第11話 救い
それくらいの時間が経ったのか、もう分からなくなっていた。
時間の感覚が壊れそうな暗闇の中で、私は膝を抱えたまま壁にもたれかかり、ただひたすら扉の向こうから聞こえてくる音に耳を澄ませていた。
お昼から、何も食べていない。水もほとんど飲めていない。そのせいか、頭がくらくらしてきた。何度も叫んだのも原因の一つだろう。
最初のうちは、きっと誰かが気づいてくれると思っていた。でもこの場所は、人の出入りが少ないとあの侍女も言っていた。途中で何度か人の気配がしたこともあったけれど、その人たちが助けてくれることはない。私がいることを知っていて、あえて助けないのだ。私をこのまま閉じ込めて、殺すつもりなのだろうか。とても、怖い。
「……寒い」
自分の声が遠く聞こえる。床から伝わってくる冷気が、身体を冷やしていく。腕で身体を抱きしめても、冷たいままだった。頭がぼんやりとしているので、考えようとしても思考がうまくまとまらない。
それでも、眠ることはできなかった。怖いのだ。もし眠ってしまえば、このまま誰にも気づかれずにずっと眠ってしまうのではないか、と思ってしまう。
目を閉じそうになって、必死に開いて。何も変わらない暗い部屋を見つめて、時々扉を叩いて、返事がないことを確認して。それを何度繰り返したのか分からない。そのうち私は、小さな声であの人の名前を呼んでいた。
「……アゼルハルト様」
その名を口にしただけで、胸が痛くなる。私は、何をしているのだろう。あの人から離れなければとずっと思ってきたくせに、私が一番会いたいと思っているのは、他でもないあの人だった。
「……たすけて、ください」
誰にも声が届かない部屋で、私は願っていた。
「アゼルハルト様……お願いです、私を……迎えに来て、ください……」
言葉にした時、涙が頬を伝った。
私は、こんなにも追い詰められていたのだ。今までは、ただ強がっていただけ。陰口を叩かれて嫌がらせをされても、私は大丈夫だと思っていた。逃げる場所を見つけたのだから、もう誰にも怯えなくていいのだと自分に言い聞かせていた。
けれど……こんな暗い部屋に一人きりで閉じ込められてみれば、そんな強がりは簡単に崩れてしまう。私は結局、一人では何にもできないのだ。その事実を思い知らされて、悔しくて、情けなくて、涙が止まらなくなった。
強く目を瞑り、膝に顔を埋めたその時。遠くから、足音が聞こえた。
複数の人が走っているようだ。最初は夢と混ざった幻聴かとも思ったけれど、確かに聞こえてくる。私は慌てて立ち上がった。足に力が入らずにふらついたけれど、扉へ向かう。
「あの……! 誰か、開けてください!」
全力で叫んで扉を叩いた。すると、すぐそばで足音が止まった音が聞こえてくる。
「この部屋です」
そして、聞き覚えのある男性の声がした。彼は、皇帝陛下の護衛の一人だったはず。続いて、別の声も響く。
「陛下、こちらの扉は外から施錠されているようです。鍵を開けさせますので、しばらく——」
「必要ない」
低い声が聞こえた。その声を、私はよく知っている。この後宮に来てから、何度も聞いた。いつも落ち着いていて、冷静で、何を考えているのか分からないような声。それでも今聞くと、安堵から力が抜けてしまいそうだった。
「扉を壊せ」
彼の命令の直後、轟音が響いた。扉が大きく揺れて、私は急いで後退る。
二度目の衝撃で木が大きく軋み、三度目には蝶番が外れた。扉が内側へ倒れ込んできて、反射的に腕で顔を庇う。その向こうから、光が差し込んだ。眩しかった。暗闇に慣れた目には、廊下の明かりがあまりにも強い。
「……リナ」
その声を聞いた瞬間、身体から力が抜けた。倒れそうになった私を、誰かが抱き止めてくれる。大きな腕だ。温かく、微かに馴染みのある香りが香ってくる。
顔を上げると、すぐ傍には皇帝陛下がいらっしゃった。相変わらず美しい姿をしているけれど、いつもよりも冷静さがない。鋭い目が私の顔、唇、手、腕へと何度も移動して、私を見つめている。
「……陛下」
声が震えた。陛下は何も言わず、私を抱き上げる。
「きゃ……」
「無理に立つ必要はない。もう歩かなくてよい」
その声は淡々としていたけれど、とても優しい。私は彼の胸元にそっと額を預けた。無礼なことだと分かっていたけれど、彼の温もりに浸っていたくて、気が付けばそうしていた。
「遅くなって、すまない」
「……どうして」
声が上手く出せない。
「どうして、来てくださったのですか……」
陛下の腕に力が込められた。
「お前が突然姿を消したからだ」
「ですが……わたくしは……」
「お前がいつもの時間になっても来なかった。私が仕事を変えたのかと思って確認したが、そのような指示は出していない。お前の部屋へ行かせれば、部屋にもいないと言われた。後宮中を探させたが見つからない。そこでようやく、お前が誰かに消された可能性を考えた」
その説明は淡々としているけれど、その声を聞いているだけでよく分かった。陛下は、とても怒っている。
「……わたくしが自ら後宮を出たとは、思われなかったのですか」
尋ねると、陛下は少し考えてから答えた。
「そうだな。その考えは、真っ先に考えた。だがお前は何も言わずに消えるような人間ではないだろう。少なくとも、私が知っているお前はそういうことをしない。それに、今回の件はかなり妙だった。いつもお前は、私から距離を取ろうとするにせよ仕事だけは最後までこなす。だが突然、すべての仕事を放棄した。それが、お前の意思だとは思えなかったのだ」
胸の奥が熱くなった。この方は、私が思っていたよりもずっと、私のことを見てくださっている。
「……怖かったです」
気づいたら、言葉がこぼれていた。
「閉じ込められて……ずっと誰も来なくて……私、このまま誰にも見つけてもらえないんじゃないかと思って……」
「もう大丈夫だ」
「でも……」
「大丈夫だ、リナ」
陛下のはっきりとした声は、私の心を落ち着かせてくれる。
「お前を一人にすることはない。二度と、このような場所に閉じ込められるようなことはさせない。私が許さない」
その言葉を聞いた途端、堪えていたものが全部崩れてしまった。私は彼の服を掴み、目を瞑る。
「……怖かったです……」
「ああ」
「ずっと、怖かった……」
「もう無理はしなくともよい。今日は私の部屋で休め」
私は何度も頷いた。そして、彼の胸に顔を埋めたまま、泣いた。
泣きながら思った。私は、この方に会えてよかった。と。陛下に抱きしめていただけるだけで、こんなにも安心してしまう。
この時の私は知らなかった。私を抱き上げた陛下の目が、私には見せたことのないような冷たさをしていたことを。
私が泣き疲れて眠った後、彼は侍従に命じていた。
「……誰が、この部屋を管理している」
それは静かな声だったが、その場にいた騎士たちが一斉に緊張するほどの冷たさがあった。
「現在、調査しております。こちらの建物の管理記録から、関係者を確認して——」
「この後宮にいる者は、全員例外なく調査対象にしろ。侍女も妃も、身分を問わない。私の許可なく彼女を呼び出し、彼女の職務を変更し、彼女の食事を止め、そしてこの部屋の鍵を持っている者をすべて確認する」
彼は恐ろしい顔をしていたそうだが、私を抱き上げるその腕の力はずっと優しいままだった。




