↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
龍王奇譚  作者: Rikyo
第1章   鯉丸登龍門編
17/18

第17話   その名は

 長義が去った後、大国屋敷の中庭で、鯉丸は褌姿となって頭から桶の水を浴びた。


 鯉丸が腰掛けに座って前屈みになると、傍らにいた紅葉が水の入った小さな桶を片手で持ち上げ、鯉丸の髪を中に入れて、丁寧にもう片方の手でもみ洗いする。



「まさか、京に着く前に元服できるなんてね」


「正直、予想外だった」



 鯉丸が桶を紅葉から受け取ると、紅葉は両手で髪をもみ洗いする。

 そこに、フィーが通りがかった。



「はい、これ」



 そう言って、フィーは紅葉に小さな容器を手渡した。

 紅葉が疑問符を浮かべながらその蓋を開くと、花のような甘い香りが漂った。



「……?フィーさん、これは?」


「洗髪料って言ってね、これを髪を洗う時に使うと、汚れが落ちやすくなるんだよ」


「へぇー、どうやって使うの?」


「少し手に出して、擦って泡立ててから髪につけるの。ちょっと水につけると泡立ちやすくなるよ」



 紅葉が言われた通りにすると、濃厚な花の香りが辺りに広がる。

 その強烈な匂いに鯉丸は顔を引き攣らせたが、紅葉は顔を輝かせた。


 泡を纏った紅葉の指が、鯉丸の髪を梳く。

 その感覚に、鯉丸は安心感を抱いていた。



「じゃ、ごゆっくり~♪」



 鯉丸は動けないので顔は見えなかったが、きっとフィーはニヤニヤ笑っていたのだろう。


 時折容器から洗髪料を出しつつ、紅葉は鯉丸の髪をワシャワシャと洗う。



「なぁ、紅葉」


「何?」


「……寂しい思いは、してないか?」



 その言葉に、紅葉の指が止まる。



「……今でもね、夢を見るの」



 そう言いながら、紅葉は再び指を動かし始めた。



「あの日のことか?」


「違うよ。昔のこと」



 紅葉の言葉に、鯉丸はああ、としか返せなかった。



「卵丸がね、夕餉ができたかって、何度も台所を覗きに来るの」


「……ああ」


「父上は魚の焼き加減に文句言ってね、アタシがじゃあ自分でやってよって言うと、ブツブツ言いながら食べるの」


「……」


「……あの頃は、こんな事になるなんて、思いもしなかった……!」



 その言葉とともに、光る雫が地面に落ちた。

 鬼灯山城での惨劇からここまで、余りにも、余りにも短い期間で色々なことがあった。


 心の整理など、している暇も無かった。



「紅葉」


「?」



 だからこそ、ここで言わねばならない。



「拙は、君が好きだ」


「……っ⁉」



 紅葉の手が、びくりと震えた。



「将軍家に入れば、たぶん今までよりも過酷な道を行くことになると思う。だがそれでも、これから先も君と生きていきたい。君が笑って過ごせる日を、増やしていきたいんだ」


「……鯉丸」



 鯉丸の頭に、紅葉が額をコツンと触れさせた。



「そういうことは、面と向かって言ってほしいな~」


「……いやだ」


「いくじなし」



 微笑みながら、紅葉が離れる。

 そして、洗髪を再開しながら言った。



「まあでも、今はこれで、勘弁してあげましょう」



 その声には、隠しきれない喜びの色が滲んでいた。






     ◇◇◇






 翌日、妙戒寺。

 本日の出陣に参加する予定だった諸大名が居並ぶ中で、鯉丸の元服の儀式が行われた。


 もっとも、戦準備の最中に行われた元服だったため、氏神への参拝を省略したり、烏帽子は境湊で調達された急ごしらえの品だったりと、粗は目立った。


 それでも式は厳かに執り行われ、長義の手によって鯉丸の髪が切られた。



「……確かに洗ってこいとは言ったがの、香をつけるのはやりすぎじゃぞ」


「面目次第もございません」



 呆れたように言う長義に、鯉丸は恥ずかしそうに俯いた。

 長義は切った髪を整えて三宝に乗せながら、鯉丸にだけ聞こえる小さな声で言った。



「ま、聖天騎士団と関係があるなら、そういうものを貰っても不思議ではないがの」


「……は?」



 聞き捨てならない言葉に、思わず鯉丸が顔を上げた。

 一方の長義は、ニヤニヤと愉快そうに笑みを浮かべていた。



「な、なんで……?」


「余は征夷大将軍ぞ?隠された秘密を知る立場にあるし、いずれはお前もそうなるのじゃ」



 そう言いながら、長義は鯉丸の髪を束ねて髷を結い、烏帽子を被せた。



「やはり急ごしらえは否めぬのう。余がこのような粗末な烏帽子を下賜したと噂されてはかなわん。京へ着いたら、まともなものを誂えよ」


「は、ははっ!」


「あと、聞きたいことは多かろうが、後のことは経守に任せておるで、あやつにどうしたらいいか尋ねるがよい」


「はい!」


「良き返事じゃ」



 そう言って、長義は鯉丸の前に紙を載せた別の三宝を置いた。

 その紙には、『義龍』と書かれていた。



「鯉は、激流の滝を登りきるという試練を経て龍となり、天へと昇っていくという」



 そう言って、長義が立ち上がる。



「人生とは、果ての無い激流を遡る旅である。行く手には、幾度となく滝が立ちはだかろう。されどそれは、終わりなき苦行にあらず」



 長義が、屈託のない笑みを浮かべる。



「友を得よ。家族を得よ。生きるということを学び、人を生かす喜びを覚えよ。さすれば、作るべき世の形も見えてこよう」



 そして、長義が高らかに宣言する。



「今日この時より其方は、為真(いさな)天照院(てんしょういん)義龍(よしたつ)と名乗れ!」


「ははっ!」



 その言葉に、鯉丸――義龍は平伏した。






     ◇◇◇






「知っていたのか?聖天騎士団の件」



 元服の儀式を終えて経守と合流した義龍は、開口一番そう言った。


 義龍は経守が聖天騎士団のことを知っていたと考えていたが、疑いをかけられた経守は心外そうに眉を寄せた。



「私は何も知りません。ただ、私が於能碁洲でのことを御所様に報告したところ、御所様から『白服の者には全てを喋るな』という指示が出されましたので、何か知っておられるのだろうな、とは思っていました」



 馬を繋いでいる場所まで歩きながら、経守は淡々と言った。



「……その指示、いつ受け取ったんだ?」


「境の屋敷。天照院様のお目見えが終わった後で、です」



 義龍は腕を組んで思考する。


 神八洲で聖天騎士団について、知っていると確認できたのは長義だけだ。ただし、将軍が知っているということは、皇も知っている可能性は高い。



「高貴な身分の人間だけが騎士団の存在を知っている一方、騎士団は神八洲を認知していない」


「フィー殿の発言を真と受け止めるなら、そういうことになりますね」


「……彼女はまだ屋敷か?」


「いいえ。今日は一度報告に戻ると言って、朝から不在しております」


「相変わらず、肝心な時におらんなぁ」



 そう言いつつ、義龍は経守を見る。



「まあいいさ。この件はこれ以上考えても、推測にしかならん。それより、今後の予定を教えてくれ」


「はっ。旅支度を整えたら、我等は京へと上ります。洛中へと入りましたら、小庭第(おにわだい)という屋敷がありますので、そちらに入って頂きます」


「大国家の屋敷か?」


「将軍家が所有している屋敷で、天照院様に与えられるとのことです」



 その言葉を聞き、義龍は嬉しそうに笑った。



「やっとゆるりと休めるか」


「窮屈でしたか?」


「そんなことは無いが、他人の家と思うと気が引けてな」


「家臣の家です。好きにお使いください」


「家臣、か。本当にいいのか?」


「勿論。今更、幕臣に戻れと命ぜられても困ります」


「……そうか」



 そう言って、義龍は微笑んだ。

 二人はそれぞれの馬に跨り、その馬を大国家の奉公人が引き、帰路へとついた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。