第9話 青い星
「ぐ、うう……!」
口に広がる鉄の味を感じながら、鯉丸は背後の光春を睨みつける。
確かに首が無くなっている。にも拘わらず、光春の体はまだ生きているように直立していた。
「鯉丸様!」
瀕死の鯉丸に幸綱が駆け寄り、光春から引き離す。
そして、首を失ったままの光春が、ゆっくりと上衣をはだけさせた。
「なっ⁉」
その左胸。
心臓がある部分に、しわがれた人の手が食い込んでいた。
光春の体が、ゆっくりと地面へと仰向けに倒れる。
しかし、人の手は光春の心臓を掴んだまま。空中に浮いていた。
その場にいる全員が息を呑む中、人の手は光春の心臓をゆっくりと握りつぶした。
血が滴って土の上に広がり、その中から這い出るように異形が現れた。
大きさはおよそ二間。顔は骨が露わとなり、白濁した目が眼孔の中でギョロギョロと動いている。身体の各所からは羽根に混じって鎖のような形の骨が長く伸びており、全身を覆う羽毛は毒々しい緑色をしている。
悍ましい姿の怪物は、周囲を舐めるように見渡した後、嘴の端を吊り上げた。
『我が名はケムダハ。人の強欲より生まれし、クリフォトの悪魔なり………ふひっ、ふひひっ!』
口上を述べた後、雄鶏――ケムダハが笑みをこぼす。
その声は、紛れもなく光春のものだった。
『ふひゃあはははは!何だこりゃ!すげえ!力が湧いてくるぜぇ!』
ケムダハが翼を広げる。
その動きだけで突風が巻き起こり、近くにいた兵は鎖のような骨によって体を両断される。
「うわあああああ!」
「バ、バケモノだあああああ!」
「助けてくれ!誰か、誰かあああ!」
途端に兵たちが恐慌状態となる。
指揮官の声も聞かず、兵たちは散りじりに逃げ出そうとする。
『どこに行く気だ?』
「ひい⁉」
逃げる兵を、ケムダハが襲う。跳躍して兵を踏み潰し、翼を広げて薙ぎ倒す。
そうして殺した者の遺骸を、ケムダハはついばみ、飲み込む。
すると、ケムダハの体が大きくなり、新しい骨や鮮やかな羽根が生えてきた。
『げひゃひゃひゃ!まだだ!もっと欲しい!もっと、もっとだ!』
それは最早戦いと呼べるものではなく、一方的な虐殺だった。
「やめっ!やめろっ!ゴフッ!」
「いけません!鯉丸様!」
瀕死の鯉丸の声に、ケムダハが振り返る。
そして、幸綱の腕の中の鯉丸を見て、ニヤリと笑った。
『死にぞこないが、そんなに早く家族に会いたいかぁ?』
ケムダハが翼を広げ、跳躍した。
『お望み通り、ぶっ殺してやるよ!』
鋭い爪を持った足が迫る。
幸綱が鯉丸をかばおうとした瞬間、走り込んできた紅葉が間に割って入り、ケムダハの足を掴んで受け止めた。
「姫様⁉」
「武御殿!鯉丸を連れて逃げて!早く!」
呆気に取られた幸綱だったが、紅葉の言葉を聞いて鯉丸を抱きかかえ、本丸へと向かう。
『邪魔すんじゃねぇよ、バケモンが!』
「うああああ!」
ケムダハは紅葉を蹴り飛ばし、幸綱へと骨をしならせた。
その一撃を、白い炎が弾き飛ばした。
『ああ?』
「むうっ⁉」
「天女⁉」
白い炎が晴れた時、翼を広げた甲冑姿のユーリフィアが姿を現した。
彼女は自分を見る多くの目にうんざりしつつ、己の不運を呪った。
「私、ただ開拓地に赴任しただけなんだけどなー。なんでこうなるかなー」
『何を訳の分からないことを言ってやがる!そこをどけぇ!』
ケムダハがユーリフィアに骨で連続攻撃をかける。
その全てをいなし、彼女は白い炎を纏って空中へと舞い上がる。
「まぁ、ボヤいててもしゃーないか」
先ほどまでの鬱屈した表情は消え、その目には闘志が満ちている。
「聖天騎士団能聖天、ユーリフィア・エル・フェネクス、参る!」
名乗り口上とともに、ユーリフィアがケムダハへと襲い掛かる。
目にも止まらぬ速度で飛翔し、ケムダハの背後からその首目掛けて強襲をかける。
ユーリフィアの一撃は、確かにその首を斬り飛ばした。
しかし、斬られた首の断面から新しい首がすかさず生え、斬り飛ばされた首は灰となって消えた。
「はぁっ⁉」
『ざんねーん!やり直しだァ!』
すかさず飛んできたケムダハの一撃を躱し、ユーリフィアは再び空中へと飛び上がった。
その隙に、ケムダハは死体をついばみ、さらに体を肥大化させていく。背中や翼からは新たな骨が伸び、鎖のように地面を這い回った。
そんな戦闘の最中、経守は幸綱が運んできた鯉丸の許に駆け寄った。
「鯉丸様!しっかりなさいませ、鯉丸様!」
浅い呼吸を繰り返す鯉丸に、経守が呼びかける。
しかし、返事は無く――
間もなく、その呼吸さえも止まってしまった。
◇◇◇
誰かの泣いている声が聞こえた。
鯉丸が目蓋を開けると、そこには卵丸がいた。
「卵丸?そんなところで、どうしたんだ?」
卵丸は泣きじゃくりながら、自分の膝を指差した。
そこには、赤く擦りむいた膝があった。
「おお、派手にやったなぁ。痛かろう、背負ってやる」
そう言って鯉丸が背中を差し出すと、卵丸はぐずりながらもその背に乗った。
卵丸の温かさを背中に感じながら、鯉丸は歩き出した。
「あにさま」
「ん?」
しばらく歩いたところで、卵丸が口を開いた。
「どうして、らんをまもってくれなかったのです?」
その言葉に、鯉丸の足が止まる。
途端に、背中が重くなる。
まるで、卵丸が石臼に変わったような重さだった。
「鯉丸よ」
義父の声だ。
「なぜ、側にいてくれなかったのだ?」
両手で耳を塞ぎたかった。
それでも、背負った弟を放したくはなかった。
鯉丸は死者の嘆きを、真っ向から受け止めることに決めた。
「なぜお前はまだ生きているのだ?」
「こわかった」
「儂らは死にたくなどなかった」
「いたい………いたい………」
心が抉られるような感覚を味わいながら、背中に背負ったものに押し潰されそうになりながら――
それでも、鯉丸は前を向いた。
「まだ、死ねない」
苦しみの中で、鯉丸は絞り出すように言った。
「紅葉がいる」
一歩一歩、踏みしめるように歩く。
足元には茨が生えており、踏みしめる度に激痛が脳を焼く。
それでも、歩みは止めない。
「拙は!まだ!死ぬわけにはいかないんだ!」
そう叫んだ時、背中の重さが消えた。
いつの間にか、景色が変わっていた。
真っ暗だった。
地面の上に立っている感覚はあるのに、地面が見えない。
それどころか、自分の手すらよく見えない。
それほどの暗闇の中に、鯉丸は1人で立っていた。
――この感覚を、拙は知っている。
思い出せないが、前にこんなことがあったような……
その時、鯉丸の頭上がにわかに明るくなった。
そちらに目をやると、星が落ちてきた。
快晴の青空のような真っ青な光を放ちながら、星は鯉丸のすぐそばに降り立った。
「……⁉」
幼い頃に見た、青い星。
かつて目指した星が、すぐそばにある。
その事実を認識した瞬間、鯉丸は駆けだした。
「はあ………!!はあ………!!」
息を切らすほどの全力で、鯉丸はその星に駆け寄り、手を伸ばした。
――人よ。
星に手が届いた瞬間、声が聞こえた。
――人よ。
否、それは声ではなかった。
頭の中に直接入ってくる、啓示のような言葉だった。
――人の子よ、世界に増えよ。
数多集いて国を成し、繁栄の礎を築き、
幾千万の輝きを以て、世界を開拓せよ。
其方らが正しき繁栄を迎えるならば、
試練の時は終わり、人々は救済されるであろう。
◇◇◇
雷鳴が、辺りに響いた。
その轟音に、ケムダハも、ユーリフィアも、紅葉も、兵たちもすくみ上がり、音の鳴った方を見た。
「……は?」
その声を発したのが誰かはわからない。
だが、その場にいた人々は、本丸の門前で直立している鯉丸の姿を見ていた。
なぜなら、その体からは、快晴の青空のような色の炎が湧き立っていたからだ。
「逆臣、因幡光春」
鯉丸が、ゆっくりと坂道を下る。
「主家を滅ぼしたのみならず、悪鬼魔道に堕ちて人々を戯れに虐殺するなど、言語道断」
『うるせぇ!お前さえいなけりゃ、ここは俺の城だったんだよ!』
ケムダハが跳躍し、上空から鯉丸に襲い掛かる。
鯉丸は刀を抜き、雄鶏の攻撃を躱しつつその片翼を切り裂いた。
刹那、その断面から青い電撃が迸った。
『ぎゃあああああああああ!』
本気の絶叫だった。
電撃が走った傷口は一瞬で炭化し、ボロボロと乾いた泥が剥がれ落ちるように崩れ落ちる。
その様を見て、鯉丸がケムダハ目掛けて走り込んでくる。
『ひいいいいい!くるな!くるなああああああ!』
ケムダハが必死の抵抗を示す。
しなる骨を滅茶苦茶に振るい、駆け寄ってくる鯉丸へと叩き込もうとする。
しかしその攻撃は、上空から飛来してきたユーリフィアによって弾かれる。
彼女の援護を受けながら、ケムダハの懐に潜り込んだ鯉丸が刀を振る。
その一撃は、雄鶏の首を捉えた。
『ぎゃあああ!やっど!やっどでにいでだとにいいいいいい!』
首が切断されると同時に電撃が迸り、ケムダハの体を電撃が走る。
電撃は瞬く間にケムダハの体を炭化させ、羽根を燃え上がらせる。
やがてその体が灰となって砕け落ちるのを見届け、鯉丸は自分の意識が遠のいていくのを感じた。
「鯉丸!」
自分の体を抱き止める紅葉の温もりに安心感を覚えつつ、鯉丸は意識を手放した。
◇◇◇
不思議な感覚だった。
一切の気温を感じず、一切の音が聞こえず、一切の景色が見えない。
目蓋を開けようとしても目蓋の感覚が無く、それどころか体の感覚が全くない。
なのに、意識だけはハッキリとしていた。
「お目覚めになられましたか」
不意に、声が聞こえた。
「まずは自己紹介を、私の名はルシフェル。貴方とたびたび顔を合わせている、フェネクスの上司です」
穏やかな声だった。
まるで父親が子供へ語りかけるような、穏やかな口調でその声は言葉を続ける。
「最初にはっきりと言わせて頂きますが、我々に貴方と敵対する意志はありません。ただ、フェネクスからの報告では、貴方が悪魔の力を得た少女を守るような挙動をしたと聞いています。もしその報告が本当なら、我々は静観するわけにはいかないのです」
悪魔の力を得た少女。
それはきっと、紅葉のことなのだろう。
「とはいえ、貴方は力を得た。その力は主から授けられし神聖な力、世界の創造主のみが成しえる奇跡を実現する力なのです」
世界の創造主?
奇跡を成しえる力?
「今はわからなくても結構。詳しい説明はフェネクスにしてもらいます。とりあえず、今回は挨拶だけとしておきましょう」
その言葉の後、急速に意識が遠のいていく。
「また会いましょう。生命の実、セフィロト・スキュラを与えられし救世主よ」




