第16話 予想外
どこかの廃寺に、人影があった。
屋根は落ち、障子戸も長年の風雨にさらされて腐っている。そんな人気のない場所に、白頭巾を被った者たちが集まっていた。
「悪い知らせや。金角と銀角もやられおったわい」
その知らせに、一同はうめき声を漏らした。
「他はザコばかりや。数を差し向けても、都入りは阻止できん。親方様への言い訳を考えにゃならんわい」
「谷田山の天狗はどうや?あと、都には牛鬼が……」
「ダメや。クリフォトの悪魔は差し向けるなとの御命令や」
「ほな、もはや打つ手無いやないか!」
反応は様々だった。
俯く者、天を仰ぐ者、両手で顔を覆う者。
そのとき、廃寺の奥から新たな白頭巾が姿を現した。
「御屋形様が動かれました」
その言葉に、一同から驚愕の声が上がった。
「……どうにか、儂らの首の皮は繋がったかもしれんな」
最初に口を開いた老人は、安堵とも恐怖ともつかない笑い声を漏らした。
◇◇◇
清水国、境湊。
葦原国、川内国、清水国の三国の境界にあるこの湊は、西方四洲と京とを結ぶ一大交易港である。
鯉丸とフィー、そして二人の窮地を救い、鯉丸によって『テルボシ』と名付けられた馬は、デカラビアの案内を受けた捜索隊に発見され、無事に船へ収容された。
その後、一行を乗せた幕府の船は、境湊へ入港した。
「では、参りましょうか」
「……大丈夫か?」
「問題ありません。参りましょう」
未だに顔が青い経守を先頭に、鯉丸と紅葉、フィーが船を降りる。
湊には、先触れを受けた二百人近い大国兵が展開し、沿道の群衆が行列へ入り込まないよう、道の両側を固めていた。その間を、鯉丸はテルボシに、経守は用意された馬に跨って進み、紅葉とフィーはそれぞれ籠に乗って後に続いた。
大国兵の警備の外側から、見物に集まった群衆が視線を送っていた。
「何や?何でこの道通られへんの?」
「よーわからんけど、幕府の偉いはんが来とるらしいわ」
「はー、はた迷惑なこっちゃな」
「おとん!あの旗なに?」
「しー!指差したらあかん!」
大勢の群衆の声と視線に、鯉丸は何とも落ち着かない気分になった。
彼が生まれ育ったのは、人があまりいない於能碁洲の山の中だ。
百人ですら大所帯と感じるのに、見渡す限りの群衆の中を進むなど初めてのことだったのだ。
「とりあえず当家の屋敷に向かいます。これからのことは、そこで話しましょう」
「あ、ああ」
船酔いを押し隠して堂々と告げる経守に、鯉丸は緊張しながら返事することしかできなかった。
◇◇◇
大国屋敷。
そこでひとまず旅装を解いた鯉丸、紅葉、フィーの三人は、広間に集まっていた。
「凄い人混みだったねぇ……」
「この世にあんなに人がいたのか……」
「……」
紅葉は床に座って足を投げ出し、鯉丸は凝った肩を自分で揉み解していた。
そしてフィーは、籠の揺れで再び酔っていた。
「……大丈夫?」
「揺れてないのに、まだ部屋が揺れてる……」
「もう歩きで移動……できんよなぁ」
提案しかけて、鯉丸はフィーの黄金色の瞳を見た。
神八洲では、黒や茶以外の瞳は珍しい。紫や青の瞳を持つ者もいるが、その多くは皇族や一部の高貴な血筋に限られていた。
しかし、黄金色の瞳など、鯉丸も聞いたことがない。
「いっそもう、堂々と歩くか?」
「私はそれでいいけど……紅葉さんは角がねー……」
「うーん。折ってみる?」
「「やめなさい」」
鯉丸とフィーの声が被る。
デカラビアの分析の結果、紅葉の角は頭の骨と繋がっている上に神経や血管が通っており、切断したら命に関わることが明らかになっていた。
それでも彼女は角が邪魔らしく、事あるごとに折りたがっていた。
「角があると、かまどの中とか覗けないんだよね。低い位置にある棚とか突き破っちゃうし、ホント不便」
そうぼやきつつ、彼女は輸血用血液の入った水筒に口をつけた。
「梅の実が刺さって抜けなくなったこともあったもんね」
「そう、それ!皆笑ってたけど、あの時アタシ大変だったんだからね!」
「どうどう。人の家だぞ」
盛り上がるフィーと紅葉の会話を、鯉丸が諫める。
その時、廊下から慌ただしい足音が聞こえた。
三人が何事かと耳を澄ますと、障子戸が開き、焦った様子の経守が姿を現した。
「御三方。すぐに身なりを整えてください」
「どうしたんだ?経守」
一拍置いて、経守が口を開く。
「御所様が……将軍様が、こちらにお見えになります」
その言葉に、全員が目を見開いた。
◇◇◇
幕府第十三代征夷大将軍にして、現将軍――為真長義。
その生涯は、戦いと騒乱に塗れていた。
まず、生まれてすぐに父母が病死し、当時子がいなかった為真将軍家に養子として引き取られた。しかし、彼が十歳の頃に養父に実子が生まれ、家督継承権はそちらに移った。
ところが、実子を溺愛して政務をおざなりにするようになった養父に不満を抱いた家臣たちに担がれ、十三歳で挙兵。養父とその実子を討ち取った。
その暴虐に激怒し、反旗を翻した各地の大名たちと四十代半ばまで死闘を続け、終わらぬ戦いに疲れ果てた彼は息子に家督を譲って隠居し、自身は殺してしまった養父とその子を弔うために出家した。
ところが、跡を継いだ息子は暗殺された。
その死を境に、将軍家の分家は二派に割れ、家督を巡って京で争い始めた。
戦は十五年にわたって続き、京は荒廃した。ついには、皇のおわす内裏にまで戦火が及んだ。
しかし、争いを率いていた両派の当主が、時を同じくして病死した。担ぐべき後継者を失った幕臣と有力大名たちは、六十を超えていた長義を還俗させ、再び将軍の座へ戻したのだった。
そんな彼は、まだ戦場にいた。
かつて長義に反旗を翻した大名たちのように、その復位を認めず離反する者が再び現れたのだ。
離反した大名を討つため、長義は討伐軍を率いて清水国へと出陣していた。そこで長義は、暗殺された息子の忘れ形見と対面することとなる。
◇◇◇
「おお、久しいのお、経守」
長義は屋敷の門の前に立つ経守を見て、朗らかに笑った。
対する経守は、額に冷や汗を浮かべつつ、恭しく礼をした。
「御所様、お久しぶりでございます」
「お前が突然、執事代を辞すなどというから、政所は大変だったらしいぞ?のぉ、幾波守」
「ええ。まことに」
そう憎々し気に言ったのは、現政所執事である大国幾波守頼経。
経守の叔父である。
長義の背後に控えている彼は、経守に恨みの籠った視線を送る。
「ずいぶん肌艶がいいじゃないか。お前が抜けてから政所は火の車だぞ。用が終わったらさっさと……!」
「これ。話の本題を逸らすでないわ。余の孫はどこぞ?」
「大広間に待たせております。ささ、どうぞこちらに……」
「経守」
屋敷に案内しようとした経守を、長義が呼び止める。
「悲しいことにのう、余の孫を名乗る不届き者は大勢おる。ゆえに、此度のも余の孫と認めれぬ場合は、その場で叩き斬る」
長義の青い瞳が、経守を貫く。
「無いとは思うが、始末の準備はしておけよ」
「……ははっ!」
冷や汗を浮かべながら、経守は一礼した。
◇◇◇
「御成りです」
奉公人の言葉で、鯉丸は両手を床につけ、頭を下げた。
障子戸が開く音とともに、人が入ってくる足音がする。
その音が止まり、腰を下ろした音が響く。
「面を上げよ」
威厳に満ちた声だった。
神八洲にひしめく武士たち。その頂点に立つ人物の放つ重圧に押し潰されそうになりながら、鯉丸は頭を上げた。
鯉丸の目の前に、老人が鎮座していた。
年齢は六十を超えていると聞いていた。だが、背筋は伸び、眼光は鋭い。こちらを見据える目には、鯉丸が思い描いていた老人の衰えなどなかった。
「名乗れ」
「ははっ、鯉丸と申します」
その返答に、長義は「ん?」と声を漏らした。
「父母の名は申さんのか?」
「……⁉失礼しました!我が母は……!」
「ああ、よいよい。父母のことは、経徳つねのり……今は宗玄じゃったな。あやつより聞いておる。まぁ、そなた自身の口からも聞きたかったがのう」
意地の悪い笑みを浮かべながら、長義は手にした扇子を振った。
しまったなぁ、と後悔しつつ、鯉丸は長義の目を見る。
「そなた、鯉丸と申したな?」
「いかにも、その通りでございます!」
「宗玄が、我が息子の忘れ形見に会うてくれと申すから呼んだんじゃ。あまりあやつに恥をかかせるでないぞ」
ニヤニヤと笑いながら扇子を振る長義に、鯉丸は自分の顔が赤くなるのを感じた。
「さて」
その言葉とともに長義は、扇子で左の掌をぴしゃりと打った。
「為真の御家に入ろうというのなら、我が家のことも学んできたのであろうな?」
「はい。じい……宗玄和尚から教わっております」
「言うてみよ」
促されるまま、鯉丸は知っている範囲で喋った。
為真家は第百十二代皇の皇子が臣籍降下したことで生まれた家であること。
当時の最大勢力であった長須根家を滅ぼすために、皇から征夷大将軍の地位を授かったこと。
長須根家を滅亡させた後、皇家を二分した戦いにも参加し、その恩賞として幕府を開く許可を得たこと。
全て語り終えるまで、長義は鯉丸を静かに見ていた。
「……以上です」
「流石、経徳じゃ。必要最低限は押さえておる」
そう言って、長義は小馬鹿にしたように笑った。
その態度に、流石の鯉丸もムッとした。
「さて、では、その歴史を踏まえて――」
長義は扇子を閉じた。
「我が家が興るまでに、いくつの家が滅んだと思う?」
鯉丸は答えに詰まった。
教わった家々の名が脳裏をよぎる。だが、その数を問われたことはなかった。
「栄えた家には、栄えたぶんだけ恨みがつく。為真の名を継ぐ者は、その恨みも継ぐのじゃ」
長義の目から、笑みが消えた。
「お前に、我が家の業を背負う覚悟があるか?」
鯉丸は膝の上で手を握った。
あると答えることを、求められている。それはわかった。
だが、口にすることはできなかった。
「……背負えません」
傍らで、経守が息を呑んだ。
長義の扇子が、膝の上で止まる。
「ほう?」
「拙は、今お聞きした恨みが、誰のどのようなものかも存じません。知らぬまま背負えると申しては、偽りになります」
長義は何も言わなかった。
鯉丸は喉の渇きをこらえ、続けた。
「拙はまだ、井の中の蛙です。故郷の百姓たちにさえ、自分の事情を説くばかりで、彼らが何を恐れているのかを考えておりませんでした」
「それで?」
「この身の未熟さを知ったばかりにございます。将軍家の重責を果たせるなどと、軽々しくは申せません」
長義はしばらく鯉丸を見つめていた。
やがて、その口元が緩んだ。
「……ふふ。できぬことを、できぬと申すか」
低い笑いが、次第に大きくなる。
幕臣たちは顔を上げかねたまま、将軍の笑い声を聞いていた。
「で? そんな井の中の蛙が、ここに何をしに来た?」
「大海を知りに参りました」
鯉丸は姿勢を正した。
「為真の家が背負うものも、天下に暮らす者たちのことも、学びとうございます。そのうえで、天下の安寧の一翼を担える者になりたいと存じます」
長義は笑うのをやめた。
「学べば、引き受けとうなくなるやもしれんぞ」
「それでも、知らぬままではいたくありません」
長義の指が、閉じた扇子をゆっくりとなぞった。
「……そうか」
沈黙は、長義が扇子を叩く音で破られた。
「頼経」
「は……ははっ!」
「明日の出陣、一日延ばせ」
その言葉に、頼経が目を見開いた。
「へ?いや、しかし……」
「余の命が聞けぬと申すか?」
「はっ!いや!いやいや、そんなことは!」
「では、各所への連絡、頼んだぞ」
その言葉に、頼経は絶望した表情を浮かべる。
「鯉丸や」
「はい」
「明日、妙戒寺の陣へ参れ」
長義は扇子を手に、立ち上がった。
「いつまでも童ではおられまい。その髪、ちゃんと洗っておけよ」
鯉丸は、思わず自分の髪へ手をやりかけた。
その意味に気づき、慌てて両手を床につく。
「……ははっ!」
深く下げた頭の上を、長義の足音が通り過ぎていった。




