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死ねない私は、竜王様に囚われる  作者: ゆきだるま


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花と果実の部屋

柔らかな風が、薄い帳を揺らしていた。


さらさらと水の流れる音が聞こえる。鼻先をくすぐるのは、甘い花の香り。


重たい瞼を、雪那はゆっくりと開いた。ぼやけた視界の向こうで、何か白いものが勢いよく飛び込んでくる。


「雪那様!!」


「きゅぅぅううん!!」


次の瞬間、羽雲が寝台へ飛び乗り、雪那の頬をべろべろと舐め回した。


「ぁ、……っ」


声を出そうとして、喉が引き攣るように痛む。羽雲の名前を呼ぼうとしたけれど、結局掠れた空気しか出なかった。


「羽雲、落ち着きなさい」


白狐が苦笑しながら羽雲を引き剥がし、そのまま雪那の背中へ腕を差し入れる。


「起き上がれますか?」


白狐の腕に支えられながら身体を起こすと、寝台の上へ銀髪がさらりと落ちた。身体は思ったより軽い。けれど、喉だけが焼けるように乾いていた。


「まずはお水を」


白狐が差し出した硝子杯の中には、薄い黄金色の液体が揺れている。そっと口をつける。蜂蜜の甘さと、檸檬の酸味が、乾き切った喉へじんわりと染み渡った。


「……おいしい……」


掠れた声に、白狐がほっと息を吐く。雪那は部屋を見渡した。けれど、そこに黒衣の王の姿はない。


「あれから三日と眠っていたのですよ。お身体はどうですか?」


「……三日も……」


そんなに眠っていたのか。雪那は自分の掌を見下ろす。あれほど一気に力を使ったのは久しぶりだった。王を二人続けて治癒するなど、正直、無茶もいいところだ。けれど、深く眠ったからか、身体は不思議と軽かった。


「すぐ軽食をお持ちしましょう」


白狐は一礼し、静かに部屋を出て行く。残された雪那は、寝台の上でぼんやりと息を吐いた。


すると、廊下の向こうから、騒がしい足音が聞こえてきた。


「……?」


勢いよく扉が開く。入ってきたのは、炎竜王と王妃、そしてその後ろに立つ冬竜王だった。


雪那は目を瞬かせる。狂化していた時とは、まるで別人だった。


炎竜王は精悍な顔立ちをした男だった。血走っていた瞳は穏やかな藍色へ戻り、長い髪も、夜明け前の空のような深い藍色をしている。


その男が、ズカズカと寝台の横まで進んできた。


「目が覚めたか!!身体はどうだ!!」


「……っ!?」


空気を震わせるような大声に、雪那は肩を跳ねさせる。勝手に、冬竜王みたいな物静かな王を想像していたのだ。


全然違う。炎そのものみたいな人だった。後ろでは、冬竜王が近くの長椅子へ腰掛け、その様子を静かに眺めている。


対照的すぎる二人に、雪那は困惑した。炎竜王はニカッと笑う。夏の日差しみたいな、豪快で真っ直ぐな笑い方だった。


「旦那様、そのような大声を出さなくても聞こえています。驚いているではありませんか」


「あぁ、そうだな。すまなかった!!」


横から王妃が呆れたように嗜められても、炎竜王は笑顔を崩さず、勢いのまま謝ってから、深々と頭を下げた。


「まずは礼を!!危険なところを救ってくれてありがとう!!」


王が、目の前で頭を下げている。雪那は慌てて首を振った。


「い、いえ……それより、お身体は、大丈夫ですか?」


「問題ない。おかげで身体は軽い軽い!」


バン、自分の胸を叩きながら笑う。その声へ、後ろから呆れたような低い声が飛んだ。


「おい、騒がしい」


「お前が遠慮なくやるからだ」


「止めてくれと泣きつかれたんだ。あれしか方法はあるまい?」


旧知の仲なのだろうか。二人のやり取りには、長い年月を共にした者同士の空気があった。炎竜王が改めて雪那を見る。


「春の国からコイツに攫われたと聞いたが……なるほど。見事な力だった」


真正面から褒められて、雪那は困ったように視線を逸らした。今まで、術式を褒められることなど滅多に無かった。何だかむず痒い。


「にしても細いなぁ」


「!?」


「腕なんか俺の指くらいしかない。肌も真っ白だ!!お前、ちゃんと世話しているのか!?」


まるで確かめるように、炎竜王が雪那の腕を持ち上げた。炎竜王が冬竜王を振り返る。冬竜王はその視線から逃げるように面倒そうに顔を逸らし、手にしていた酒杯を傾けた。


「知らん。元からだ」


「旦那様、突然女性の腕に触れてはいけません」


王妃が呆れた声を出し、炎竜王の手から雪那の腕を解放してくれる。そのまま雪那へ柔らかく微笑んだ。


「何か欲しいものがあれば、遠慮なく言ってくださいね」


「好きなだけ夏の国で休むがいいさ。まずはゆっくり休んでくれ!」


「……ありがとうございます」


炎竜王と王妃の柔らかな笑みに釣られるように、雪那は笑顔で頷いた。その時、白狐がお盆を抱えて戻ってくる。


「軽食をお持ちしました」


卓へ並べられたのは、色鮮やかな果物だった。王と王妃の前で、寝台の上で食事するのも憚られたが、二人が構わないと言ってくれたので、雪那は切り分けられた果実を口へ運ぶ。


瑞々しい果汁が、じゅわりと溢れる。甘みと、酸味が口いっぱいに広がる。こんな果物、春の国では滅多に食べられなかった。


炎竜王は冬竜王の向かいの長椅子に座り、硝子杯を傾けながら、他愛ない話を始める。


「春の国はなぁ……今は大変だろう。主にコイツのせいだがな。何で急に結界を破ろうと思った。お前、人間に興味なかっただろう」


「気まぐれだ。それより、春の国からこいつを取り戻そうと刺客が送られてきているんだが、何か情報は?」


雪那の指が止まった。果物の甘さが、一瞬で遠のいていく。心臓が、どくりと脈打つ。震えを誤魔化すように果物を口に運ぶ。


「かなり躍起になっているみたいだな。夏の国にも使者が来た。あいにく俺が狂化前で余裕がなかったからなぁ。詳しくは聞いていないが」


夏の国にまで。雪那の喉がひゅっと鳴る。本気で、雪那を取り戻そうとしているのだろうか。妖魔を拒む春の国が、わざわざ炎竜王にまで協力を仰ごうとしている、その理由がわからなかった。


すると冬竜王が、その様子を横目で見ながら、さらりと話題を変えた。


「お前、それよりいつの間に人間の女を嫁にしたんだ」


寝台の横で雪那へ寄り添っていた王妃を見る。普通の女性なら、それだけで萎縮してしまいそうな視線だった。けれど王妃は、全く動じず、薔薇の花が咲くように艶やかに笑った。


「あー……まぁ、長い人生、色々あるよな!」


炎竜王が誤魔化すように豪快に笑う。王妃が口に手を当てながら、くすくすと笑った。


「わたくしが、押し掛けたのですよ」


「ほう?」


「どうしても、この人の妻になりたかったので」


そう言って炎竜王を見る横顔は、誰かへ心を開け渡した、柔らかく、芯の通った女性の顔をしていた。


「わたくしたち人間の命は、とっても短いですからね。そして、とても強欲ですの。残りの時間を、全部、この人と一緒に過ごしたくて」


照れもなく、自信満々に言い切るものだから。炎竜王の方が、少しだけ照れたように頭を掻いた。


「……良い女だろ?」


「人間にしては、珍しいくらいにな」


炎竜王が、甘く蕩けるような視線を王妃に向ける。誰かを愛する人はこんなにも、目線一つで愛を示せるのか、と雪那は息を呑む。


「さて!久しぶりの再会だ!飲もう!」


騒がしい声。笑い声。穏やかな空気。怒号も、命令も、悲鳴も、血も流れない部屋。


雪那は果物を握ったまま、ぼんやりと思う。


――こんな時間を、自分は知らない。


ただ、温かいだけの空間が、雪那にはどこか自分とは関係のない、遠い景色を見ているような気持ちになった。

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