40・お泊まり勉強会
「意外と片付いているんだな」
私の部屋に入った瞬間。
ヘルムートがそう声を上げた。
「なによー、散らかってると思った?」
「まあ……部屋の片付けは使用人がやってくれると思うし、よく考えると散らかっているわけがないのだがな。だが、イメージの問題だ。なんとなく、散らかってる気がした」
「私がずぼらって言いたいわけ?」
「…………」
顔をぐいっと近付けてヘルムートを問い詰めるが、彼から答えは返ってこなかった。
「まあまあ。それよりも早速始めようよ。せっかくの勉強なんだ。少したりとも時間は無駄にしたくないだろう?」
私とヘルムートを、そう宥めるフェリクス。真面目な彼らしい考え方だ。
「そうですわね! クラリス様。わたくし、数学が苦手なのです。教えていただけますか?」
「もちろんよ」
と私は頷いた。
私たちは大きなテーブルを囲むように座って、教科書や参考書を広げる。
フェリクスは黙々と。
ヘルムートは頬杖を突いて、面倒臭そうにペンを走らせる。
「オレリア、そこはこの公式を使った方が分かりやすいわよ。ほら……ここの変数に、さっきの数字を入れれば……」
「本当ですわ! あんなに難しかった問題が、簡単に解けるだなんて……まるで魔法みたい。クラリス様は魔法使いですか?」
「ふふんっ、数字の魔術師と呼びなさい」
オレリアに褒められた私は良い気分になって、そう返事をした。
「クラリス、僕にも教えてくれないかな?」
今度はフェリクスが、私にそう問う。
「フェリクスも? 珍しいわね。別にいいわよ」
「ありがとう。ここなんだけど……」
フェリクスが指差した問題は、さすがの私でもすぐに解答までの道筋を立てることが出来なかった。
「むむむ」
机から身を乗り出すようにして、フェリクスが開いている参考書を凝視する私。
「ちょっとここじゃ、文字がちっちゃくて見えにくいわね……」
それに対面だから文字や数字も逆さまになっていて、そのせいで思考が遮られてしまう。
ならば……。
私は席を立ち、フェリクスの隣に立つ。
彼はすぐに席を譲ろうしたけど、私はそれを手で制す。
「そうね、ここの問題は……」
「……っ」
フェリクスも黙って、参考書に視線を落としている。
だけどちょっと肩に力が入っているような? どうして私相手なのに、どうしてこんなに緊張しているのか。
そんなことを思っていると、
「おい、数学の魔術師。婚約者と近すぎるぞ」
ヘルムートから横槍が入る。
「え?」
「肌と肌が触れ合いそうではないか。数学の魔術師とフェリクスが婚約関係にあるのは分かっている。だが、こうも目の前で見せつけられると、俺とて癪に障る」
「なんで機嫌が悪くなる必要があるのよ。というか、数学の魔術師って呼ぶのをやめなさい!」
ヘルムートはイライラした様子で、人差し指でテーブルをとんとんと叩いていた。
「おや、嫉妬かい?」
「ほほお。お前も挑発的なことを言えるようになったではないか」
ヘルムートが立ち上がる。
フェリクスもそれを迎え撃つように、席から立った。
「おお……! 男と男の戦いですわ。譲れない戦いが、ここにはありますわ!」
その様子を見て、何故だかオレリアは興奮した面持ちで拳をぎゅっと握っていた。
「ちょっと、やめなさいよ。なんでこうなっているのか分からないけど、私の部屋で喧嘩は許さないんだから」
「喧嘩? 喧嘩とは少し違うな。何故なら、実力が自分より劣っている者と戦うのは喧嘩ではなく、ただの蹂躙なのだから」
「なにを言ってるのさ。クラリスの婚約者は僕なんだよ? 殿下に付け入る隙はないさ」
「くくく、お前は相変わらず面白い。俺にそんなことを言ってくるヤツなど、今までいなかった」
両者の間で火花が散る。
訳が分からないままだけど……このままじゃ、勉強が進まないわね。
仕方がない。
「えい!」
「痛っ!」
私は二人の間に割って入り、まずはヘルムートの額にデコピンをくらわせた。
「やめなさいって言ったでしょ! もーう! フェリクスも!」
振り返って、フェリクスにもデコピン。彼は額を押さえて、目を丸くした。
「二人とも、いつもは仲がいいのに、どうしてたまにそうやって張り合うのよ! そうやって切磋琢磨することも大事だと思うけど、ちょっとは落ち着きなさい!」
なにでスイッチが入ったのだろうか……理解に苦しむ。
だけどフェリクスもヘルムートも、相手に対して明確に敵意を飛ばすことはほぼない。二人とも、今まで張り合えるような他人がいなくらいに、優秀だったためだ。
きっとお互いを認め合っているから、こんな風に言い合うことも出来るのだろう。
そう考えれば、良い傾向なのかもしれないけど……だからといって、目の前で喧嘩なんて見せられて、なにもしないわけにはいかない。
「……ごめん。クラリスに迷惑かけちゃったね」
しゅんと落ち込むフェリクス。
「分かればいいのよ」
「俺の方こそ悪かった。フェリクス──」
とヘルムートがフェリクスに右手を差し出す。
「仲直りの握手だ。握ってくれるな?」
「うん、もちろんだよ」
そう言って、フェリクスがヘルムートと握手をする。
両者、相手の視線を真っ直ぐ見つめたままだ。怖いくらいに和やかな笑顔を浮かべている。
ギギギギッ…。
しかし、どうしてだろうか。
骨の軋むような音が両者の間から聞こえてくるんだけど……。
「わわわっ! 男と男の戦いは続いているんですわ! それはさながら、笑顔で相手の腹の中を探る、外務大臣のような攻防です!」
オレリアにいたっては、訳の分からないことを宣って震えている。
なにはともあれ、二人とも仲直りしてよかった(?)
その後、勉強は順調に進んでいって、小休止として晩御飯がわりにみんなでお菓子タイムに洒落込むことにした。
「う〜〜〜ん、やっぱり『ヴォン・ラコンフィズリ』のクッキーは美味しいわね」
クッキーに舌鼓を打ちつつ、私はそう声を上げた。
『ヴォン・ラコンフィズリ』は、家の近所にあるお気に入りの砂糖菓子店。王都でパティシエとして修行してきた店主が、腕によりをかけて美味しいお菓子を作ってくれるのだ。
「ですわね! クラリス様の選ぶお菓子は、どれも美味しいですわ」
「でしょ〜? あっ、でも、前にオレリアが教えてくれたクレープ屋も美味しかったわよ。ほっぺがとろけちゃいそうだった」
「ふふふ。クラリス様に気に入っていただけて、わたくしも感無量ですわ」
と私とオレリアはテンションが上がりっぱなしなのだが、当のフェリクスとヘルムートはいまいちのようである。
「舌に合わなかった?」
「そんなことないよ。僕も甘いものは好きだしね。ただ、君たちの勢いに負けちゃっただけ。このクッキーは僕も好きさ」
紅茶を挟みながら、クッキーを美味しそうに齧っていくフェリクス。
一方、ヘルムートは渋い顔をしていた。
「ヘルムートは甘いもの、あまり好きじゃない?」
「そうだな……決して嫌いではないが、あまり量は口に出来ない。胃もたれするような感覚がしてな」
そうだったのか……ならば悪いことをした。
そもそも食べ盛りの男子に、晩御飯をお菓子代わりにすることも、あまり好ましくなかったかもしれない。
「ごめんね。すぐに料理人に行って、別のものを作らせるわ」
「わざわざそんなことをしなくてもいい。それに……嫌いではないと言っただろう? たまにはこういう晩御飯も乙なものだ」
そう言うものの、ヘルムートがお菓子を食べる手は止まっている。
どうしたものか……と思っていたら、私はある考えが閃いた。
「……! そうだ! ちょっと待ってって──リター!」
私は部屋を出て、リタにあるものを持ってこさせた。そしてそれをヘルムートに手渡す。
「ほほお……せんべいか」
「あら、知ってたの?」
「無論だ。世界各国の珍しい料理は、大体頭に入っている」
ヘルムートが今持っている平べったいお菓子は、主に東方の国で作られるものだ。
その見た目は、ちょっと大きなクッキーという感じ。
だけどクッキーよりも固くて、そしてこれまた東方の国でよく使われる調味料『醤油』が塗られている。
この醤油、甘いというよりもどっちかというと酸っぱい。
彼もきっと気に入ってくれるはずだわ。
「とはいえ、食べるのは初めてだな……どれ」
パリッ。
ヘルムートがせんべいを齧ると、そんな乾いた音が部屋に響いた。
「旨い。これなら俺でも、まだまだ食べられそうだ」
「よかった!」
手を叩く。
お父様が仕事の関係で東方の国まで行った時、お土産としてもらったものだけど……もったいなくて、なかなか口にすることが出来ていなかった。
まさかこんなところで役に立つとはね。
「僕も食べていいかな?」
「わたくしも!」
「ええ、まだせんべいは残っているから、二人ともどうぞ」
夜のお菓子パーティーは大成功だった。
小休止の後、勉強を再開したが、時刻はそろそろ十時を回ろうとしていた。
「このあたりで勉強は終わりかしらね」
「そうだね。あまり詰め込みすぎるのもよくない。ここで終わるのが、良いだろうね」
ずっと勉強していたのに、フェリクスは疲れている様子を一切見せない。いつでも爽やかな男だ。
「本当に、泊まっていっていいのですわね?」
「うん。オレリアをこんなに遅い時間に帰らせるわけにもいかないしね。フェリクスとヘルムートも、ここから帰るとなったら疲れるだろうし、遠慮せずに泊まっていってよ」
そもそも最初から、そういう話だったしね。
私がそう言うと、ヘルムートは思案顔でこう質問してきた。
「うむ……そういえばまだ聞かされていなかったが、部屋割りはどうなるのだ? まさか、みんなで同じ部屋で寝るわけにもいかぬし」
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