依頼
夕暮れが寺を包みはじめていた。
崩れかけた山門の影が、境内をゆっくりと飲み込んでいく。
しばらくここに留まることになりそうだと、四人は無言で動いていた。
れんと猿は、積もった落ち葉をかき集め、
俺は堂で埃を払い落とす。
離れた場所では、茂が膝をつき、
廃寺に打ち捨てられていた荷車を直している。
軋む木と鉄の音が、乾いた空気に混じった。
やがて日が落ちる。
掃除は一通り終わり、
火を起こし、粗末な食事の支度に取りかかる。
そのときだった。
外から、押し殺した声が流れ込む。
(ここだ……ここだ……ここに新しい坊さんが入るのを見たんだ)
気配が、いくつか。
俺は手を止め、静かに立ち上がる。
堂の戸を開け、外へ出た。
境内の縁に、数人の影。
粗い着物に、土に汚れた足。
この辺りの村人だ。
一人の老人が前に出る。
背を折り、深く頭を下げた。
「お坊さま。お願いがあります」
「なんだ」
短く返す。
老人は顔を上げ、
夕闇に揺れる視線のまま口を開いた。
「えぇ……この近くで戦がありまして……。陰の気が強く……このままでは、災いが起こるやもしれませぬ」
風が吹き抜ける。
枯葉が、足元でかすかに鳴る。
「なんとかしてもらえませぬか?」
俺は目を細めた。
「この辺りに寺はないのか」
間を置く。
老人は小さく首を振った。
「あるにはありますが……ご高齢で。陰の気が障ると……受けてもらえぬのです」
その背が、さらに沈む。
視線の端で、堂の隙間から、れんと猿がこちらを覗いていた。
夕闇が、さらに濃くなる。
境内の外、村人たちの影が地面に溶けるように揺れていた。
焚き火の煙が細く立ち上り、湿った空気に滲む。
「具体的にはどうして欲しい?」
俺は老人を見据えた。
老人は一歩、前に出る。
背を折ったまま、声を絞り出す。
「ご遺体を集めて……埋め、供養したいと思います」
一瞬、風が止まる。
俺は眉をひそめた。
薄暗い境内の奥、朽ちた堂が静かに沈んでいる。
「しかしな。拙僧らは、大人が二人、子供が二人だ。ご遺体を集めるのは無理がある」
言葉は短く、重く落ちた。
老人はすぐに顔を上げる。
「もちろん……村人総出で集めます。穴を掘るのも、我らは慣れております」
その声には、焦りと覚悟が混じっていた。
俺はしばし黙る。
遠くで、れんと猿が息を潜めてこちらを見ている。
「供養と言っても、只ではできぬ。布施は用意できるのか?」
視線を外さずに言う。
老人の目が、わずかに曇る。
答えに詰まる間が、やけに長い。
「……食べ物なら、お分けできますが……」
風が戻る。
枯葉が足元で擦れ、乾いた音を立てた。
俺は小さく息を吐く。
「そうだな……」
一拍。
「わかった。ではこうしよう」
顔を上げ、まっすぐに老人を射抜く。
「お主たちからは食べ物を。
ご遺体からは装備品などを、
供養の布施として頂こう。それでどうだ」
静寂。
やがて、老人の表情が崩れる。
安堵と疲労が、同時に浮かんだ。
「それは……助かります」
声が、かすかに震える。
「では、早速明日からお願いできますか?」
闇が、境内を飲み込もうとしていた。
「あい。わかった。手伝おう」
俺は短く頷いた。
その言葉を合図に、
張り詰めていた空気が、ゆるやかにほどけた。
……
翌朝。
淡い光が、廃寺の屋根を静かに照らしていた。
まだ空気は冷たく、朝の匂いが残っている。
やがて、足音が増えていく。
村人たちが、無言のまま境内に流れ込んできた。
「すまぬが。まだ飯のしたくもしておらぬのだ」
そう言うと。
村人が粗く握られた飯を差し出す。
白い湯気が、わずかに立っていた。
なるほど――時間がない。
そういう事か。
俺たちは言葉を交わさず、受け取り。
水と共に流し込んだ。
そしてすぐに荷車へと手をかけた。
昨日、茂が直したそれは、まだぎこちなく軋む。
それでも、進むには十分だった。
境内を抜け、道を下る。
近づくにつれ、空気が変わる。
腐臭が、昨日よりも濃くなっていた。
鼻を刺すような、重たい臭い。
なるほど、急ぐのもわかる。
視界の先に、土がえぐられている。
村人たちが黙々と穴を掘っていた。
乾いた土と、湿った土が混ざり合う音だけが響く。
その中で、一人の老人が手を上げる。
昨日の男――この村の長のようだ。
「今、穴を掘っている途中です」
息を整えながら、言葉を継ぐ。
「ここに遺体を集めますゆえ、布施にできるものがあれば、お取りください」
一瞬、間。
「確認されたご遺体は、そのまま穴に放り込みます」
淡々とした声だった。
だが、その足元には、すでにいくつかの影が横たわっている。
俺は、静かに手を合わせた。
三刻ほどが過ぎていた。
陽は高く、影は短い。
腐臭と土の匂いが混じり、空気は重く淀んでいる。
あらかた遺体は片付いた。
残るは、埋めて、経をあげるだけ――。
そう思ったとき、裾が引かれる。
れんだった。
「あそこと、あそこにある」
短く、指をさす。
茂った草むらの奥。
俺は無言で歩み寄る。
草を分けると、確かにそこにあった。
振り返り、村人を呼ぶ。
無言のまま、運ばれていく。
それが、一度では終わらなかった。
十数度。
れんは、迷いなく場所を言い当てた。
やがて俺は腰を下ろし、
その小さな背を見た。
「視えるのか?」
れんは少しだけ間を置き、
「黒いモヤ」
とだけ答えた。
風が、草を揺らす。
なるほどな。
「まだあるか?」
俺は、まっすぐにれんを見つめる。
れんは、ゆっくりと首を振り、
穴を指さした。
「もうない。あの中だけ」
深く掘られた土の底。
無数の影が、重なり合っている。
「では、埋めてくれ」
声を落とす。
一斉に、土が落ちる。
乾いた音が、何度も重なった。
やがて、形が消えていく。
「かんじざいぼさつ……」
俺は読経を始める。
低く、長く、声を伸ばす。
隣で、れんが口を動かす。
猿も、茂も、拙いままに真似をする。
その声は不揃いで、かすれていた。
だが、次第に重なっていく。
俺は声を張る。
気づけば、村人たちも手を合わせていた。
誰もが、顔を伏せ、同じ方向を向いている。
土は盛られ、
その上に石が据えられる。
花が供えられる。
色の薄い花びらが、風に揺れた。
俺は、さらに読経を重ねる。
声だけが、
その場に残り続けた。
読経が、ゆっくりと途切れる。
最後の音が空気に溶け、
場には静寂だけが残った。
そのときだった。
雲の切れ間から、強い光が差し込む。
一直線に、墓の上へ。
積み上げられた土と、置かれた石を照らし出す。
白く、眩しく、そこだけが浮かび上がる。
風が、やわらかく抜けた。
「……ありがとうだって」
れんが、小さく言った。
誰に向けたものかは、聞かずとも分かる。
俺は一度だけ、墓を見やる。
そして背を向けた。
「では、引き上げよう」
短く告げる。
誰も逆らわない。
光の中に残された墓を背に、
一行は静かにその場を離れていった。




