け込んでくる。


「雪那、覚えていろ!!お前を決して逃がさない!」


吹き飛ばされた子供は、口から血を流しながら、最後に叫び、その直後、糸が切れたように意識を失った。


「ちっ、逃げ足の速い。子供は憑依されていただけだ。放っておけ」


冬竜王が忌々しげに舌打ちし、振り返る。その顔を見た途端、涙が溢れた。


本当に、来てくれた。


安堵で膝から崩れ落ちそうになる。けれど、雪那ははっと蓮華を振り返った。


「蓮華様!」


「問題ない」


炎竜王が小さく手を上げる。その言葉と同時に。


「……ん……」


蓮華が小さく呻き、ゆっくり目を開けて、パチパチと長い睫毛を瞬かせる。


「わたくし……?子供を助けて……あら?なぜ陛下が……?」


炎竜王は何も言わず、その身体を強く抱き締めた。最愛の存在を失わずに済んだことを、心から安堵するように。


「無事か?」


「えぇ……?何があったのです?」


困惑する蓮華を見て、雪那の胸が痛む。


私のせいだ。私がいるから。折角優しくしてくれた人まで巻き込んでしまった。


「雪那」


名前を呼ばれる。青白い顔で振り返った雪那を見て、冬竜王が眉間に皺を寄せた。


楽しそうに出掛けていったのに。初めて、自分の意思で外へ出たのに。


今の雪那は、春の国から連れ出した時と同じ顔をしている。


「冬、竜王様……申し訳、ございません、わた、……ッ私のせいで、」


震える声を遮るように、冬竜王が雪那の腕を掴んだ。


「お前のせいではない」


雪那の瞳が揺れる。冬竜王はそのまま、静かに続けた。


「……よく呼んだ」


その言葉だけで、張り詰めていたものが崩れそうになる。


「おい、炎の。王妃は」


「あぁ。問題ない」


炎竜王が、まだ状況を飲み込めていない蓮華を抱き上げて立ち上がる。


「大した術師ではなかったな。お前に吹き飛ばされて術が解けたようだ」


そして今にも倒れそうな雪那を見て、優しい声で続けた。


「雪那も、大丈夫だ。よく呼んでくれた」


その言葉に、雪那はただ、首を振ることしか出来ない。冬竜王は雪那の腰に手を回し、抱き上げた。


「帰るぞ」


低い声が落ちる。雪那はその冷たい胸元へ縋るように額を押し付けた。


恐怖が、抜けない。怖くて怖くて、堪らない。自分だけならいい。けれど、今回は、蓮華まで巻き込んでしまった。雪那は震える指を、自分でも止められなかった。


騒然とする街を後にして、二人の王は、それぞれ大切な存在を抱えたまま、城へ戻っていった。



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