70・チェックメイト
(……体が動かぬ)
ヘルムートは真っ暗闇の中。
なんとかしてこの状況を打破しようとするが、どれだけ頑張ってもせいぜい指一本くらいしか動かせない。
(間抜けな話だ。友のピンチだというのに……)
そう──ヘルムートには意識があった。
だが、意識があるだけだ。
ご覧の通り、目を開けることすらままならない。
聴覚は働いているため、クラリスたちとケイシーのやり取りは聞こえていたが……それに加勢するなどもってのほかだった。
『ごめん、ヘルムート。すぐに戻ってくるからね!!』
クラリスの切羽詰まった声と共に、部屋から走り去る音も聞こえたきた。
耳から入ってくる状況だけを頼りにすると、クラリスたちはケイシーを逃してしまったらしい。
そしてクラリスたちはそれを追いかけていった……と。
(フェリクスとクラリスが心配だ。ヤツはまだ、なにかを隠し持っているような気がする。だが、指一本くらいしかまともに動かせない俺では、彼らの手助けをすることも出来ぬ)
なにも出来ない自分の歯痒さに、胸が押し潰されそうになっていると……。
ギイイィッ。
扉の開く音。
続けて、室内に誰かが入ってくる音と気配がした。
(誰だ? 今この別荘内にいる人間は、ケイシーの闇魔法で眠らされているはずだ。今、まともに動けるヤツはここにはいないはずだが……)
警戒するが、相変わらず体は動かせない。
部屋に入ってきた者の足音は次第に大きくなり、こちらに近付いてくるのが分かった。
そしてその者は足を止める。
「無様な姿ですね」
女の声だった。
(この声、まさか……!?)
その人物の名が頭に思い浮かぶが、いかんせん視界が遮断されている。
自分の推論を確かめる術はなかった。
「本当にみんな、バカですね。みんな揃ってクラリスクラリスクラリス……って、どんだけあの女のことが好きなんですか」
と女は溜め息を吐く。
「声は聞こえているんでしょう? もし、動けるようになったら、あなたはどうするつもりですか? クラリスを助けにいくつもりですか?」
(当たり前だ)
心の中で、ヘルムートはそう即答する。
「どうして? クラリスを助けても、彼女はあなたのことを好きになってくれないですよ? 全てが終わったら、またフェリクスといちゃいちゃするに決まっています。だったら、殿下がクラリスを助けても損するだけじゃないですか」
(──っ!)
今度は即答出来ない。
(そうだ。俺はクラリスのことが好きだ)
その気持ちは、若草祭の時に気が付いていた。
そして正々堂々とフェリクスと勝負をして、クラリスを自分ものにしたかった。
この劣情を、自分の内に押し留めることはどうしても出来なかったからだ。
だが、クラリスたちとそう短くない時間を過ごして、ヘルムートは確信した。
彼女の愛はフェリクスだけに向けられている。
(俺には最初から勝ち目がなかった)
気付かされた。
どれだけ頑張っても、クラリスは自分のものにならない。
今回のことが終わっても、彼女の心に残るのはフェリクスへの深い愛情だけだ。
(だったら俺は……どうして彼女を助けようとする?)
「わたしの質問に答えられないんですか?」
まるで彼女はヘルムートの心情が読めるというのだろうか。
挑発的な口調で、そう問いかける。
(……いや、くだらぬ)
しかしヘルムートは数瞬の逡巡で、その迷いを振り切った。
(俺が彼女を助ける理由──俺がなにをしたいのか。それら全ての答えは、前から決まっていたんだ」
不思議な感覚だ。
前からとはいうものの、それは有り得ないもう一つの未来で自分が下した決断のようにも思えたからだ。
ヘルムートが答えを決めると、女の声の調子が変わった。
「……そう。やっぱりですか」
首を女の手で掴まれた感覚がした。
「だけど、わたしは気に入っていませんから。世界の理に抗うあなた──そしてクラリスもね」
彼女の手から魔力が溢れ、それはヘルムートの体に侵食し──。
◆ ◆
「はあっ、はあっ……どうしてだ。どこで間違った?」
森林を駆けながら、ケイシーは先ほどの行いを振り返っていた。
「僕の計画は完璧だったはずなんだ。それなのに……どうしてあの二人には、僕の闇魔法が効かない?」
さらに魔封じの矢があんなところにあるなんて、予想外だった。しかもダーツの矢に偽装されていて、見破れなかった。
だが、そのおかげで魔封じの矢は本物のものより効果時間が短い。こうしている間にも、徐々に魔力が元に戻っていく感覚がある。
そう考えながら、ケイシーは魔封じの矢の効果が切れる時間を稼ぐため。
そしてもう一つは灯台にいるはずであろうロレッタと合流するため、森林を駆け抜けていた。
地面がぬかるんでいるせいで、何度か転んでしまう。
しかしここで足を止めてしまえば、クラリスたちに追いつかれてしまうだろう。
ゆえにケイシーはすぐに立ち上がり、灯台に向かってひた走る。
やがて森林を抜け、小高い崖の上に立つ。
「おい、ロレッタ! 聞こえているだろう? 僕に力を貸せ!」
そしてそこに聳え立っている灯台に、叫んだ。
……だが、答えはない。
「まさか……逃げ出したのか?」
どうして……?
隷属の首輪がある限り、そんなことは不可能なはずだ。それなのにロレッタからの返答がないということは……。
「くそっ! あの食わせ物王子。隷属の首輪というのは嘘だな!?」
地団駄を踏む。
(ここまで全て計算通りにいっていない。天才の僕がフェリクスなんかに敗北するのか……?)
……いや、まだ勝算はある。
魔封じの矢は、あと少しで効果が切れる。今の状態でも簡単な魔法くらいなら使えるだろう。
(ならば、もう少し時間を稼げば、ヤツらに勝てる!)
そう思い、その場から走り去ろうとすると……。
「チェックメイトよ! ケイシー!」
ケイシーが愛する女の声が、彼の耳朶を震わせた。




