48・矢を射たれた経験
それから勉強は滞りなく進行された。
そして午前が過ぎ。
お昼ご飯をすぐに食べてから、私とブノワ、ヘルムートの三人で教会の中庭まで足を運んだ。
「あの的に、出来るだけ多く命中させた者の勝ちにしようかしら」
少し離れた位置にある木製のベンチの上に、等間隔にリンゴを三つ置く。
どうやら今年はリンゴが豊作だったらしく、近くの農家から余ったものを大量に譲り受けたらしい。
使った後は食べればいいだけだし、好都合だと思ったのだ。
審判……というか、勝負の見届け人は私。
準備が済むと、ブノワは腕まくりをして、
「よーし! お前らに俺の実力を見せてやる!」
と早くも意気込んでいた。
「はっはっは、では先手はお前に譲ろう。まずは見学させてもらおうか」
一方、ヘルムートはリンゴを齧りながら、そう口にする。
なかなか呑気なものである。
「あなた……弓なんか使えたの?」
「そこの少年にも言っただろうが。得意ではないが、勝負には問題ない」
「だったらいいんだけど……」
なんというか……ヘルムートは剣のイメージがある。学園の授業でも、大概が模擬剣を使っているしね。
別に勝つ必要はないんだけど、ここまで啖呵を切ったんだから呆気なく負けるのは、それはそれでカッコ悪い気がする。
その油断が命取りにならなければいいのだけど。
「ああ、見てろよ!」
そう言って、ブノワが弓を引く。
大人用の大きい弓なのに、その姿はなかなか様になっている。
ちなみに……矢は矢尻部分がタオルでグルグル巻きにされた訓練用のものだ。
子どもが多い教会で、まさか本物の矢を置いておくわけにはいかなかっただろう。
「えいっ!」
ブノワによって放たれた矢は真っ直ぐリンゴに向かっていた。
しかし惜しくも外れ、リンゴのすぐ傍に着弾していた。
「ふんっ、お前の実力はその程度か?」
「まさか」
ヘルムートから挑発されても、ブノワは冷静さを崩したりしない。
弓というのは精神で大きく左右される武器だ。
こういった精神力の強さも、ブノワに才能がある裏付けに思えた。
結局、三つのうち一つしかリンゴにしか矢は当たらなかった。
だけどこの歳で、大人用の弓を使ってこの成果は上々と言えるだろう。私がやってたら、一つも命中させられなかったに違いない。
「どうだ!」
満足した結果だったのか、ブノワが得意げな顔になる。
しかしヘルムートは余裕の表情で、
「なかなかやるではないか。口だけではなかったようだな。だが、それでも尚……俺には届かない」
と食べかけのリンゴを私に渡して、ブノワから弓を受け取った。いや、どうして私がこれを持たねばならぬのだ。
後で文句を言ってやろう……と思っていたのも束の間、今度はヘルムートが弓を引く。
凛々しい姿。
側から見ててもすごい集中力で、仮に私が話しかけても彼の耳には届かないだろう。
そして……発射。
「ああ!」
ブノワが声を上げる。
ヘルムートによって放たれた矢は見事命中し、リンゴをベンチから落とした。
「うむ……久しぶりだから調子が悪いな。真ん中から四ミリ外れてしまった」
だが、ヘルムートはこの結果に不満げである。
この一射を見て、私は確信する。
勝負あり──と。
それからは私の予感通り、ヘルムートは三つのリンゴ全てに矢を命中させた。
「そ、そんな……」
がっくしと項垂れるブノワ。
相当自信があったんだろう。顔は悔しさで染められていた。
「まあ……こんなもんだ。悔しければ、さらに精進を重ねるんだな」
悪役みたいな台詞を吐くヘルムート。
全然手加減しないのよね、この男。
まあ手加減してもブノワに伝わるだろうし、それはなんの解決にもならないと思うが。
「どうやったら、お前みたいに弓が上手くなるんだ?」
「俺みたいに……か。そうだな」
ヘルムートは難しい顔をして考える。
「そう言われると難しいな。お前の弓の扱いもなかなかのものだった。絶対とは言えないが、将来は騎士になれる可能性も高いと思う。強いて言うなら、この調子で鍛錬を続け……」
あれ?
ヘルムート、気付いていないのかしら。
二人を見ていたらもどかしくなっていて、
「あなた、自分の弓矢がどういう風に飛ぶのかちゃんと分かってる?」
と、いつの間にか私は口を挟んでしまっていた。
「どういう風に飛ぶか……? そんなの、弓を引いたらぴゅーっと……」
「感覚で理解するのも大事だわ。でも、ちゃんと言語化出来るようにしとかないと。じゃないと、風を計算することも出来ないじゃない」
「言語化……? 風……?」
私の言ったことが分からないのか、ブノワが首を傾げる。
私は弓の素人だ。
まともにやったら、ヘルムートどころかブノワの足元にも及ばないだろう。
しかし私には死に戻り前の記憶がある。
ロレッタに断罪されて地下牢に入れられるまで、私はしばらく逃亡生活を強いられる時期があった。
もちろん、私には追っ手がいたんだけど……彼らは私を殺す気で追いかけていた。
その時、矢を射たれたことが何度かあるのだ。
あれは怖かった。
どこから飛んでくるのですら分からない矢を怯えて、私は常にビクビクしていた。
多分、死の危険があって否応がなしに飛んでくる矢を観察……そして分析する必要があったんだろう。
自ずと矢が飛んでくる軌道がなんとなく分かってきて、射線が通らない位置に隠れることが出来た。
だから。
「何度も弓の練習をしていたら、分かるようになるかもしれない。だけど人と同じことをやっていたら、この男には追いつけないわ」
だってこの男、どちらかというと天才肌だからだ。
得意ではないと言っていた弓ですら、この始末。
なんでも器用にこなしてしまう。
それなのに第一王子と第二王子の足元にも及ばないとは……つくづく、彼らのすごさに圧倒される。
「だから……あなたはもっと勉強しなさい。勉強なんて役に立たないってことはないわ。軌道や風の計算をするのも、勉強が必要になってくるでしょ? それはきっと、あなたの大きな財産になる」
「お、お前も弓が使えるのか?」
「え、ええ。もちろんよ」
反射的にさっと視線を逸らしてしまう。
……偉そうなことを言っているが、私の場合は生きるために必死だったから矢の軌道を計算する必要があったわけで。
当然、私自身が弓を使えるわけがない。
「そうだな……計算か。クラリスは面白いことをいう」
ヘルムートもそう賛同してくれる。
そして彼はブノワの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「その観点はあまりなかった。感覚で弓を使っているものだからな。だからこそ、俺は弓の射手として三流だったんだろう」
「お、お前が三流……」
「お前お前と言うな。俺にはヘルムートという名前がある。将来、騎士となった時、俺に会いにこい。その頃のお前の上司に口利きしてやる」
「は、はっは。どうしてヘルムートがそんなこと出来るのさ。おかしなことを言うな」
とブノワが笑った。
この子……こういう風に笑うのね。
学習部屋で見ていた時のブノワは、なにかに駆られているような余裕のない表情をしていた。
騎士になりたいという一心だけで、周りがよく見えていなかったんだろう。
だが、ヘルムートと弓の勝負をすることによって、自分よりも強い人がいる──世界は広いということを知っただろう。
それはなによりの、貴重な体験だと思った。
「お前にも助かった」
「私のこと?」
「お前以外に誰がいる。俺にはない視点を、こいつに打ち出してくれたな。全く……お前は底が知れん。まさか弓にも詳しかったとは」
勝手に私の評価を上げるヘルムート。
言えない……死に戻る前、追っ手の弓から逃げる必要があったから、身についたことだ……って。
「そういうあなたも、やるじゃない」
そう言うと、ヘルムートはきょとんとする。
「フェリクスやオレリアみたいに優しいわけじゃないけど……あなたはあなたなりの方法で、子どもと接することが出来ているわ。意外と学校の先生なんか向いているかも?」
「くっくっく、俺が先生か。まあ考えておこう」
さすがに王子が先生というのは現実的ではないので、冗談で言ったが……ヘルムートはそう笑いを零すのであった。




