47・大人気ないヘルムート
「先ほどから、気になっていたが……」
自分が教えている子どもたちに「少し待ってろ」と言い残して、ヘルムートは席を立った。
そして勉強を放棄──しているように見える男の子の前で立ち止まった。
「な、なんだよ」
男の子はヘルムートの分厚い胸板に気圧されているよう。
「名前はなんという?」
「ブ、ブノワだ」
「ブノワか。良い名だ。しかし……クラリスの話をちゃんと聞いていないのは、頂けない。勉強が嫌いか?」
「……っ!」
男の子──ブノワが言葉に詰まる。
その不穏な雰囲気に、フェリクスとオレリアも気付き席を立とうする。しかしそれを私は手で制する。
ここは彼に任せておく方が、良いような気がしたからだ。
「な、なんだよ。お前もシスターのように『勉強しろ!』って、言うつもりなのか?」
お前……って。
子どもとはいえ、王子殿下に対してなかなか不遜な言葉遣いだ。
だが、ヘルムートはそれを意に介した様子はない。
私はそれに安心し、彼らのやり取りに口を挟まず、しばらく見守ることにする。
「そうじゃない。人には向き不向きというものがあるからな。勉強をしたくない者も、中にはいるだろう」
「だったら……」
「しかしお前ほどの歳で、可能性を閉ざしてしまうのはもったいない。言え。どうして勉強しない?」
ヘルムートが問う。
ブノワは彼の言う『可能性』という言葉が理解出来ないのか、少し混乱した様子ながらもこう口を動かした。
「お、俺は大人になったら騎士になるんだ! 騎士っていうのは腕っ節が肝心だろ? それなのに、こんなところで勉強している暇なんてない!」
「うむ……」
顎に手を当てて、一頻り考えるヘルムート。
「なるほど、お前の将来の夢は騎士か。それは立派な夢だ」
「だろ? だから俺は勉強なんてしなくてもいいんだ」
「一理ある。騎士というのは弱き者を守る仕事だ。そして弱き者を守るためには、机上の空論よりも腕っ節の強さが必要となる。賢いだけでは、敵の前に立った時に、弱き者を守れないからだ。しかし……」
ヘルムートはブノワにぐいっと顔を近付ける。
ブノワは一瞬体を引いたが、すぐにヘルムートに張り合うように真っ直ぐと彼の双眸を睨み返した。
「だからといって、それは勉強を放棄する理由にはならない。お前の考える騎士道は、適当な理由を付けて面倒臭いことから逃げるものなのか?」
「…………」
「それにさっきから視界に入っていたんだが」
そう言って、ヘルムートは部屋の壁に立てかけてある一丁の弓を見た。
「なかなか使い込んである弓に見えるが……あれはもしや、お前が使っているものか?」
「そ、そうだ。俺は弓が得意なんだ。あの弓を使って、将来は強い敵をバシバシやっつけるんだ!」
「ははは! 大した心意気だ。気に入ったぞ」
ヘルムートが笑うと、ブノワは少し気を良くしたように表情を緩めた。
「弓なら誰にも負けない自信があるんだ。たとえ……お前相手にでもね」
「ほほお、俺に歯向かうか」
その瞬間。
ヘルムートは不敵な笑みを浮かべる。
「では、どちらの弓の技術が上なのか勝負しようではないか」
「え? お前、弓なんか使えるのか?」
「昔、少し習っていたことがあってな。とはいえ、弓はあまり得意ではない」
「ふ、ふんっ。得意じゃないのに俺に勝てるっていうのか? いくら腕力が強くても、弓は狙い通りに射れないぜ?」
「弓にも腕力は必要だが……ブノワの言うことも間違っていない。そんなに自信があるなら、どうだ? 勝負を受けるか? まさかそこまで言って、勝負から逃げるような真似は……」
「上等だ! 受けてやる!」
勢いよくブノワが言う。
頭に血が上っているみたいだけど、先ほどまでまでヘルムートに抱いていた恐れはない。
弓に自信があるという言葉は嘘じゃないんだろう。
「よくぞ言った」
ヘルムートは愉快そうな口調で、さらにこう続ける。
「ならば、さっさと勉強に集中しろ。俺は苦手なことから目を背けている輩と勝負する気にはなれん。お前も負い目を感じたまま、勝負なんてしたくないだろう?」
「い、言われなくても分かってる!」
とブノワは教科書に視線を落として、ペンを走らせ出した。
先ほどまでとはうって変わって、すごい集中力である。元々、勉強の素質がないわけではないのだろう。
それを見て、ヘルムートは満足げな表情を浮かべてから、その場を去ろうとした。
「ヘルムート、ありがとね。私のために言ってくれたのよね?」
きっとブノワが勉強に身が入っていないことに気付いて、こう声をかけてくれた。
なかなかどうして、この男は子どもの扱いが分かっている。
だが。
「くっくっく……なにを勘違いしている? 俺はその気に入らない子どもの鼻っ面を折りたかっただけだ」
「へ?」
「そいつの自信を木端微塵に打ち砕いてやろう。俺に喧嘩を売ったことを後悔させてやる!」
……前言撤回。
やっぱり、ヘルムートは少々大人気ない男だった。
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