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「クラウス」
軽く柔らかな声が囁くように自分の名を呼ぶ。
永遠に聴いていたくなるようなその声に、少し名残惜しさを感じながら、リーゼロッテ伯爵家の長女、アイリス・リーゼロッテ様の筆頭執事である俺、クラウス・グランツは学園の前で止まった馬車の扉を開ける。
「アイリス様、御手を」
先に馬車を降りた俺は片膝を屈め、利き腕とは反対の腕をアイリス様へ差し出す。
「ふふっ、クラウスったら、いきなりどうしたの?」
俺の執事としては正しいその動きに、アイリス様は可笑しそうに笑う。
「アイリス様。学園では俺に対しての対応も改めた方が宜しいかと。俺も学園では自分のことは私と申すように致しますので…」
馬車が学園の前に止まった瞬間からいくつか視線が感じられる。殺気が感じられないところを見ると、きっと学園の教師達の視線だろう。つまり既に入学試験は始まっているのだ。
「あら。あなたに私なんて一人称を使われたら私の方が困ってしまうわ。」
「しかし…」
「視線のこと?それなら平気よ。お父様も普段通りで行け、と仰っていらしたもの」
そう話すアイリス様は言葉通りリーゼロッテ家におられるときと何一つ変わらない。
「クラウス。そろそろ中に入りましょ、試験の開始時間に遅れてしまうわ」
喋り口調や表情、何から何までもいつも通りのアイリス様のお姿に俺は何故か誇らしい気持ちになった。
王国一難関といわれる王立アシュタロット学園の入学試験。
そこにはコネ、人情、邪なものは何一つとして入れることを許されない。
この学園に入学を果たし、無事出来た者には将来が約束されている。
それが世界各国に権力を持つ、暗殺者という裏の仕事を広めた裏ギルドとするなら、その真逆の存在。
冒険者という表の仕事を世界に広めたのが冒険者ギルド、そしてその総ギルドマスターが学園長を務める、王立アシュタロット学園だ。