戦場(いくさば)
夕暮れの光が、廃寺の柱に長く伸びる。
焚き火の煙が、ゆらりと揺れる中、
猿は地面にしゃがみ込んでいた。
「さっそくなんだけど――明日、五里離れた村まで行かないか?」
軽い口調。
だが、目だけが鋭い。
俺は、わずかに眉を上げる。
「……少し前から戦があってな」
猿は小石をつまみ、転がす。
「もうそろそろ、決着がつきそうなんだ」
その言葉に、空気が一段重くなる。
決着。
つまり――終わり際。
俺は、ゆっくりと息を吐く。
「危うくはないか?」
問いは短い。
猿は、肩をすくめる。
「そりゃ危険だよ」
あっさりと言う。
「でもな……最初に動かないと、お宝は全部持っていかれちまう」
火が、ぱちりと弾ける。
その音だけが、しばし沈黙を埋めた。
……
俺は、一晩考えた。
火が落ちたあとも、眠りは浅い。
遠くで犬が吠え、風が軒を鳴らす。
朝。
「猿。案内しろ」
短く言う。
猿の顔が、ぱっと明るくなる。
れんは、逆に肩を固くした。
俺は腰を落とし、れんの目線に合わせる。
そっと肩を抱く。
「これでも坊主だ。子供を危険にはさせない」
耳元で、低く囁く。
れんは、小さく頷く。
強張っていた表情が、わずかにほどけた。
……
道は、険しかった。
三つの山を越える。
木々の間を抜け、獣道を進む。
足元は不安定で、空気は湿っている。
やがて――
戦の気配が、風に混じりはじめる。
遠くの煙。
鉄の匂い。
その手前。
朽ちかけた廃寺が、ぽつりと現れる。
俺たちは、その中へと身を滑り込ませた。
……
早朝。
霧が、地を這うように流れていた。
三人は高台へ登る。
木々の間から、戦場が見える。
一面――死体。
色を失った鎧と、折れた槍。
そこに、まだ動く影がある。
兵たちだ。
死体のそばへ歩み寄り、
槍でひっくり返す。
反応があれば、喉を突く。
音もなく、終わらせる。
そして――
装備を剥ぎ、荷車へと放り込む。
れんは、目を伏せていた。
視線を上げない。
「あれは何をしている」
俺が問う。
「あれは勝った軍の足軽だ」
猿が答える。
「敗残兵の確認と、装備の回収」
淡々と。
俺は、さらに目を凝らす。
死体の上に、別の動き。
刃が、首へ入る。
切り離されたそれが、荷車へ運ばれていく。
「あれは?」
「首給だ。働きに応じて、報酬が出る」
猿の声は、乾いている。
「首を取れば、その分だけ銭になる」
れんの手が、法衣の裾を強く掴む。
指が白くなる。
俺は、その手を一瞬だけ見る。
「あの中に、取りに行くのか?」
視線は外さないまま、問う。
「まさか」
猿は肩をすくめる。
「おいらたちが行くのは、あいつらが一通り取り終わったあとだ」
大木の根に腰を下ろす。
「残りもんさ」
風が、低く吹いた。
足軽たちは、黙々と手を動かし続ける。
同じ動き。
同じ音。
少しずつ、戦場の姿が変わっていく。
装備は剥がれ、
荷車が行き交い、
目に見えるものは減っていく。
整っていくようで――
違う。
陰が、濃くなる。
太陽が頂に差しかかるころ、
腐臭が、強くなる。
熱にあてられ、
空気が重く淀む。
やがて、足軽たちは去っていった。
静寂。
残されたのは、動かぬものだけ。
俺の目には――
黒いなにかが、地を這うように見えた。
揺らぎながら、漂う。
その中へ。
一人。
また一人と、男たちが入っていく。
歩き方が違う。
視線が違う。
何かを探す者の目。
その姿は、どこか歪んで見えた。
「あれは?」
俺が問う。
猿は、短く答える。
「おいらたちの――同業だ」
れんを見る。
じっと、目を伏せたまま動かない。
無理もない。
ここは、生々しすぎる。
怒声が飛ぶ。
「それは俺のもんだ!」
「いや、俺が先だ!」
振り向くと、男同士が刀を奪い合い、殴り合っている。
血と泥が混じり合う。
俺は、猿を見た。
「いつも、あぁいう感じなのか?」
猿は、一瞬だけ目を合わせ――逸らす。
答えは、それで十分だった。
「あそこには行けぬ」
短く、言い切る。
「でも……それじゃあ……」
猿が言いかける。
「こっちに来い」
俺は、二人を促した。
……
戦場から少し離れた場所。
草が、一面に広がる。
風が通る分、空気はわずかに軽い。
俺は、足を止めずに歩く。
視線だけを地に落としながら。
しばらくして――
「……おぉ、あれだ」
駆け寄る。
草に半ば埋もれた躯。
俺は、膝をつく。
そっと首元に触れる。
かすかな温もり。
しかし、脈はない。
「……生きてはおらぬか」
低く呟く。
目を閉じ、手を合わせる。
「かんじーざいぼーさつ……」
静かに、経を唱える。
風が、草を揺らす。
やがて、俺は目を開く。
「猿」
短く呼ぶ。
「装備を取れ」
猿が、躊躇いながら近づく。
その手が、鎧に触れる。
れんは、少し離れたところで、じっとその様子を見ていた。
「これで、稼ぎはどうだ?」
俺は立ち上がり、猿に目を向ける。
猿は、小さく頷いた。
手にした装備を見て、確かな手応えを感じている顔だ。
だが――
俺は、もう一度、足元を見る。
横たわる躯。
草が、静かに揺れている。
「……困ったな」
ぽつりと漏れる。
「埋葬する道具がない」
土を掘る術も、時間もない。
猿は、あっさりと答える。
「みんな、埋葬なんてしないよ」
その言葉は軽い。
「あとで、どっかの坊さんが来てさ。まとめて埋めるんだ」
まるで、当たり前のことのように。
風が吹く。
俺は、しばらく動かなかった。
やがて、再び手を合わせる。
「……すまんな」
誰にともなく、そう呟く。
そして、ゆっくりと背を向けた。
……
廃寺の中に、沈黙が落ちる。
風が抜けるたび、柱がわずかに鳴る。
「……誰かいるのか?」
俺の声は、低く広がる。
返事はない。
だが――気配がある。
視線の端で、何かが揺れるような感覚。
れんは、俺の袖をぎゅっと掴む。
怯えが、はっきりと伝わる。
物の怪か。
俺は、あえて気にしないふりをする。
……
火を起こし、鍋に水を張る。
野菜を入れ、粥を煮る。
やがて――
(ぐぅ~)
はっきりとした音が、静寂を破る。
俺は、わずかに笑う。
「腹の虫も騒いでおるな」
火を見つめたまま、声を上げる。
「どなたか知らぬが、我らは旅の僧。袖触れ合うも多少の縁――腹の虫の音を聞くも、また縁だ」
少し間を置く。
「出てきなされ。一緒に飯を食おう」
沈黙。
そして――
(がらがらがら)
戸の向こうで音がした。
現れたのは、足軽。
粗末な鎧。
疲れ切った目。
俺は、じっと見る。
「椀はあるか?」
足軽は、首を横に振る。
俺は、何も言わず、鍋に手を伸ばす。
粥をすくい、自分の椀に注ぐ。
湯気が立つ。
そのまま、手を差し出す。
「……ほれ、食え」
足軽は、一瞬ためらい――
やがて、震える手でそれを受け取った。




