約束された終焉
冬竜王はしばらく何も言わなかった。やがて低く押し殺したような声で呟く。
「……人間の醜悪さは、底が知れんな」
その声には、静かな怒りが滲んでいた。冷え切った、深く沈み込むような怒り。冬竜王の視線が、雪那の胸元へ向く。
「その石は、正規の王石ではないな」
冬竜王は、自分の服を肌蹴けさせ、その深紅の瞳と同じ王石を曝け出す。
「小さすぎる。王石の大半は、結界維持に使っていたのだろう。お前に埋め込まれたのは、その残りか」
雪那は自分の身体を抱き締めた。忘れようとしていた痛みが蘇る。思い出してはいけないと、ずっと奥に押し込めていたもの。
「だから春の国の奴らは、お前を躍起になって連れ戻そうとしているのか」
「……どういう、ことですか」
「お前の中の王石を取り戻し、今度こそ完全な王石で結界を張り直すつもりなのだろう」
雪那の顔から血の気が引く。薄暗い部屋でも分かるほど、青白く染まる。
「どこまでも勝手で、醜い生き物だ」
「石を、取り出すなんて……可能なんですか?」
吐き捨てるように冬竜王が言う。冬竜王の手が、力が抜けた雪那の手首を掴んだ。
「お前のその王石は、既に命と繋がっている。無理やり外せば、お前は死ぬ」
春の国が、雪那を連れ戻すのは、結局そういうことだった。春の国にとって、奇跡の力を取り入れた雪那は人間ではなく、ただ、使い捨てるための道具でしかない。
雪那の長い睫毛が震え、色素の薄い瞳が見開かれる。その瞳から、一切の感情が抜け落ちる。唇が、ゆっくり開いた。
「……この石が、なくなったら」
声が掠れる。
「私は……死ねるんですか」
冬竜王は言葉を失った。
雪那はもう限界だった。家族も守れず、ただ使われ続けてきた人生。尽くしてきた国に捨てられ、最後まで都合よく使い捨てられようとしている。何のために生きているのか分からない。生きようと思えるほど、雪那はこの世界を愛せなかった。
雪那の瞳から涙が溢れた。それは、冬竜王が初めて見る雪那の涙だった。
「私は、もう……っ」
華奢な肩が震える。ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「……もう、っ……生きて、いたくない」
嗚咽が漏れる。壊れたような声だった。身体の力が抜けて、雪那はそのまま小さく丸くなるように崩れた。
その瞬間、ぺしゃん、と。雪那の心が潰れる音を、冬竜王は確かに聞いた気がした。
「……雪那」
初めて、その名を呼ぶ。口にしてみれば、妙に口に馴染むその名前を。雪那が涙に濡れ、絶望に染められた瞳を向ける。
「生きろ」
慰めではない。優しさだけの言葉でもない。冬竜王は細い手首を離し、その場に膝をつく。ただ壊れたように涙を流す雪那の顔が、くしゃくしゃに歪む。
「もう、っ嫌です……私は、生きていたくない……!」
子どものように首を振る雪那の頬を両手で挟み込む。灰色の瞳が、絶望に揺れる。
「冬の国の王として誓おう。もう誰にも、お前を勝手に使わせない」
「何故ですか……生きていたって、私にはもう何もないのにっ……!!」
そこまで言って、雪那の声が止まる。続かなかった。“何もない”と口にした瞬間、本当に何も残っていないことに気づいてしまった。
家族も、故郷も、生きる意味も、願いも。全部、なくなっていた。
「それでも、生きろ。お前の命は、春の国のものでも、ましてやこんな石のものでもない」
頬に添えた冬竜王の手に、雪那の瞳から溢れた涙が何度も何度も落ちてくる。
「あの時、ここにいさせてくれと言ったお前は、確かに生きたいと願っていた」
「違う!!私は、っ私は……」
「雪那」
名前を呼ばれる。それだけで、胸の奥がぐらりと揺れる。
「俺のために生きろ。俺が、お前の生きる理由だ。それでも、どうしても生きられなくなったら、その時は俺が終わらせてやる」
雪那の瞳が見開かれる。傲慢で、何の甘さも優しさもない言葉。けれど、雪那にとって、これ以上の言葉はなかった。
涙が止まらない。死にたいはずなのに。胸の奥のどこかが、必死にその言葉へ縋りつこうとしている。
「……ずるい、そんなの……」
生きる理由も、死ぬ瞬間も、全部この男がくれるというのなら。
「その時は……ちゃんと終わりをくれると、約束してくれますか?」
「あぁ」
まだ、冬竜王のことを、雪那は何も知らない。けれど、約束を違えないということだけは、分かる。
いつか終わる時が来るなら。その最後に見る景色は、この深紅の瞳がいいと、雪那はぼんやり思った。




