第12話 報告
「陛下。調査結果がまとまりました」
皇城における皇帝アゼルハルトの執務室にて。彼が書類に署名を行っていたところ、扉の向こうから声がかかった。
「入れ」
彼の声と共に入ってきたのは、皇帝直属の調査を専門とする近衛騎士である。騎士は数枚の書類を手にしており、その表情には明らかな緊張が浮かんでいる。
「女官として採用されたリナという者について、後宮に入るまでの経歴を調べました。まず、彼女が提出した身分についてですが——」
「彼女の名は偽名だろう」
アゼルハルトは書類から目を上げた。
「リナという名が偽名である事については、すでに確認が取れています。出征記録や移動記録、過去の奉公先を照合しましたが、該当する人物が見つかりませんでした。また彼女が後宮へ入る際、通常の採用経路とは異なる推薦状が使われています」
彼の眉がわずかに動く。
「推薦者は誰だ」
「侯爵家が元当主、現在は爵位を返上していますグレヴァン男爵家の当主です」
「男爵家?」
「はい。現在の爵位は男爵ですが、先代までは伯爵位を所持していた家です。しかし財政難によって領地の大半を失い、現在は小さな領地のみを所有しています」
報告を聞き、アゼルハルトは腕を組んだ。そこまでは珍しい話ではない。帝国には、かつて大きな領地を所有していたものの、戦争や事業の失敗、後継者争いなどによって没落した家がいくつもある。
問題は、別にあった。
「なぜ、その者が平民の女を後宮へ推薦できた」
「はい。通常、後宮に入る女官や侍女は、身元が確認された者の中から採用されます。特別な技術を持つ者や、宮廷に仕える家系の者であれば推薦による採用もありますが、彼女にはそれに該当する経歴がありません」
「では、なぜ通った」
「元侯爵であるグレヴァン家であるからだと思われます」
帝国では、身分の低い者が宮廷で働くこと自体は珍しくない。料理人や庭師、洗濯女など、その多くは平民だ。そのため、平民であることそのものが問題なのではない。問題なのは、身元の曖昧な人物をわざわざ一人の貴族が推薦し、後宮という場所へ送り込んだことである。
「推薦者は彼女とどういう関係だ」
「遠縁の者から頼まれただけだと聞いております」
「それは、本人から聞いたのか?」
「いいえ。書状にてやり取りを行いました」
「ならば、私が直接聞こう」
彼の言葉に、騎士の顔が強張る。
「陛下ご自身で、ですか」
「皇帝の所有地である後宮に身元不明の女を送り込んだ貴族がいるのだろう? その意図によっては処罰も必要だ。私が聞くのが最も手早い」
皇帝の言葉に、騎士が反論できるはずもない。
その日のうちに、グレヴァン男爵は召喚された。男爵は、アゼルハルトが予想していたよりもずっと小柄な男だった。かつては伯爵だったという面影などほとんどなく、正装には何度も修繕した跡があり、目の下には深い隈が刻まれている。
「……皇帝陛下よりお呼びいただき、光栄に存じます」
「余計な挨拶は必要ない」
アゼルハルトは机の上に一枚の紙を置いた。
「この推薦状を書いたのはお前だな」
男は紙を見つめ、それから目を伏せる。
「……左様でございます」
「推薦した女とはどういう関係だ」
「それについては——」
「言葉を濁すな。お前は私に偽りを述べ、後宮に怪しい人物を送り込んだと判断し、処分を下すこともできるのであるぞ」
彼は声を荒げたわけではない。だが男は怯えた表情を浮かべ、肩を震わせた。
「……申し訳ございません」
「謝罪を求めているのではない。私は彼女の身元を知りたいだけだ。なぜ平民の女を、身元を偽り後宮へ送り込むような真似をしたのか。その理由を嘘偽りなく話せ」
しばらく沈黙が続いた。男は何度も唇を開きかけ、目を彷徨わせては口を閉じる。それを繰り返していたが、やがて大きく息を吐き、話し始めた。
「……あの子の母親とは、昔からの知り合いでした」
「母親?」
「はい。私がまだ伯爵家の跡取りとしてそれなりの暮らしをしていた頃、彼女の母親とは何度も顔を合わせていました。身分こそ違いましたが、古くから付き合いのある家同士だったのです。彼女の母親が亡くなる直前に、彼女が婚約者に虐げられているという話を聞きました」
婚約者という言葉を聞き、アゼルハルトの胸には説明のつかない苛立ちが生まれる。
彼女に婚約者がいたということ自体は、彼女本人から聞いたこともあり初耳ではない。彼女ほど整った容姿と穏やかな気質を持つ女性なら、家同士の都合や親の判断によって、幼い頃から将来の相手を決められていても不思議ではない。
それなのに、なぜ自分はこんなにも不快に感じるのか。その婚約者が、彼女を精神的に追い詰めていたからだろうか。だがそれだけではないということに、彼は気が付いている。
「詳しい事情までは知りません。私はあの子の家庭事情に深く関わっていたわけではありません。ただ、彼女の母親から頼まれたのです。『あの子にとって安全な場所を探してほしい』、と」
「……安全な場所」
男は苦しそうに目を伏せた。
「私は最初、遠くの町へ行かせるつもりでした。しかしあの子の婚約者はそれなりに力のある家の人間であったらしいので、普通に逃がしただけでは連れ戻される可能性があった。そこで、私の推薦で後宮へ入れることを考えました」
「後宮なら、皇帝の保護下に入る」
「そうです。少なくとも、外で一人になるよりは安全だと判断致しました」
アゼルハルトは片目を閉じる。誰かに強く言われるとすぐに謝り、まるで自分がすべて悪いかのように振舞う彼女。自分の意思よりも相手の感情を優先し、誰かに助けを求めることを躊躇う彼女。すべてが、一本の線に繋がっていくような感覚。
「……彼女の本当の名くらい知っているな」
「はい。アリアーナ嬢です」
アリアーナ。それが、彼女の本当の名。
「なぜ、私に事情を報告しなかった」
「……あの子自身が、誰にも本当のことを知られたくないと言っていたのです」
「そうか」
感情の籠らない短い言葉に、男はびくりと身体を震わせる。アゼルハルトに処罰されることを恐れたのだろう。しかし彼は感情を一切見せないまま、ゆっくりと立ち上がった。
「ならば、これ以上お前を責める理由はない。お前は彼女を売ったわけでも、利用したわけでもない。昔の知人の娘を救おうとして、出来る範囲で手を貸した。それだけなのだろう」
「……陛下」
「ただし、一つ覚えておけ」
彼の瞳が鋭くなる。
「今後、彼女に関することを私へ隠すな。あの女は、既に私の保護下にある」
「承知致しました。寛大なお心に感謝致します」
男が退室した直後、再び執務室の扉が勢いよく開かれる。
「失礼します、陛下!」
駆け込んできた近衛騎士の顔色を見た時、アゼルハルトは嫌な予感を覚えた。
「どうした」
「陛下が気になさっている侍女について、後宮より至急の報告がございます」
「彼女の身に何かあったのか?」
「……リナ殿が、後宮内から姿を消したとのことです」
アゼルハルトの眉が顰められる。
「どういうことだ?」
「申し訳ございません。正確には、昨日から行方が分からなくなっていたことが先ほど判明いたしました。門番が言うには、彼女が門から出た記録はないとのことです」
ただでさえ感情の薄かった彼の顔から、すべての感情が消え失せた。彼が後宮を開けたのは昨日からであり、丁度その日に彼女が姿を消した……。彼女はいずれ後宮から出る計画を立てているようだが、それにしては唐突すぎるのに加え、裏にある悪意を感じ取った。
「後宮の門を閉じろ。彼女の捜索を行え」
「承知いたしました!」
騎士が走り出す。その背中を見送りながら、彼は拳を握りしめた。後宮内で姿を消した原因として考えられるのは、やはり別の侍女の仕業だろうか。アゼルハルトが彼女に入れ込んでいるということを妬み、彼女の嫌がらせを行っている者がいるという報は何度か受けている。
「……ふざけるな」
低い声が漏れた。リナ——アリアーナは、誰かに傷つけられることを恐れて安全な場所を求めたとのことである。後宮ならばと思ったのだろうが、後宮であっても同じことを繰り返す人間がいるのだ。
彼自身も後宮へ戻る準備を整えていた時、慌ただしい足音が響いてくる。そして、先ほどとは別の騎士が駆け込んできた。
「陛下! リナ様を閉じ込めたという侍女が名乗り出てきました!」
「そうか。彼女は今どこに?」
「後宮北にある旧倉庫です。今すぐに救出しますか?」
「……いや。私が行くまで待て」
彼女の体調を顧みるのであれば、今すぐに救出することが正しいのだろう。そう分かっていたとしても、彼は自分の手で彼女を助け出したいと思ってしまったのだ。




