第8話 試練の時
鯉丸が鬼灯山城で誓いを立てていた頃、因幡城では盛大な宴会がまだ続いていた。
夜通し行われていたその宴を抜け出し、光春は本丸屋敷の大広間に入った。
客人は、すでに待っていた。
白い頭巾で顔を隠した人物だった。唯一露わになっている目元は皺だらけで、年老いた男性のようにも、火傷痕を負った女性のようにも見える。
その落ちくぼんだ目が、入ってきた光春を追った。
「いやあ、助かりました」
光春はどかりと腰を下ろした。
「貴方様のご注進のおかげで、兄の企みを潰すことができましたわ。まこと、めでたいことです」
「終わったとお思いか」
しわがれた声が、浮かれた挨拶を遮った。
光春は眉を寄せる。
「終わったでしょう。兄はこの手で討ちました。子らも助かりますまい。肝心の小僧は、そちらの刺客が始末したのでしょう?ならば――」
「生きておる」
光春の口が止まった。
客人は身じろぎもしない。
しばらくして、光春は低い声で問い返した。
「……鯉丸が、か」
「左様」
「話が違うじゃねえか。あの小僧は、お前らが始末する手筈だったろうが」
「思わぬ邪魔が入った。しくじったことは詫びよう」
客人は懐から紙包みを取り出し、畳の上へ置いた。
「役立てるがいい」
「待て!それで済むと――」
光春は立ち上がり、刀を抜いた。
だが、その切っ先を向ける相手は、もういなかった。
襖は閉じたままだった。足音も、衣擦れも聞こえなかった。
ただ、客人が座っていた場所の前に、紙包みだけが残されていた。
「……くそっ!」
刀を握ったまま、光春は辺りを見回した。
胸の鼓動が、いつまでも収まらない。
鯉丸は、あの客人の放った刺客によって《《行方不明》》になるはずだった。
異変を察した幕府の者が鬼灯山城へ来れば、そこには化物と成り果てた紅葉がいる。鯉丸の死も、須佐本家の滅亡も、その化物の仕業として片づけられる。
そして残った一族の者として、自分が城と家督を引き継ぐ。これなら幕府にも認めさせられると光春は踏んでいた。
そうなれば、将軍家の後継争いに関わらずに済む。
ようやく、兄に振り回されずに済む。
そのはずだった。
「あの小僧が生きていては……!」
光春は刀を鞘に戻した。
宴など開いている場合ではない。
大広間を出かけて、足を止める。振り返った先には、あの紙包みがあった。
古びた紙に包まれた、小さな品。
光春は引き返し、紙包みを拾い上げた。
それが何かもわからぬまま懐へ押し込み、廊下へ怒鳴る。
「酒を飲んでいる場合ではない!もう一度兵を集めろ!」
城内に、再び慌ただしい足音が広がった。
◇◇◇
「急報!急報ーっ!」
慌てた様子の兵が鬼灯山城に駆け込んできたのは、鯉丸たちが城内に残されていた物を集めて荷造りをしている最中だった。
「因幡軍、宴を突如切り上げてこちらに向けて進軍中!その数、およそ八十!」
「何だと⁉」
その知らせを聞き、経守が声を上げた。
「宴は偽装か⁉こちらの油断を誘う策か⁉」
「いえ、敵方も突然の出陣に混乱している様子です!」
経守が顎に手をやり思考する。
鬼灯山城にいる大国家の兵は四十。琳照寺に残した者を呼び戻しても、五十にしかならない。しかも、城の門や櫓は先の襲撃で壊されている。このまま敵を迎えれば、苦しい戦いになるのは明白。
「戦いましょう。大国殿」
迷う経守に、鯉丸が進言する。
傍らには、不安げな顔の紅葉がいる。
「今からこの城から出て逃げても、敵方にとっては慣れた道です。因幡軍が全速力を出したらこちらに追いつけましょう。逃げる途中で追いつかれるより、ここで迎え撃つ方がいい」
正鵠を得ている鯉丸の言葉に、経守は唸った。
「……しかし、こちらは弓兵がわずかで、矢も足りませぬ。数ですり潰されたらひとたまりもありませんよ」
「問題ありません」
鯉丸は城内を見渡した。
荷をまとめる者たちの手が止まり、皆がこちらを見ている。
破却すると決めた城だった。
それでも、最後にこの城を使って守れるものがある。
「まず、本丸館を焼きます」
経守が眉を寄せた。
紅葉も、驚いたように鯉丸を見つめる。
鯉丸は二人へ向き直った。
「話は、それからです」
◇◇◇
鬼灯山城へ続く道へとたどり着いた因幡軍が見たのは、勢いよく燃える鬼灯山城の本丸館だった。
「しまった!逃げられたか⁉」
先行していた偵察兵から、鬼灯山城に鯉丸と幕府の一行が滞在している旨を聞いていた光春は、その煙を見て顔を青ざめさせた。
「まだ間に合うやもしれん!急ぎ展開し城を囲め!」
大急ぎで兵を展開させる光春の許に、偵察兵が再びやって来た。
「御注進!敵勢およそ四十、未だ城中にあり!」
「しめた!囲みを急げ!決して逃がすな!」
疲労の色を見せながらも、因幡軍の兵たちは素早く展開し、鬼灯山城の大手門を取り囲んだ。
「かかれぇ!」
「「「「「応!」」」」」
光春の号令とともに、法螺貝が鳴らされる。
その音と共に、城中へと兵が一斉になだれ込む。
「弓隊、放てぇ!」
その瞬間、大手門の内側で待ち構えていた弓隊が矢を一斉に放つ。因幡軍の兵が何人か倒れるが、多勢の因幡軍は構わず突入する。
たちまち、城中は敵味方が入り乱れる乱戦となった。
鮮血と悲鳴が飛び交う地獄のような戦場を走り抜け、光春は本丸へと繋がる坂道を駆け上がる。
刹那、その頭に向けて矢が飛来した。
「ぬぅ⁉」
咄嗟に刀で矢を打ち払った光春は、坂道の先で弓を持つ鯉丸の姿を認めると、顔を歪めた。
「出たな、元凶めが!」
「元凶?拙がか?」
怪訝な顔をする鯉丸に、光春は刀の切っ先を向ける。
「お前が生きてたら、この土地の人間は将軍家の勢力争いに巻き込まれて不幸になっちまう!俺たちがここで平和に生きるためには、お前や兄貴が消えなきゃならねぇんだよ!」
光春の言葉に、鯉丸は憤怒の表情を浮かべた。
「だったら、拙と義父上だけ狙えば良かったろう!なぜ卵丸や紅葉まで、あんな残酷なやり方で巻き込んだ⁉」
「ハッ!甘ったるいこと言ってんじゃねぇよ!」
刀を構えながら、光春は坂道を駆け上がる。
「禍根は根切りするに決まってんだろうが!」
鯉丸が矢を放つ。
その矢を最低限の動きで躱し、光春は大上段から鯉丸に斬りかかった。
光春の一撃を背後への跳躍で躱しつつ、鯉丸は光春に弓を投げつける。
弓を両断した光春が見たものは、腰刀を抜刀して肉薄してくる鯉丸の姿だった。
「……っ⁉この!」
光春は鯉丸の一撃を刀で受け止める。刹那の鍔迫り合いは光春に軍配が上がり、鯉丸は背後に押し戻される。
すかさず、光春が大上段からの振り下ろしを決める。
だが、その最速の一撃を鯉丸は側転で躱し、逆に光春の胴目掛けて横薙ぎの一撃を加える。
「くっ!」
背後への跳躍でその一撃を躱し、光春と鯉丸は再び対峙する。
「はぁっ……!はぁっ……!」
「ふーっ……!ふーっ……!」
肩で息をする鯉丸と、短く素早く息を出し入れする光春。
鯉丸も光春も、この僅かな剣戟の間に相手の力量を見極めつつあった。
――このガキ、強い!
判断力、決断力、そして剣の捌き方。
鯉丸の持つそれら全てが、歴戦の武士である光春と遜色ない水準にある。
――流石に強いな。
一方、鯉丸も光春の実力に冷や汗をかいていた。
もし光春がもっと若かったなら、鯉丸に勝ち目は無かっただろう。
――宗玄和尚め、よくもこんなバケモノを育てたものだ!
心の中で宗玄へ賛辞を送りつつ、光春は奥歯を噛みしめ、大上段の構えを取った。
対して、鯉丸は構えを変えた。
正面で刀を構える中段の構えを崩し、右足を引き、体を右斜めに向けて、刀を右脇に取り、切先を後ろに隠すように下げて構えた。
脇構え。刀を相手から見えないようにする構え方だ。
この構え方は本来、甲冑で相手の攻撃を受けつつ反撃の一撃を撃ち込むカウンター型の構え方であり、明らかに未熟な鯉丸がするべき構え方ではない。
「……てめぇ、舐めてんのか?」
「いいから、かかって来いよ」
普段は絶対にしない、鯉丸の挑発的な言葉遣い。
それが合図となり、光春は刀を振り下ろした。
「セアアアアア!!」
それは、光春の人生の中で間違いなく最速の一撃だった。
しかし、鯉丸の一撃はそれを凌駕していた。
右斜め下から左斜め上へ、縮地で距離を詰められながら放たれた一撃。それは光春の右腕を、勢いよく断ち切った。
「何ィ⁉」
「成敗!」
即座に鯉丸は刀を返し、驚愕の表情を浮かべている光春の首へと振り下ろす。
光春は身を捩ったものの、躱し切れずに首の肉が断たれる。
「ぐあああああ!」
血が噴き出す傷口を押さえながら、光春は坂道を転げ落ちる。
「うぐぅ………クソッ」
よろめきながら立ち上がった時、光春は大手門の外側が騒がしくなっていることに気が付いた。そちらに目を向けた時、光春は新たな旗が立っていることに気付いた。
隅立て結び稲妻。
因幡家に並ぶ須佐家の大黒柱、武御家の家紋だ。
大国家の使者から因幡家の裏切りを聞いた彼等は、因幡城を攻撃するために本拠地で挙兵の準備をしていた。そんな中、鬼灯山城から立ち昇る煙を見つけた。
その煙を因幡家の再攻撃と判断した彼等は、大慌てて駆けつけてきたのだった。
「光春ウウウウ!よくもやりおったなアアアア!」
城門を塞いでいた因幡兵を金棒で粉砕し、幸綱が憤怒の咆哮を上げる。
その背後から、血走った目をした武御兵が城内へとなだれ込み、大国兵と交戦している因幡兵を背後から強襲した。
挟み撃ちを受けた因幡軍は瞬く間に戦意を喪失し、次々と討たれていく。
「お、おのれ……!だが、別動隊さえくれば……!」
首を押さえながらそう嘯く光春だったが、大手門から入ってくる武御兵が掲げている首を見て顔を青ざめさせた。
それは、別方面から鬼灯山城へ攻め込もうとしていた因幡軍の別動隊を率いていた将のものだった。
「……っ!そうだ、あの紙包み!」
地面に突き刺した刀に寄り掛かりながら、光春は懐から客人が残した紙包みを取り出した。
「……は?」
中には、何も入っていなかった。
懐をまさぐるが、何もない。
ただ、己の鼓動だけが、嫌にはっきりと聞こえた。
「おい」
「ひっ⁉」
背後からの声に、光春が振り返る。
そこには、殺気を漲らせた鯉丸がいた。
「た、助け……!」
「禍根は根切りするに決まってるんだろ?」
「や、やめ」
光春の言葉が終わる前に、鯉丸の刀が横薙ぎに振られた。
ボトリという音と共に、光春の体が崩れ落ちた。
「敵将、討ち取ったり!」
鯉丸の声に、周囲から歓声が沸き上がった。
◇◇◇
戦況の推移を、経守は紅葉とともに本丸の門の前で見ていた。
本丸館を燃やして因幡軍の再来を武御軍に伝達しつつ、寡兵が守る城内へと敵兵を誘引。十分城内へ引き入れたところで、急行してきた武御軍と挟み撃ちにする。
武御軍が動くことに賭けた、博打のような一手。
その賭けに勝った上に、敵の大将をも自ら討ち取った。
「おお……、おおお………!」
経守は、思わず声を漏らした。
あの若君は、昨夜すべてを失ったばかりだ。
癒えぬ傷を負いながら、尽きぬ悲しみに蝕まれながら、それでも逃げずに人々をまとめ、戦いの先頭に立っている。
経守の中で、燻っていたものに火が付く感覚がした。
幕府の支配は、最早盤石ではない。
大名は将軍を蔑ろにし、大名の意にそぐわない命令は無視される。長義が将軍に復帰してからは武力による支配がなされつつあるが、六十歳を超えた彼の支配は長続きしないだろう。
経守は、そこで役目を果たすことに希望を持てなくなっていた。
父から「仕えるべき主を見つけた」と知らせを受けたとき、迷わず職を辞したのもそのためだ。
経守は、鯉丸を見た。
失ったものの重さを受け止めながら、それでも自分で決断し、動く。
その姿を前にして、父が何を見いだしたのか、ようやくわかった気がした。
――あの方ならば、この乱世を終わらせられるかもしれん。
経守がそう思った時、鯉丸の背後で、何かが動いた。
「鯉丸!」
経守の背後で、紅葉が叫ぶ。
その瞬間、鯉丸の胸から刀身が生えた。
「………は?」
刀が引き抜かれ、鯉丸が崩れ落ちる。
その背後には、首を失ったままの光春が立っていた。




