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死ねない私は、竜王様に囚われる  作者: ゆきだるま


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22/57

準備

朝――。


夏の国の朝は早い。鳥の声と、遠くから聞こえる街のざわめき。夜の静けさとは違う、生きた国の音がゆっくり部屋へ流れ込んでくる。


雪那は浅い眠りの中で、誰かの話し声を聞いた。低く落ち着いた声と、もう一つ、穏やかに響く声。


意識がゆっくり浮かび上がる。


……誰か、いる。


ぼんやりと目を開けると、最初に視界へ映ったのは黒だった。艶のある黒衣。


「……あれ……」


寝ぼけた頭では理解が追いつかない。


頬に触れているのは寝台の柔らかさではなく、程よい硬さとひんやりした温度。心地よくて、雪那は無意識に少し擦り寄った。


「……起きたか」


真上から低い声が落ちてきた。雪那の思考が止まる。ゆっくり顔を上げると、すぐ近くに冬竜王の顔があった。


深紅の瞳が静かにこちらを見下ろしている。


「…………え」


視線を落とし、雪那はそこでやっと自分の状態を把握した。一気に意識が覚醒して、慌てて身体を起こす。


「……っ!!?も、申し訳ありません……! わ、私……!」


「別に構わん」


さらりと返されて、余計に混乱する。その時、くつりと控えめな笑い声がした。


「仲睦まじいのは良いことだ」


視線を向けると、部屋の奥に炎竜王がいた。


窓辺へ寄り掛かるように立ちながら、どこか面白そうにこちらを見ている。


雪那はそこでようやく、先程聞こえていた声の相手が炎竜王だったのだと気付いた。そして同時に理解する。膝の上で眠っていたところを見られていた。


「……ぁ」


かっと顔に熱が集まる。炎竜王はそんな雪那を見て、喉の奥で小さく笑った。


「安心しろ。王妃には言わないでおこう」


「っ……!」


「まぁ、すでに気付かれてる気もするがな」


「炎の」


冬竜王の低い声が、諌めるように落ちる。炎竜王は肩を竦めると、それ以上はからかわなかった。


「今日は少し頼み事があって来た」


「頼み事だと。これ以上何を頼むつもりだ」


「王妃が、雪那を街へ連れて行きたいと言っていてな。ほら、この間話していただろう」


「……街だと?」


冬竜王の眉間に深い皺が寄った。声音に露骨な不快感が混じる。炎竜王は慣れた様子で続けた。


「菓子を見たり、布を見たり、街に降りて、女同士で出掛けたいらしい」


「却下だ」


即答だった。会話を見守っていた雪那が、その返答にびくりと肩を揺らす。炎竜王は苦笑した。


「だから私が来た。お前が簡単に頷かんことくらい分かっている」


「夏の国は人も妖魔も、それ以外も多い。何が起きるか分からん」


その声音には警戒が滲んでいた。炎竜王も否定はしない。むしろ、その懸念を理解しているからこそ、懐から小さな腕輪を取り出した。


銀細工の腕輪。嵌め込まれた紅色の石が、朝の光を受けて静かに煌めく。


「王妃にも、同じ物を持たせている」


そう言って、自分の左手を軽く持ち上げる。同じ銀細工に、藍色の石を嵌めた腕輪が、そこにあった。雪那は小さく目を見開く。


「探知用の魔具だ。石へ魔力を込めれば位置も気配も辿れる。もちろん護衛も付けよう」


炎竜王は脳裏に愛する王妃を思い出して、穏やかに笑った。


「本音を言えば、俺もあまり外へ出したくはないがな」


ただ一人の王妃を脳裏に思い浮かべて、炎竜王は笑みを溢す。炎竜王にとって唯一の弱点。本当は王宮に閉じ込めて、自分以外の目に触れないで欲しい。けれど、それをしないのは。


「……あいつが自由に笑っている顔が好きなんだ」


炎竜王はどこか諦めたように笑う。青空の下で、太陽のように輝く笑顔で過ごしている王妃を、炎竜王は誰よりも愛している。


「閉じ込めて曇らせるより、自由を与えたい」


静かな言葉だった。冬竜王は不機嫌そうに眉を寄せたまま聞いていた。


銀の台座に嵌められた石は、冬竜王の瞳と同じ深紅だった。雪那はその腕輪を見つめる。


――街。


行ってみたい。夏の国の人々が暮らす場所を。王妃が見せたいと言ってくれた景色を。


胸の奥が、少しだけ熱を持つ。雪那はそっと口を開いた。


「あの……」


二人の視線が向く。雪那は躊躇いながらも、その視線を受け止め、小さく言った。


「私……行ってみたい、です」


静寂が落ちる。冬竜王が、僅かに目を見開いた。雪那が、自分から望みを口にした。


それはきっと、冬竜王にとって予想外だった。長い沈黙のあと、冬竜王はゆっくり息を吐き、腕輪を持ち上げる。


指先が深紅の石へ触れた瞬間、淡い紅い光が石の奥へ沈んだ。


「……絶対に外すな」


「はい」


押し殺すような低い声だった。冬竜王は雪那の細い手首を取る。冷えた銀が肌へ触れる。


かちり、と小さな音を立てて腕輪が嵌められた。その手は大きくて、少し不器用で、けれど壊れ物を扱うみたいに、慎重だった。


雪那はそっと腕輪を見つめる。深紅の石が、陽の光を受けて静かに揺れていた。




朝の支度を終えたあと、雪那は王妃の私室へ呼ばれていた。


王宮の一番奥、厳重に警護されたその一室は、開け放たれた窓からは花の香りを含んだ風が吹き込み、薄布の帳がゆるやかに揺れている。室内には淡い香油と花茶の香りが漂い、卓の上には色とりどりの装飾品や衣が広げられていた。


「さて、今日は街へ行くのですから。少しだけ、いつもと違う雪那様になってみましょうか」


「わ、私が……ですか?」


「えぇ」


王妃は当然のように頷く。その仕草には無理強いするような圧はなく、ただ“似合うものを着せてみたい”という純粋な好意が滲んでいた。


後ろに控えていた侍女達が静かに衣を広げる。王妃が手に取ったのは薄紅色の薄布を幾重にも重ねた夏衣だった。


淡く柔らかな紅。雪那はそれを見て、何故だか冬竜王の瞳を思い出す。


「これが似合うと思っていたの」


「綺麗ですね……でも、私には……」


王妃は衣を雪那へ当てながら、満足そうに目を細めた。思わず零れた雪那の呟きに、王妃がふっと笑う。


「似合いますよ」


雪那は途端に居心地悪そうに視線を逸らした。鏡の前へ座らされ、銀髪へ丁寧に櫛が通されていく。


さらさらと髪が流れる音がした。侍女ではなく、王妃自ら雪那の髪を結い上げていく。


「本当に綺麗な髪ですね。月光を糸にしたみたい」


雪那は小さく肩を縮めた。褒められることに慣れていない反応だった。王妃はそれ以上言わず、ただ優しく髪を整えていく。


薄く化粧も施し、用意されていた衣に袖を通し、耳元へ、小さな飾りが添えられる。透明な硝子細工に、淡い紅の石。動くたびに小さく光が揺れた。


「いかがですか?」


恐る恐る鏡を見た雪那は、息を呑む。薄紅色の衣に包まれた自分は、いつもの簡素な姿よりずっと柔らかく見える。


「……私じゃないみたいです」


ぽつりと呟けば、王妃は穏やかに笑った。


「いいえ。ちゃんと雪那様ですよ。ただ、貴女は今まで自分を飾る余裕がなかっただけ」


雪那は鏡越しに王妃を見る。王妃は今日、深い藍色の衣を纏っていた。夜空を映したような色だった。


白い手首には、雪那と同じ銀の腕輪。そこへ嵌め込まれた藍玉が静かに光っている。炎竜王の瞳と同じ色。


雪那が視線を向けたことに気付いた王妃は、小さく笑い、その腕輪にそっと触れる。まるで、宝物に触れるような手つきだった。


「ふふ、過保護な王達ですよね」


その言葉には苦笑が混じっていた。けれど、不満はない。むしろ愛しさを含んだ声音だった。


「本当は、外になど出て欲しくないと思っているのは、分かっているんです」


「炎竜王様が……?」


「えぇ」


王妃は窓の外へ目を向ける。太陽を浴びて煌めく街を見て、王妃は眩しそうに目を細める。


「危険がないとは言えませんから」


夏の国は人も妖魔も多く、豊かで賑やかな国だ。けれど、人が多ければ、その分危険も増える。王族の伴侶は、それだけで弱点になる。


「ですが、閉じ込めてしまうより、自由に笑っていてほしいと思ってくださる方なのも、理解しております」


静かな惚気だった。けれど嫌味はなく、長い時間をかけて育てられた信頼が見える。


雪那は自分の手首へ視線を落とした。そこにも、銀の腕輪。深紅の石。無意識にそっと触れると、微かに冷たかった。


王妃が最後の支度を整え、雪那を立ち上がらせ、手を引く。


「さて、そろそろ参りましょうか」


「はい。よろしくお願いします」


王妃が一歩近づき、最後に雪那の前髪へそっと触れる。整えるように指先で流して、それから満足そうに微笑んだ。


「とても可愛らしいですわ。雪那様」


その言葉に、雪那の頬がほんのり赤く染まった。


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