第6話 悪鬼変生
「光春!貴様!自分が何をしているのかわかってるのか⁉」
因幡の兵に制圧された鬼灯山城内に、貞春の声が響いた。
城を守る兵も、奉公人も、すでに動く者はいない。貞春と紅葉、卵丸の三人は本丸の広場に引き出されていた。
そんな状態で喚いている貞春に、光春はうんざりした表情を向けた。
「それはこっちのセリフだよ、兄貴」
「なんだと?」
「将軍家の嫡子を育てていたそうじゃないか。須佐家を引き立ててもらう算段か?」
光春の言葉に、貞春は目を見開いた。
「貴様……知っておって、なぜ⁉」
「知ったからだよ」
光春の声から、笑いが消えた。
「将軍の血を引いていようが、今は乱世だ。後継争いに関われば敵もできる。その敵がここへ押し寄せたら誰が戦う?誰の田畑が焼かれる?」
光春が貞春を睨みつける。
その瞳の奥にある深淵のような闇に、貞春は言葉を失った。
「俺たちだ。今日を食いつなぐのに必死な、この土地の者たちだ」
光春は一歩、兄へ近づいた。
「兄貴はいつだってそうだ。京にいたころからずっと、あーしろこーしろと指図ばっかりして、俺たちのことなんかちっとも顧みねぇ!」
そう言って、光春が貞春に土を投げつける。
「テメェが京できれいなおべべ着て宴会してた時に、俺は何してたと思う?新しい畑を拓いて水を引いて、やっと百姓たちが飢えないで済むようにしたんだ!武御だってそうさ!なのにテメェは!わざわざ京から厄介ごとを持ち込んで皆を困らせようとしてやがる!うんざりだ!もううんざりなんだよ!」
そう叫んで、光春は貞春の顔を殴りつける。
「もうやめて!」
二回、三回と殴りつけたところで、紅葉が光春の腕に噛みつく。
「何しやがるこのガキ!」
噛みついた紅葉を、光春は振り払った。地面に転がった紅葉の腹に、光春が蹴りを入れる。
「あねうえ!」
「紅葉!やめろ、みつは……」
「うるせぇ!」
光春は刀を抜き、身を乗り出した貞春の首へと振り下ろした。
ボトリという音が、子供たちの耳を打つ。
「いやあああああ!ちちうえええええ!」
「ち、ちちうえ……!」
絶叫する紅葉と、恐怖ですくみ上がっている卵丸。
二人を見下ろし、光春は刀の切っ先を向けた。
「心配すんな、お前らもすぐ、父親の許に送ってやるよ」
そう言って、光春は凄絶に嗤った。
その顔は、積年の恨みを晴らした復讐者のものだった。
「………っ!」
紅葉は理解した。
この男は、自分たちを生かすつもりがない。
それでも、幼い弟の命だけは守ってやりたかった。
「ア、アタシはどうしたっていい!どうしたっていいから、卵丸は許して!」
「ほう、どうなったっていいってか?」
ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、光春は腰に下げた巾着袋から、一粒の丸薬を取り出した。
「おい。縄を解いてやれ」
「へい」
光春の命令で、紅葉を縛っていた縄が解かれる。
自由になった紅葉に、取り出された丸薬が渡された。
「そいつを飲め。そうすれば、二人とも解放してやる」
紅葉は渡された丸薬を見る。
血の塊のようなその丸薬が何なのかは、見当もつかない。けれど、周囲には抜き身の刀を持つ兵がいる。
「……約束して。卵丸には、手を出さないって」
「ああ、約束しよう」
その言葉に安堵し、紅葉は背後の弟を振り返る。卵丸は、泣きながら首を横に振っていた。
紅葉は何か言おうとした。
だが、安心させる言葉を出すことができず、彼女はいつものように微笑んだ。
そして意を決して、紅葉は丸薬を口に入れ、飲み込んだ。
「あっ……!」
刹那。
焼けるような熱が、体の中から沸き上がった。
まるで猛火が体内で燃え盛っているかのような感覚に、紅葉は自身の体を抱きしめてうずくまるしかなかった。
「全員、撤収だ。すぐにここを離れろ」
「え?いや、しかし……」
「いいから離れろ。死にたくなけりゃあな」
兵たちが顔を見合わせた。
やがて慌ただしい足音が広場を離れ、光春もその後へ続いた。
後には、縛られたままの卵丸とうずくまった紅葉が残された。
「あ、あねうえ」
か細い声で、卵丸が紅葉に呼びかける。
しかし、紅葉は微動だにしない。
「あねうえ……もう、いなくなったよ」
返事はない。
「かえろう。あにさまのところへ、かえろうよ」
死んでしまったのかと卵丸が思った瞬間、紅葉の体に変化が起きた。
美しい黒髪が、根元から白く染まっていく。
額からは牛のような二本の角が生え、白かった肌からは更に血の気が引いていく。
「あ、ああ……!」
ゆらりと紅葉が立ち上がり、卵丸を見下ろす。
その瞳は、血のように真っ赤だった。
いつもなら、目が合えば笑ってくれる。
転べば手を貸し、泣けば抱き寄せてくれる。
けれど、今は何も言わなかった。
「あ、あねう――」
次の瞬間、二人の影が重なった。
◇◇◇
鯉丸が鬼灯山城に辿り着いたとき、城内は静まり返っていた。
馬を降り、本丸へ続く坂を駆け上がる。
道端には、兵や奉公人が倒れていた。見知った顔を見つけるたびに足が鈍る。それでも、立ち止まることはできなかった。
「はっ……はっ……!」
本丸の広場へ飛び込んだところで、鯉丸は足を止めた。
卵丸が倒れていた。
目を見開いたまま微動だにせず、首元には穿たれたような穴が開いている。
その傍らに、少女が屈み込んでいる。
「……らん、まる」
鯉丸の震え声に反応するように、少女が顔を上げた。
腰まで流れる白い髪。額から伸びた二本の黒い角。こちらを見つめる二つの瞳は、赤かった。
けれど、その顔を、鯉丸は知っていた。
「あ、れ……?」
血で真っ赤に染まった少女の唇が、ゆっくりと動く。
「こいまる……?」
「………もみじ、なのか?」
二人は見つめ合った。
鯉丸には、ほかに何を言えばよいのかわからなかった。
紅葉の目が、傍らへ落ちた。
「……卵丸?」
肩に手をかけ、そっと揺する。
返事はなかった。
紅葉は動きを止めた。
血まみれになった自分の手を見つめ、次いで弟を見る。その顔から、表情が抜け落ちていった。
「違う……」
かすれた声が漏れた。
「アタシ、守ろうと……」
言葉が途切れた。
紅葉は弟を抱き寄せ、何度もその名を呼んだ。やがて呼び声は崩れ、泣き声だけになった。
鯉丸は一歩、近づいた。
何が起きたのか。紅葉が何をされたのか。尋ねねばならないことは、いくつもあった。
だが、その背へ手を伸ばしかけたとき、視界の端で白いものが翻った。
「紅葉!」
鯉丸は刀を抜いた。
紅葉へ迫る剣を、横から打ち払う。
鋼の響きが広場に走った。
白い外套の少女が、地を蹴って退く。
その顔を見て、鯉丸は息を呑んだ。
寺で、自分を救った天女だった。
「……へぇ?その娘を守るんだ?」
今度は、言葉がわかった。
驚きながらも、鯉丸は紅葉の前へ立ち、切っ先を向けた。
「お前は何者だ?なぜ紅葉を斬ろうとした?」
「その姿を見てもわからない?」
少女の視線が、鯉丸の肩越しに動いた。
紅葉は顔を上げなかった。弟を抱いたまま、泣き続けている。
「その娘は、もう――」
「黙れ!」
鯉丸は遮った。
刀を握る手に、力を込める。
「拙の問いに答えろ!」
少女は目を細めた。
そのとき、城門の方から蹄の音と、人の呼び交わす声が聞こえてきた。
彼女は一度そちらへ目を向け、それから鯉丸を見据えた。
「私の名はユーリフィア・エル・フェネクス。悪魔を討つ使命を受けた、天の御使いです」
白い炎が、その姿を包んだ。
衣が甲冑へ変わり、背に銀の翼が広がる。
鯉丸は退かなかった。
寺で見た、あの剣の威力を覚えていた。それでも、紅葉の前を空けるわけにはいかなかった。
ユーリフィアはしばらく二人を見つめ、やがて剣先を下げた。
「今は退いてあげる。ただし、その娘を見逃したわけじゃないから」
銀の翼が、シャンという音を立てて開く。
「次も立ちはだかるなら、貴方も敵と見なします。覚えておいて」
そう言い残し、彼女は勢い良く空へと跳躍した。
鯉丸が顔を上げたときには、少女は炎の尾を引いて空へ遠ざかっていた。
その姿が見えなくなっても、鯉丸は刀を下ろせなかった。
背後では、紅葉がまだ卵丸を呼んでいた。




