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死ねない私は、竜王様に囚われる  作者: ゆきだるま


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世界の心臓

馬車が空を裂くように駆け抜ける。規則的な揺れに合わせて、小さな窓の外の景色が流れていく。見えるのは、どこまでも続く白銀だった。雪を被った森。凍った湖。吐く息さえ凍りそうな、静かな冬の世界。


雪那は膝の上に頭を乗せて眠る羽雲を撫でながら、向かいに座る白狐を見上げた。


冬竜王は既に数人の配下を連れ、先に夏の国へ向かっている。雪那たちは馬車で後を追っていた。夏の国までは、一日ほど掛かるらしい。


しばらく迷った末、雪那は小さく口を開く。


「……狂化とは、何なんですか?」


白狐は窓の外へ向けていた視線を、ゆっくり雪那へ戻した。


「王が狂うことです」


「え…?」


あまりにも文字通りの簡潔な答えに、瞬きをする雪那の素直な反応に、白狐は少しだけ口元を緩めた。


「……まずは、この世界の仕組みから簡単におさらいしましょうか」


白狐の耳飾りがしゃらん、と涼しげな音を立てて揺れる。これから向かう先を考え、乱れていた呼吸を押し殺し、白狐は自分を落ち着かせるように口を開いた。


「この世界には、春夏秋冬を司る四つの国がありますね」


白狐は指先で空中に円を描くように動かした。


「中央には“大湖”と呼ばれる巨大な湖があり、それを囲むように、北に冬の国、南に夏の国、西に秋の国、東に春の国が存在しています」


雪那は静かに耳を傾ける。トン、と白狐が自分の胸元を指差す。


「王たちは、胸に“王石”を埋め込むことで、それぞれの国の地脈から力を引き出し、その土地を治めているのです」


「……石」


「ええ。王の証でもあります。地脈の力は、その土地に住む者たちの影響を受けます。特に感情は顕著です」


その言葉を聞いた瞬間、雪那は無意識に、自分の胸元へ手を当てていた。どくり、と嫌な音を立てて鼓動が跳ねる。


「……雪那様?」


「あ……いえ……続けてください」


白狐の声に、雪那ははっと顔を上げた。胸の奥が、妙に熱い。誤魔化すように首を振り、続きを促す。


「怒り、悲しみ、憎しみ、欲望……人間は、強い感情を生む種族ですから」


雪那は春の国を思い出す。奇跡を求める声。救いを乞う声。縋る声。妬む声。あの国には、いつだって人の欲が渦巻いていた。


「夏の国は、人間が最も多い国です。豊かな土地で、交易も盛んですから。その分、地脈へ流れ込む感情も濁りやすい。王石を通じて流れ込んだ濁った力が、許容量を超えると、王は徐々に侵食されていきます。理性を失い、暴走する。それが狂化です」


雪那は息を呑んだ。国と繋がるということは、国中の感情を浴び続けるということ。


「……止める方法は、あるんですか」


「溜まった力を、一度使い切るしかありません。ですが、狂化した王の力は膨大です。普通の者では受け止めきれない。だからこそ、同格――あるいは、それ以上の王が必要になる」


雪那は、その説明を聞きながら、先に夏の国へ向かった冬竜王の姿を思い浮かべていた。


「主様は、王たちの中でも特別強いお方です。他の王の狂化を止められるのは、主様だけです」


雪那は小さく目を伏せた。ならば、冬竜王の狂化は、誰が止めてくれるというのだろう。その事実に、雪那の胸がひやりと冷えた。


冬竜王。厄災と恐れられる王。けれど雪那には、未だにあの存在が上手く理解できない。恐ろしいほど強く、傲慢なほど冷たいのに、不思議なくらい息がしやすいのだ。


ふと、雪那は疑問を口にした。


「……春の国の王には、そのようなものはありませんでした」


白狐の金の瞳が、考え込むように細められる。可能性の一つとして、と前置きをして、白狐は説明を続ける。


「恐らく、春の国は少し特殊なのでしょう」


「特殊……?」


「王石は、本来、地脈から力を引き出し、国を治めるためのものです。ですが春の国は、力を循環させるより、“閉じる”ことに重きを置いていた」


雪那ははっとする。脳裏に浮かぶのは、国全体の空を覆っていた巨大な結界。


「……結界」


「ええ。おそらく王石の力も、大半を結界維持へ回していたのでしょう」


だから。雪那は静かに窓の外を見た。玻璃が割れるような澄んだ音と共に現れた冬竜王を思い出す。


「……だから、あの人は壊せたんですね」


白狐は否定しなかった。あの結界は、春の国にとって絶対だった。誰にも破れないはずの檻。それを冬竜王は、まるで薄氷を砕くみたいに壊してみせた。


馬車は静かに空を滑っていた。規則的な揺れの合間に、羽雲の寝息が小さく聞こえる。雪那はその柔らかな毛並みを撫でながら、ふと窓の外へ視線を向けた。


そこに広がっていた景色に、思わず息を呑む。


「……湖?」


眼下には、果ての見えない巨大な水面が広がっていた。白銀に凍りついていた冬の景色は、いつの間にか途切れている。代わりに現れたのは、深い蒼を湛えた巨大な湖だった。空の色を映し込んだ水面は、陽光を受けて硝子のように煌めいている。


あまりにも広い。湖というより、まるで海だった。白狐が雪那の視線に気づき、静かに口を開く。


「大湖です」


「これが……」


雪那は窓へ身を寄せる。湖の中央付近では、水の色が異様なほど濃かった。底など到底見えない深淵の蒼。覗き込めば、そのまま引き摺り込まれそうな錯覚を覚える。


「四つの国の地脈は、全てこの湖へ繋がっています」


白狐の声音は、どこか慎重だった。


「王石が力を引き出す源も、この大湖を通して各国へ流れている。言わば――世界の心臓のような場所です」


雪那は無意識に胸元を押さえる。風が変わっていた。冬の国にいた頃の、肺を刺すような冷気ではない。湿り気を帯びた風が、馬車の隙間から流れ込んでくる。湖面を渡る風だ。


「……綺麗」


ぽつりと零れた声に、白狐は僅かに目を細めた。


「ええ。ですが同時に、最も危険な場所でもあります」


「危険……?」


「地脈が濃すぎるのです。この湖には、各国の力も感情も流れ込む。王の狂化が激しい時などは、湖が荒れることもあります」


雪那は再び湖を見下ろした。穏やかに見える水面の奥底で、何か巨大なものが脈打っている気がした。その時だった。


ふわり、と。湖面の一部が淡く光る。

雪那が目を見開く。蒼い光の粒が、水中から無数に浮かび上がっていた。星が湖から生まれているみたいだった。


「……あれは?」


「地脈の魔力ですよ。大湖では、時折こうして可視化されます」


光は風に乗り、空へ溶けるように消えていく。


その幻想的な光景に、雪那は言葉を失った。春の国で見てきたものは、閉ざされた空と石壁ばかりだった。こんな景色が世界に存在することすら、知らなかった。


馬車はなおも湖上を進んでいく。そして、しばらくして、雪那は、景色が少しずつ変わっていることに気づいた。


冷たい白が減っていく。湖の周囲に、緑が混じり始めていた。岸辺には草木が芽吹き、凍っていた水面は完全に姿を消している。


空気が、温かい。白狐が窓の外を見つめたまま呟く。


「……そろそろ夏の領域ですね」


その言葉と同時に、視界が大きく開けた。眩しいほど鮮やかな緑。陽光を浴びて揺れる草原。生命の熱を孕んだ風。


雪那は、冬の国とはまるで違う世界を、ただ静かに見つめていた。


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