表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

依頼

夕暮れが寺を包みはじめていた。


崩れかけた山門の影が、境内をゆっくりと飲み込んでいく。

しばらくここに留まることになりそうだと、四人は無言で動いていた。


れんと猿は、積もった落ち葉をかき集め、

俺は堂で埃を払い落とす。


離れた場所では、茂が膝をつき、

廃寺に打ち捨てられていた荷車を直している。

軋む木と鉄の音が、乾いた空気に混じった。


やがて日が落ちる。


掃除は一通り終わり、

火を起こし、粗末な食事の支度に取りかかる。


そのときだった。


外から、押し殺した声が流れ込む。


(ここだ……ここだ……ここに新しい坊さんが入るのを見たんだ)


気配が、いくつか。


俺は手を止め、静かに立ち上がる。

堂の戸を開け、外へ出た。


境内の縁に、数人の影。

粗い着物に、土に汚れた足。

この辺りの村人だ。


一人の老人が前に出る。

背を折り、深く頭を下げた。


「お坊さま。お願いがあります」


「なんだ」


短く返す。


老人は顔を上げ、

夕闇に揺れる視線のまま口を開いた。


「えぇ……この近くで戦がありまして……。陰の気が強く……このままでは、災いが起こるやもしれませぬ」


風が吹き抜ける。

枯葉が、足元でかすかに鳴る。


「なんとかしてもらえませぬか?」


俺は目を細めた。


「この辺りに寺はないのか」


間を置く。


老人は小さく首を振った。


「あるにはありますが……ご高齢で。陰の気が障ると……受けてもらえぬのです」


その背が、さらに沈む。


視線の端で、堂の隙間から、れんと猿がこちらを覗いていた。


夕闇が、さらに濃くなる。


境内の外、村人たちの影が地面に溶けるように揺れていた。

焚き火の煙が細く立ち上り、湿った空気に滲む。


「具体的にはどうして欲しい?」


俺は老人を見据えた。


老人は一歩、前に出る。

背を折ったまま、声を絞り出す。


「ご遺体を集めて……埋め、供養したいと思います」


一瞬、風が止まる。


俺は眉をひそめた。

薄暗い境内の奥、朽ちた堂が静かに沈んでいる。


「しかしな。拙僧らは、大人が二人、子供が二人だ。ご遺体を集めるのは無理がある」


言葉は短く、重く落ちた。


老人はすぐに顔を上げる。


「もちろん……村人総出で集めます。穴を掘るのも、我らは慣れております」


その声には、焦りと覚悟が混じっていた。


俺はしばし黙る。

遠くで、れんと猿が息を潜めてこちらを見ている。


「供養と言っても、只ではできぬ。布施は用意できるのか?」


視線を外さずに言う。


老人の目が、わずかに曇る。

答えに詰まる間が、やけに長い。


「……食べ物なら、お分けできますが……」


風が戻る。

枯葉が足元で擦れ、乾いた音を立てた。


俺は小さく息を吐く。


「そうだな……」


一拍。


「わかった。ではこうしよう」


顔を上げ、まっすぐに老人を射抜く。


「お主たちからは食べ物を。

ご遺体からは装備品などを、

供養の布施として頂こう。それでどうだ」


静寂。


やがて、老人の表情が崩れる。

安堵と疲労が、同時に浮かんだ。


「それは……助かります」


声が、かすかに震える。


「では、早速明日からお願いできますか?」


闇が、境内を飲み込もうとしていた。


「あい。わかった。手伝おう」


俺は短く頷いた。


その言葉を合図に、

張り詰めていた空気が、ゆるやかにほどけた。


……

翌朝。

淡い光が、廃寺の屋根を静かに照らしていた。


まだ空気は冷たく、朝の匂いが残っている。


やがて、足音が増えていく。

村人たちが、無言のまま境内に流れ込んできた。


「すまぬが。まだ飯のしたくもしておらぬのだ」


そう言うと。

村人が粗く握られた飯を差し出す。

白い湯気が、わずかに立っていた。


なるほど――時間がない。

そういう事か。


俺たちは言葉を交わさず、受け取り。

水と共に流し込んだ。


そしてすぐに荷車へと手をかけた。


昨日、茂が直したそれは、まだぎこちなく軋む。

それでも、進むには十分だった。


境内を抜け、道を下る。


近づくにつれ、空気が変わる。


腐臭が、昨日よりも濃くなっていた。

鼻を刺すような、重たい臭い。


なるほど、急ぐのもわかる。


視界の先に、土がえぐられている。

村人たちが黙々と穴を掘っていた。


乾いた土と、湿った土が混ざり合う音だけが響く。


その中で、一人の老人が手を上げる。

昨日の男――この村の長のようだ。


「今、穴を掘っている途中です」


息を整えながら、言葉を継ぐ。


「ここに遺体を集めますゆえ、布施にできるものがあれば、お取りください」


一瞬、間。


「確認されたご遺体は、そのまま穴に放り込みます」


淡々とした声だった。


だが、その足元には、すでにいくつかの影が横たわっている。


俺は、静かに手を合わせた。


三刻ほどが過ぎていた。


陽は高く、影は短い。

腐臭と土の匂いが混じり、空気は重く淀んでいる。


あらかた遺体は片付いた。

残るは、埋めて、経をあげるだけ――。


そう思ったとき、裾が引かれる。


れんだった。


「あそこと、あそこにある」


短く、指をさす。

茂った草むらの奥。


俺は無言で歩み寄る。

草を分けると、確かにそこにあった。


振り返り、村人を呼ぶ。

無言のまま、運ばれていく。


それが、一度では終わらなかった。


十数度。

れんは、迷いなく場所を言い当てた。


やがて俺は腰を下ろし、

その小さな背を見た。


「視えるのか?」


れんは少しだけ間を置き、


「黒いモヤ」


とだけ答えた。


風が、草を揺らす。


なるほどな。


「まだあるか?」


俺は、まっすぐにれんを見つめる。


れんは、ゆっくりと首を振り、

穴を指さした。


「もうない。あの中だけ」


深く掘られた土の底。

無数の影が、重なり合っている。


「では、埋めてくれ」


声を落とす。


一斉に、土が落ちる。

乾いた音が、何度も重なった。


やがて、形が消えていく。


「かんじざいぼさつ……」


俺は読経を始める。


低く、長く、声を伸ばす。


隣で、れんが口を動かす。

猿も、茂も、拙いままに真似をする。


その声は不揃いで、かすれていた。


だが、次第に重なっていく。


俺は声を張る。


気づけば、村人たちも手を合わせていた。

誰もが、顔を伏せ、同じ方向を向いている。


土は盛られ、

その上に石が据えられる。


花が供えられる。


色の薄い花びらが、風に揺れた。


俺は、さらに読経を重ねる。


声だけが、

その場に残り続けた。

読経が、ゆっくりと途切れる。


最後の音が空気に溶け、

場には静寂だけが残った。


そのときだった。


雲の切れ間から、強い光が差し込む。

一直線に、墓の上へ。


積み上げられた土と、置かれた石を照らし出す。

白く、眩しく、そこだけが浮かび上がる。


風が、やわらかく抜けた。


「……ありがとうだって」


れんが、小さく言った。


誰に向けたものかは、聞かずとも分かる。


俺は一度だけ、墓を見やる。


そして背を向けた。


「では、引き上げよう」


短く告げる。


誰も逆らわない。


光の中に残された墓を背に、

一行は静かにその場を離れていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ