8・私に構わないでください
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『クラリス、君はどうして使用人を虐めるんだい?』
学園のお昼休み。
中庭でフェリクスとお昼ご飯を取っていると、不意に彼がそんなことを聞いてきたことがある。
『あら、あれは虐めているのではありません。教育しているだけですわ』
私は彼の問いかけに少しも動揺せず、優雅にそう答えた。
その時の私は、本当にそんな意識がなくて。
これが貴族としての振る舞いだと本気で思っていた。
『教育するにしても、もっと優しく出来るんじゃないか? 聞いてるよ。君んとこの使用人、長く続かないって』
『優しくするだけでは、相手をつけ上がらせる原因となります。なにか大きな失敗があってからでは遅いですわ。それに……厳しくしているつもりはございません。だって私は当たり前のことを指摘しているのですから』
『……そうかい』
フェリクスは寂しそうな表情を見せた。
あの時の私では彼の表情の意味が分からなかったけれど……今なら分かる。
フェリクスは私に変わって欲しかったのだ。
しかし私が少しも悪びれておらず、かつ変わる意思などなかったから、呆れていたのだと思う。
『君は美しい女性だ』
そう言って、フェリクスが私の頬に手を当てる。
ただそれだけだというのに、私の胸はキュンと脈打った。
『僕はみんなにも君の良さを知って欲しい。使用人や同級生から、君が悪く言われているのが耐えられない』
『分かる人に分かればいいのです。私はフェリクス様にだけ愛されていれば、それで満足です』
『僕はそうじゃないんだ」
とフェリクスは私に口づけをする。
脳内がクラクラと溶けていくような幸せ。そんな微睡の中、私は目を閉じて彼の愛情を受け止めていた──。
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「……どうかされましたか? クラリス様」
オレリアが顔を覗き込んできたが、私は「なんでもない」と返事をする。
どうして今更、思い出してしまったんだろうか。
まだ私が幸せだった時代。
私はフェリクスのことを愛していたし、彼もその気持ちは同じだと思っていた。
しかしそう思っていたのは私だけ。
実際はあの時既にフェリクスは泥棒猫の毒牙にかかっていた。だから、あれは最終通告みたいなものだったのだろう。
あの言葉で私が変わっていれば、未来は違っていた……とまではいかないと思うが、少しは罪が軽くなっていたのかもしれない。
あんなに優しかったフェリクスが、私を断罪する時には豹変していた。それがとても悲しかった。
思えば……あの時のフェリクスはいつもと様子が違っていて、違和感があったが……それを確かめる術はもうない。
「あっ、次はわたくしたちの順番ですよ。行きましょう!」
「え、ええ」
本当は逃げ出したいけれど、オレリアがそれを許してくれないのでもう諦めることにする。
無難に……『空気』に徹しよう。
他の令嬢が道を空けてくれて、私たちはフェリクスの前にようやく立てた。
「本日はご招待いただき、ありがとうございます。わたくしはオレリア・バシュレ。フェリクス様に至りましては、本日も麗しゅう……」
「ああ、バシュレ男爵のご令嬢さんだね。君のことは男爵から聞いてるよ。なんでも、優秀らしいね」
フェリクスが微笑みを浮かべると、オレリアの頬が桃色に染まった。
「ク、クラリス様! フェリクス様がたかが一男爵令嬢のわたくしをご存知したよ!? 素敵な人ですわ……」
「そ、そうね」
オレリアが興奮した様子で私に耳打ちしてきたので、適当に返事をする。
フェリクス……十歳なのに女性の扱い方を分かっている。これで婚約者が今までいなかったのだから、末恐ろしいことだ。
それに彼はとっても勉強家。
学園時代のフェリクスも成績ではいつも一番か二番だった。彼の頭の中には既に、周辺の貴族の情報が全て入っているだろう。
そう……欠点なんてないのだ。
過去の経験がなければ、二度目の人生でも彼に惚れていたのかもしれない。
まあ! 今の私はなんにも思わないけどね!
「クラリス様、次はあなたの番です。応援しています……!」
「あ、ありがとう」
私はオレリアに背中を押されて、フェリクスに一歩近付く。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。私はクラリス・ギヴァルシュです」
「ああ、君のことも色々と知ってるよ。今日は来てくれてありがとう」
相変わらず、フェリクスは顔に微笑みを携えている。
色々……ね。
こいつのことだから、私が屋敷の使用人から評判が悪いことも知っているのだろう。
でもその嫌悪感を表に出さない。
ほんと、上手く立ち回る男だわ。
「…………」
「……? クラリス伯爵令嬢? どうしてなにも喋らないのかな? それにさっきから、視線を合わせてくれないんだけど……」
首を傾げるフェリクス。
もちろん、私がこうしているのは彼の記憶に残りたくないからだ。下手なことを喋って、万が一にでも好感を持たれたら困る。
「もっと顔を見させてくれないかな。せっかく、そんなキレイな顔をしているんだから……」
とフェリクスが私の体に触ろうとした。
さりげない仕草だったので、特に不快になるものでもない。周囲の人も違和感なく、この光景を眺めていたはずだ。
しかし──この時、過去のトラウマが甦ってしまった。
『クラリス……信じてたのに……』
悲しげな表情でそう告げるフェリクスの顔だ。
だから私は咄嗟に彼の手を払い除けてしまって……。
「わ、私に構わないでください!」
…………。
……はっ!
私、とんでもないこと言っちゃった!?
「え……」
フェリクスは戸惑いの表情。
オレリアも口元に手を当てて固まってる。
それは他の人も同様だったみたいで、氷漬けになったように場は静まり返っていた。
「ち、違うんですっ!」
さすがに公爵相手にこれはまずい。
私はあたふたとしながら、こう弁明した。
「わ、私……昔にちょっと嫌なことがありまして、それ以来男性が苦手なのです。だからこんなことを言っちゃって……」
私、なんでこんなことしちゃったのよ!?
そりゃあ、フェリクスには好かれたくない。嫌われてくれるなら万々歳だ。
しかし伯爵令嬢である私が、公爵家の『黄金の貴公子』にこんな真似をしたら、どうなるだろうか?
あまりに不敬な行動だったし、今後なにかしらの罰が与えられても仕方がない。
だけど彼は優しかった。
「は、はは。そうだったんだね。そうとは知らずに、触ろうとして申し訳ない」
誠実に謝罪するフェリクス。
「あ、謝らないでくださいっ。私が全て悪いんですから。私のことは恨むなり嫌うなり、お好きになさってください……」
さすがにこれで処刑とまではいかないだろうけど……今はちょっとでもダメージを減らすことが肝心だ。
さっきからメチャクチャなことを口走っている気がするが、私の意思では止められない。それほど、先ほどの行動は私としても想定外だったのだ。
「と、取りあえず、私はここでお暇させていただきますわ。フェリクス様、重ね重ね本日はご招待いただき、ありがとうございました。では!」
強引に話を打ち切って、フェリクスの前から去る。
「ちょ、ちょっと待って! 君ともう少しお話し……」
背中からフェリクスがなにかを言っているような声が聞こえてきたけど、今の私は逃げることで頭がいっぱいだった。
「ク、クラリス様! どこに行かれるのですかーーーー!」
そんな私をオレリアが慌てて追いかけてきた。
どうしよう……とんでもないことしちゃった。
しかしものは考えようだ。『空気』になることは出来なかったけど、これでフェリクスには完膚なきまでに嫌われただろう。
いきなり手を払い除けて、「構わないでください!」と口にする女を好きになる男なんていないはず。
やってしまったものは仕方がない。前向きに考えよう。
そう自分に言い聞かせながら、一度も振り返らずにその場を後にした。
……そして数日後、事態は急変する。
なんとアーシャル公爵家から、フェリクスと私の婚約話が舞い降りたのだ。




