怪力
朝はまだ冷えていた。
俺たちは、言葉もなく戦場へ向かう。
踏みしめる土が、乾いた音を返す。
中心地に出ると、すでに荒らされていた。
倒れた者の間を、何度も人が通った跡がある。
残っているのは、取りこぼしだけだ。
俺たちは高台に戻り、視線を巡らせる。
倒れている影を拾い、目星をつける。
近づき、装備を外す。
無言の作業が続く。
分かれれば早い。
だが、危険が増す。
だから、離れない。
効率は悪くても、同じ歩幅で動く。
日が傾くころ、手は止まった。
あらかた、回収は終わる。
荷は、昨日よりも重い。
人数が増えた分だけ、確かに増えていた。
長が、荷車の前に立ち荷車をひく。
軋む音とともに、荷車が動く。
山のような荷を積みながらも、足取りは変わらない。
れんと猿が、上に乗る。
それでも、長の顔色は動かなかった。
夕暮れの道を、
重たい影が、ゆっくりと寺へ戻っていく。
……
夕暮れの道。
荷車の軋む音だけが、静かに続いていた。
その中で、長がふいに口を開く。
「永徳さん。オラはどうしたら強くなれる」
唐突だった。
「強くなれるって……そんな怪力だ。長は十分強いと、あっしは思いやすよ」
茂が肩越しに言う。
俺は歩みを緩めず、長の背を見た。
大きな体、揺るがない足取り。
だが――
「いや。長は強いが、弱いな」
言葉は、静かに落ちた。
長の足が、わずかに止まる。
「どうしたら良い」
低く、重ねる。
その瞬間――
「喝!」
俺は声を張った。
空気が震える。
近くの山鳥たちが一斉に飛び立ち、羽音が広がる。
皆が目を見開く。
「師匠、びっくりするじゃねぇか」
猿が顔をしかめる。
俺は歩みを止めず、前を見たまま続ける。
「昔な。俺の修行していた寺に、野盗が入ったことがある」
夕日が、背中を照らす。
「住職は爺でな。野盗も、舐めていたんだろう」
風が、ひとつ吹く。
「槍を突きつけられても、その爺は――ただ一声、“喝”と発した」
静けさが戻る。
視線が、集まる。
「その一言で、野盗は腰を抜かして逃げていった」
夕闇が、道を飲み込みはじめていた。
「強い、弱いというのは――そんなもんだ」
俺は淡々と言う。
一歩、間を置く。
「ほれ。言ってみろ」
空気が止まる。
全員の視線が、長に集まった。
長は、喉を鳴らす。
「……喝」
かすれるような、小さな声。
俺は首を振る。
「小さいな」
足を止めず、続ける。
「いいか。大きな音は、邪を祓う」
風が、頬をかすめる。
「俺がいいと言うまで、やれ。皆もだ。俺もやる」
次の瞬間――
「喝!」
俺の声が、山に響く。
少し遅れて、
「かっ……喝!」
長の声。
「喝!」
「喝!」
猿と茂が続き、
れんも小さく重ねる。
ばらばらだった声が、
次第に揃っていく。
夕闇の道に、声が反響する。
木々が揺れ、鳥が飛び立つ。
「喝!」
「喝!」
繰り返し、繰り返し。
息が荒くなり、喉が焼けても、止まらない。
寺の屋根が見えるころには、
その声は、ひとつの塊になっていた。
夜に向かって、
喝の響きだけが、長く残っていった。
……
夜。
廃寺の中に、静かな火の明かりが揺れている。
俺たちは水で身体を清め、
冷えた肌に夜気を残したまま、鍋を囲んだ。
湯気の立つ粥を口に運ぶ。
温もりが、ゆっくりと腹に落ちていく。
誰も多くは語らない。
ただ、食べる。
やがて箸が止まり、
茂が顔を上げた。
「前回は村の者に、供養を頼まれやしたが……今回も、ありますかね」
火が、ぱちりと鳴る。
長は、その言葉に首を傾げる。
「前回はな、村人が寺に来て、供養をしてくれと頼んできたんだ」
俺は淡々と答える。
長の表情が、ゆっくり曇る。
「……この辺りは、村がないから」
その一言で、空気が変わる。
「えっ、村がねぇのかよ」
猿が思わず声を上げる。
長は視線を落とす。
火の明かりが、その顔に影を落とす。
「実をいうと……あったんだ。だが、もういねぇ。今回の戦で、全員……」
言葉が途切れる。
沈黙。
俺は静かに問う。
「供養は、されているのか?」
長は、ゆっくりと首を振った。
火の音だけが、
夜の中に残った。
……
夜は、長かった。
火が落ち、闇が満ちても、
俺は目を閉じずにいた。
報酬はない。
村も、すでに消えている。
残るのは、死だけだ。
それでも――。
やがて朝が来る。
淡い光が、堂の中を満たす。
皆が起き、いつものように動き出す。
水を汲み、火を起こし、鍋をかける。
湯気が立ち、粥の匂いが広がる。
囲んで、食べる。
言葉は少ない。
食べ終えたとき、俺は口を開いた。
「今回の件なんだが――」
その言葉を、茂が遮る。
「昨晩、長に村の場所を聞きやした。まずは村のほうから供養を始めて、そこから戦場でいいんじゃありませんか?」
迷いはなかった。
「穴掘りと、亡骸運びはオラがやるだ」
長が、拳を握る。
「私は装備品とか、使えそうなものを集めて回る」
れんが続く。
「おいらも、お宝がねえか探す」
猿が笑う。
そのやり取りを、俺は黙って聞いていた。
胸の奥にあった重さが、わずかにほどける。
取り越し苦労だったか。
小さく息を吐く。
「では――行こう」
立ち上がる。
皆も続く。
朝の光の中、
俺たちは廃寺を後にした。
……
村は、静まり返っていた。
足を踏み入れた瞬間、
鼻を刺すのは、濃い死臭。
戸は開き放たれ、
風に揺れる音だけが、かすかに響く。
中には――
倒れたままの人影。
男も、女も、子どもも、老人も。
逃げる間もなく、終わったのだと分かる。
俺は、その場で手を合わせた。
ゆっくりと、声を落とす。
読経が流れはじめる。
れんも、猿も、茂も、長も、
それに重ねるように声を出す。
閑散とした村に、
風と、経の響きだけが満ちていく。
やがて、声を止める。
「……運び出すぞ」
低く告げる。
まずは、それぞれの家の前へ。
一体ずつ、外へと運び出す。
土の上に、並べる。
重い。
だが、誰も何も言わない。
それが終わると、荷車を引く。
村の端、開けた場所へと運ぶ。
軋む音が、繰り返される。
その間――
れんと猿は、別に動いていた。
家々を巡り、使えそうなものを探していく。
倒れた生活の残骸の中を、
静かに拾い上げていく。
風だけが、村を抜けていった。




