王を救う奇跡
白銀の光が、静かに消えていく。
幾重にも展開されていた巨大な治癒術式が、淡い粒子となって空中へ溶けていった。
王座の間に、しん、と静寂が落ちる。
雪那の手の下で、炎竜王の焼け爛れていた肉体は、まるで最初から傷など存在しなかったかのように再生していた。
裂けていた皮膚は滑らかに繋がり、砕けた骨は元通りに戻り、暴走によって焼き切れていた魔力回路にまで、再び力が流れている。
「……治った……」
「あんなの……人間技じゃない……」
「魔力回路まで修復されている……?」
夏の国の術師たちは、呆然とその光景を見下ろしていた。誰かが、目の前の光景を受け入れ難い夢を見ているかのように呟く。
雪那は重なっていたまつ毛をふるりと解き、炎竜王へ触れていた手を、ゆっくり下ろした。
「――っ、は、はッ……!」
呼吸が乱れる。視界がチカチカと明暗する。足元から力が抜ける感覚に、雪那は咄嗟に歯を食いしばる。
脂汗が頬を伝った。肺が焼けるみたいに苦しい。人間を治すのとは、まるで違った。
王の身体は、流れている魔力の量そのものが異常だ。傷を塞ぐだけでは終わらない。暴走で壊れた魔力回路まで修復するとなれば、消耗は桁違いだった。
それでも、まだ、終わっていない。
雪那は震える膝へ力を込め、ゆっくり立ち上がった。そのまま、冬竜王へ向き直る。
冬竜王の肩口からは、未だ鮮血が流れていた。腹部も深く裂け、黒衣が赤く染まっている。狂化した炎竜王を抑え込む際に受けた傷だ。
雪那はふらつきながら、その前へ立つ。
「何をしている」
「冬竜王様も……傷が……」
「良い。そのうち治る」
淡々とした声音だった。事実、冬竜王ほどの王なら、この程度の損傷は時間を掛ければ自己再生できる。
だが、雪那は小さく首を横に振り、にこりと脂汗を滲ませたまま微笑む。
「……出来ると、仰ってくれたではありませんか」
掠れた声。けれど、その瞳だけは不思議なくらい真っ直ぐだった。
冬竜王が見定めるように真紅の瞳を雪那に向ける。雪那は沈黙を肯定と受け取り、震える手を持ち上げ、その傷へ触れた。
ぶわ、と白銀の光が溢れ出す。再び、巨大な治癒術式が展開された。
「また……術式を……!?」
夏の国の術師たちが動揺の声を上げ、目を見開く。炎竜王を治した直後だ。普通なら立っていることすら不可能なはずなのに。
月光みたいな銀の光が、冬竜王の身体を包み込む。裂けた肩が塞がる。腹部の傷が閉じる。焼け焦げていた皮膚が再生し、血に濡れていた黒衣の下から、滑らかな肌が現れていく。
冬竜王様は黙ったまま、それを見下ろしていた。
本来なら止めることも出来た。だが、しなかった。そのうち治る、は嘘でも強がりでもない。
王である冬竜王なら、この程度の損傷は自己再生できる。けれど、雪那の強い意志に、やらせてみるかと思ったのも事実だった。
元々、その力を見るために連れてきた。だが結果として、雪那は期待を遥かに超えてみせた。
やがて、最後の傷が塞がる。雪那の指先から、ふっと力が抜けた。
「あ……」
視界が暗転する。その身体が崩れ落ちる寸前。冬竜王は、治った腕で雪那を抱き止めた。
その腕の中で、雪那は完全に意識を失っていた。
白い頬に玉のような汗が伝い、呼吸だけが浅く上下している。白狐が慌てて駆け寄る。
「雪那様!」
冬竜王様は雪那を抱えたまま、静かに目を伏せ、自分の身体の状態を確認する。身体の損傷は、完璧に治っている。見事なまでに。
「……予想以上だ」
冬竜王の静かな囁きは、誰の耳に入ることもなかった。冬竜王は腕の中の少女を見下ろす。細い身体。少しでも力を入れれば壊れてしまいそうなほど脆いのに、その内側には、王すら救う力が眠っている。
夏の術師たちが、恐る恐る近付いてきた。先程まで雪那へ疑念を向けていた者たちだ。
だが今、その顔にあるのは畏怖だった。彼らは冬竜王と雪那の前へ跪く。
「……我が王を救っていただき、誠にありがとうございました」
炎竜王の傍に控える王妃もまた、頭を下げ感謝を伝える、
「このご恩、夏の国は決して忘れません」
その後ろで、炎竜王の配下達も、他の術師たちも、一斉に頭を下げた。
「良かった……っ、本当に……良かった……!」
王妃は、眠るように瞼を閉じる炎竜王の手を握り締め、涙を零し続けている。その姿を一瞥してから、冬竜王は淡々と口を開いた。
「礼なら、こいつに言え」
術師たちの視線が、眠る雪那へ向く。先程まで儚く見えていた少女が、今はまるで奇跡そのもののようだった。やがて一人が、静かに口を開く。
「客間をご用意しております。どうか、まずはお休みください」
冬竜王は答えず、雪那を抱えたまま歩き出す。
その背を、夏の国の術師たちは深く頭を下げながら見送った。
通された客間は、夏の国らしく涼やかな造りだった。薄い紗の帳が風に揺れ、水音が静かに響いている。
冬竜王は寝台へ歩み寄ると、腕の中の雪那をゆっくり横たえた。眠っているはずなのに、雪那の呼吸はまだ浅い。
額には脂汗が滲み、銀髪が頬へ張り付いていた。
「主様、お身体の具合は……?」
白狐が後ろから不安そうな声を漏らす。冬竜王は雪那を見下ろしたまま答えた。
「身体の損傷は完璧に治してある。魔力の使い過ぎで消耗しているだけだ」
「雪那様は……?」
「問題ない。力の使い過ぎだ。白狐、何か食べるものと水を用意させろ。回復に必要な物全て集めろ。夏の国の者どもに言えば、すぐ動くだろう」
「承知しました」
白狐は深く頭を下げ、静かに部屋を出ていった。扉が閉まり、室内に静寂が落ちる。
冬竜王は眠る雪那の横に腰を下ろした。汗で張り付いた銀髪を、そっと払ってやる。
白い肌が覗く。呼吸が少しでも楽になるようにと、雪那の服の袷へ手を掛け、軽く緩めた。
その瞬間。
冬竜王の動きが止まる。
覗いた真っ白な胸元。
その中心に、石が埋め込まれていた。
「……何だ、これは」
低く呟く。それは見間違えるはずもない。冬竜王自身の胸元にも存在するもの。
王だけが持つ、力の核。
――王石。
なぜ、人間が王石を持っている。
雪那の胸元で、それが静かに脈打つように光っていた。




