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弱虫

寺への帰り道ーーー


「れん。お前、野菜の煮炊きが上手くなったな」


俺が言うと、れんは顔を上げる。


「村のおばあさんに教わったの」


その声は、明るい。


「なるほど、だから美味くなったのか」


茂が頷く。


穏やかな空気が、ゆるやかに広がる。


そのときだった。


猿が、ふいに顔を上げる。


「人が倒れている」


次の瞬間には、もう走り出していた。


俺たちも後を追う。

枯葉を踏む音が、急に速くなる。


木立の向こう。

地面に、大きな影が横たわっている。


近づく。


図体の大きな男だった。

だが、その顔は、妙に穏やかだ。


血も、傷も見当たらない。


俺は膝をつき、男の口元に手をやる。


息を探る。


かすかに、動く。


「亡くなってはおらん」




短く告げる。


場の空気が、わずかに張り詰める。

俺は男のそばに落ちていた武器を拾い、猿へと渡した。


「皆、離れていろ」


一歩、間合いを取る。


「喝!」


声が、静寂を裂いた。


「うわああああ――!」


男が跳ね起きる。

目は大きく見開かれ、焦点が定まらない。


呼吸が荒い。

怯えが、そのまま形になっていた。


「怖がらずともよい。俺らは旅の僧だ」


俺は落ち着いた声で言う。


男はしばらくこちらを見つめ、

やがて縋るように口を開いた。


「戦は……どうなった……?」


その声は、震えている。


間を置かず、猿が答える。


「おっさんの方は負けたよ」


軽い口調だった。

だが、その目の奥には、すでに何かを見た重さが残っていた。


「うわわわ……なんてこった……殺される、殺される……」


男はその場で崩れそうになりながら、ぶるぶると震えている。

夕方の冷たい風が、その背中をさらに揺らした。


「お主、帰るところはあるのか? 故郷とか」


俺は静かに問う。


男はゆっくりと首を横に振る。

力のない動きだった。


「おっとうも、おかぁも……亡くなった。兄弟姉妹も……皆、いねぇ。戦で死ぬ気だったんだ」


言葉が、地面に落ちる。


「お前は、生きておる」


俺は短く言う。


男は苦く笑うように、顔を歪めた。


「オラは……こんな図体はでかいけど、臆病もんだ。矢が飛んできて……腰抜かして、このざまだ」


拳が、力なく地面に触れる。


「お前は、生きておる」


もう一度、同じ言葉を落とす。


沈黙。


男は視線を落とし、かすれた声で吐き出す。


「オラみたいな臆病もんは……生きる価値もねぇ……」


そのとき――


(ぐぅ……)


腹の音が、やけに大きく響いた。


風が止まる。


「……しかし、腹は減る」


俺は言いながら、男の肩を軽く叩いた。


夕闇が、木立の奥から滲み出してくる。


俺は男を見下ろしたまま、短く言う。


「装備を外せ。猿、茂、持ってやれ。しばらくの間、こいつは仲間だ」


空気が、わずかに動く。


「そんな事、頼んでねぇだ」


男は顔を歪めて言う。


俺は肩をすくめる。


「そうか。じゃあ勝手にしろ。猿、武器を返してやれ」


立ち上がり、背を向ける。


「オラがいたら……あんたらに迷惑がかかる」


背後で、声が落ちる。


そのとき、茂が静かに口を開いた。


「あっしも敗残兵ですぁ。生きたくって、旦那についてきていやす」


れんが続く。


「私は物乞いだった。永徳に救われた」


猿が胸を張る。


「永徳は、オイラのお師匠様だ」


風が、四人の間を抜ける。


男――長吉は、しばらく黙っていた。


やがて、自分の手を見つめる。


「オラは……力はある。でも、大飯食らいだ」


その声には、どこか遠慮があった。


俺は振り返る。


「見たらわかる。大飯を食らいたければ、その分働け」


短く言い切る。


間。


長吉は顔を上げる。


「オラは長吉……ついて行っていいか?」


その目に、かすかな光が戻っていた。


茂が口を開いた。


「おめえさんも、吉がついているのかい」


少し笑いながら、続ける。


「あっしもな、少し前まで茂吉って名だったんだが……旦那に言われてな。吉って字に運が吸われてるってよ。それで、茂にした」


肩をすくめる。


「おめぇさんも、長吉より“ちょう”でいいんじゃねぇか? 運も、良くなさそうだしな」


軽い調子だった。


長吉――男は、ぽかんとした顔でそれを聞いていた。

やがて、小さく息を吐く。


「あぁ……そうするよ」


視線を落とし、自分の手を見る。


「たしかに、運は良くなかったしな。ずっと、それでからかわれてた」


一拍。


顔を上げる。


「オラは今日から……ちょうだ」


その言葉は、どこか照れくさく、

それでも、はっきりとしていた。


……

寺へ戻ると、夜がゆっくりと降りてきていた。


火を起こし、鍋をかける。

いつものように、食事の支度が始まる。


「長、お前は薪を割れ」


そう言うと、男は黙って頷いた。


次の瞬間、斧が振り下ろされる。

乾いた音が、静かな境内に響いた。


またたく間に、薪の山ができる。

力だけは、確かだった。


「力自慢なだけはある。旦那、こいつは拾いもんですよ」


茂が、声を張って笑う。


俺は火を見たまま、言葉を返す。


「それは、皆も同じだ」


ぱちり、と火が弾ける。


その一言で、風が止まったようだった。


誰も、すぐには言葉を続けない。


れんは目を伏せ、

猿は頭をかき、

長は斧を持ったまま、動きを止める。


茂も、少しだけ視線を逸らした。


どこか、気恥ずかしい空気が流れる。


火の音だけが、静かに残っていた。

夜。

火の明かりが、堂の柱を揺らしていた。


食事を終え、俺たちは長の前に座る。

剃刀が、静かに光る。


ざり、と音がして、髪が落ちていく。


やがて――


巨大な体に、剃髪の頭。

火の影を受けて、その輪郭が際立つ。


「いかついな」


俺は短く言う。


「たしかに近寄りがたい」


茂も頷く。


「でも……目が優しいから」


れんが口を挟む。


その言葉に、長は少しだけ目を伏せた。


猿が身を乗り出す。


「眉、剃ってみたらどうだ?」


ぐい、と長の眉を押さえる。


「うん。それだと怖い」


れんが即座に答える。


俺と茂は、黙って見つめる。


火が揺れ、影が変わる。


「たしかに……そっちのほうが強者に見える」


小さく頷く。


「剃ってくだせぃ」


長が、口を開いた。


「なぜだ?」


俺は問う。


長は、ゆっくりと息を吐く。


「オラは臆病だ。でも図体がでかいし、力はある。見た目で相手が降参してくれたら……ありがたい」


その言葉に、皆が静かに頷く。


視線が、俺に集まる。


「……わかった。落とそう」


俺は剃刀を当てる。

躊躇はない。


一気に、落とす。


ざり、と音が響く。


「おぉ……」


小さな歓声が上がる。


火の向こうで、長の顔が変わっていた。

影が深くなり、鋭さが増す。


「仲間だとありがたいが……敵だと怖いな」


茂が、苦笑混じりに言った。


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