第15話 手探りの二人
嵐は、現れた時と同じように突如として収まった。
幕府の船は大きな損傷を免れ、目的地である境湊の手前までたどり着いていた。
入港を前に乗員を確認したところ、鯉丸とフィーの姿がないことが判明した。
「もしかしたら、あの嵐の中で船から落ちちゃったんじゃ……!」
紅葉は泣きそうな顔で、傍らにいた経守に言う。
一方の経守は、未だに青い顔のまま彼女の肩に手を置いた。
「落ち着いてください……鯉丸様は……うぷっ、必ず見つけ出しますので……」
「そんな様子で、探しに行けるわけないでしょ!代わりに捜索してくれる人を探しましょう!」
青い顔の経守に、紅葉が大声を出す。
そんな彼女の肩に、デカラビアが乗った。
『まぁまぁ、落ち着きなさいよ御両人。オイラがいれば、フィーの装備についてる発信機の信号を辿れるんだから』
「えっ?それって、二人の位置がわかるってこと?」
『流石、お姫様は賢いなぁ』
紅葉の肩の上で、デカラビアがくるりと回る。
『フィーは、船から落ちた鯉丸を助けるために海に飛び込んだ。でも、オイラまで船から離れたら、あの二人は完全に行方不明になっちまう。だったら、オイラはこっちに残って、捜索隊の案内役になったほうがいいだろう?』
デカラビアの言葉に、紅葉は目を細めて言った。
「二人が落ちたことを知ってたんだったら、もっと早く言うべきじゃないの?」
その言葉に、デカラビアは何度かパチパチと瞬きをして、言った。
『だーってフィーは無事だし、位置も追える。オイラの計算じゃ、慌てる要素なんてないぜ』
「アタシたちはそんなのわかんないし、心配するの!」
『ああ、そっか。それは計算に入れてなかった。いっけね、アイツのドジが移っちまったか?』
バツの悪そうに単眼を逸らすデカラビアを見て、紅葉は「もう……!」と頬を膨らませた。
◇◇◇
焚火を始末し、鯉丸とフィーの二人は傍にあった道を歩いていた。
「「……」」
会話はなかった。
最初は互いに身振り手振りで意思を伝えようとしたが、思っていた以上に言葉の壁は厚かった。
「あのヒトデがいなくても、喋れるようにしないといかんなぁ」
「……?」
「何でもない。気にしないでくれ」
小首を傾げるフィーに、鯉丸が片手を持ち上げて手のひらをヒラヒラさせる。
意味が伝わったのかどうかは定かではないが、フィーはちょっとムッとした顔をした。
機嫌を損ねたか?
そう思っても、鯉丸にそれを尋ねる手段は無い。
そうこうしている内に、集落が見えてきた。
「Memento vestimenta」
フィーがそう呟くと、彼女の服が一度液状に変化し、尼装束となる。
液体金属。
フィーが身に纏っているそれは一見すると布でできた服にしか見えないが、その実は液状の金属であり、ケテルの炎を流すことで任意の形状に変化させることができるのだという。
「……本当に便利だな、その服」
「……?Estne aliquid in me insoliti?」
「わからん。ホントに何言ってるかわからん」
苦笑交じりに鯉丸は顔を上げ、集落の様子を遠巻きに観察する。
集落には柵や櫓が設けられており、それなりの人が住んでいる様子がある。しかし、集落手前にある田んぼに人の姿は無く、集落からの生活音も聞こえてこない。
「Nescio quid mali praesagio」
「……今のは、なんとなく言いたいことが分かった気がする」
そう言って、鯉丸は腰に差していた刀に手をかけた。
フィーも先ほどまでの姿に戻り、右手に剣を持つ。
二人は慎重に集落の門に近付く。
そして、半開きになった門から集落の中を見た二人は、言葉を失った。
集落は、壊滅していた。
家という家は全て焼かれ、焼け落ちた残骸が点在していた。
路傍には黒焦げになった人の遺体があり、蝿に集られていた。
「Quam horribile……!」
「……女子供まで全滅か。でも、戦の結果というわけではなさそうだな」
そう言って、鯉丸は傍に転がっていた遺体を検分する。
遺体は焼かれてしまっているが刀傷や矢傷は無いし、焼け残った衣服には、銭入れがそのまま残されている。
もしこの集落が戦でこうなったのだとしたら、財布は盗られ身ぐるみまで剥がされているはずだ。
となると、集落全滅の原因は何だ?
「人と家だけが焼けている?一体どういうことだ?何が起こったらこうなる?」
「Daemon est」
「それは悪魔がやったという意味か?だとしたら、多分拙たちが会敵したのとは違う奴の仕業だと……」
そう鯉丸が言った時、遠くから動物の嘶きが聞こえた。
二人は顔を見合わせ、頷き合うと嘶きが聞こえたほうへと歩き出した。
集落を進むと、道の突き当たりに立派な木製の塀と門があった。
門は閉まっていたため、二人は協力して塀をよじ登った。塀の内側には、おそらくこの土地を治めていた人間が住んでいたと思われる、屋敷の焼け跡が残っていた。
崩れ落ちたその建物の脇には、同じく燃えた形跡のある厩舎があった。
「……まさか」
塀から飛び降り、鯉丸が駆け出す。
彼が厩舎に辿り着くと、そこには一頭の馬がいた。
毛色は青鹿毛で、額には星型の白斑がある。乗馬用の鞍や手綱が取り付けられたその馬の首にはつなぎ綱が絡んでおり、その一端が厩舎の瓦礫の下敷きとなっていた。
「……生きていたのか、こんな惨状の中で」
馬は鯉丸をジッと見る。
だいぶ暴れてしまったのだろう。身体の至る所に傷を負い、特に綱が絡んでいる首は擦れて肉が露出してしまっている。
「……」
鯉丸の後を追ってきたフィーは、その様子を見て言葉を失った。
「……まずは、こいつを自由にしてやらんとな」
そう言って、鯉丸は刀を抜いた。
「……⁉Quid moliris⁉」
傷ついた馬へ刀を向ける鯉丸を見て、フィーの表情が強張った。
そんな彼女に構わず、鯉丸は馬に近付く。
馬は首を鯉丸の方に向け、ジッとその場を動こうとしない。
「Desine!Noli occidere!」
フィーが剣を鯉丸に向ける。一方、鯉丸はフィーのほうを向いた。
鯉丸はフィーの剣と、馬の首に絡んだ綱を交互に見た。
ようやく彼女の誤解に気づき、慌てて刀を鞘へ戻した。
「……?」
フィーが困惑していると、鯉丸は馬のすぐそばまで近寄り、綱に触れた。
バチン。
鯉丸の手から青い電撃が迸り、馬の首に絡んでいたつなぎ綱を焼き切った。
拘束から解かれた馬は、よろめきながら立ち上がろうとする。
「こら!ケガをしてるのに立つな!」
そう言って、鯉丸は気付いた。
首のケガが、治っている。
皮が擦りむけ肉が露出していたというのに、今は何事もなかったかのように傷が無くなっている。
まさかと思い、鯉丸は馬の脚に残る傷へ手を添えた。先ほどまでとは違い、壊すのではなく、元の姿へ戻すように念じる。
指先から青い炎が染み込み、傷口がゆっくりと塞がっていった。
「……壊すだけの力では、なかったのか」
傷を癒やされた馬は立ち上がろうとしたが、すぐに膝を折った。傷は治っても、失った体力までは戻らないらしい。
「Incredibile……」
フィーは目を見開いたまま、塞がった傷を凝視していた。
君も人を治療出来たろう、と言ってやりたかったが、言っても伝わらないのでどうしようもない。
一方、馬は再び立ち上がると、覚束ない足取りで厩舎へ向かった。
そして、瓦礫の前で立ち止まった。
「……なるほどな」
馬の様子に疑問を抱いた鯉丸だったが、立ち止まった馬の目の前にあるものを見て納得した。
そこには、瓦礫の下敷きになって息絶えた仔馬がいた。
まだ生まれてからそんなに経っていないであろうその仔馬に、馬が鼻を近づける。
そして、その目から涙が零れた。
「……⁉Koimaru!」
突然、フィーの鋭い声が響いた。
鯉丸はフィーを振り返り、その視線の先を見た。
そこには、嵐を起こした異形がいた。
集落の入り口に佇んでいたその異形は、鯉丸とフィーの姿を認めるなり咆哮し、銀色の角を空へ掲げた。
「Deus vult!」
甲冑姿に変身したフィーが空中に飛び上がり、異形を強襲する。しかし、異形は素早い動きでその攻撃を躱し、集落の外縁沿いを左回りに疾走する。
フィーが異形と交戦している間に、鯉丸は屋敷の門を開いて集落の中を駆けた。
鯉丸が目指したのは、櫓だった。
家は焼き払われていたが、櫓はそのまま残っている。
であるなら、武器もそのまま残っているはずだ。
「あった!」
素早く弓と矢筒を装備した瞬間、豪雨と強風が集落全体を覆った。
それに構わず、鯉丸は外に飛び出した。
刹那、雲間から赤い閃光が走り、凄まじい轟音が響き渡った。
思わず身を竦めた鯉丸が目を開くと、フィーが炎を引きながら地上へ墜ちてきた。
「なっ⁉フィー!」
鯉丸が駆け寄る。
「A……Ahh……!」
フィーは、酷い火傷を負っていた。
即座にケセドの炎を彼女の体に流すと、瞬く間に傷は塞がった。だが、フィーの顔色は戻らず、呼吸も荒いままだった。
その瞬間、四つの指を持つ猛禽の足が、彼女の体を踏みつけた。
鱗の色が、違う。
愕然としながら、鯉丸が顔を上げる。
そこには、先ほどとは違う異形が佇んでいた。
全身を覆う鱗は黄金色で、額からは金色の角が一本生えている。翠色のたてがみを持ったその異形は、真っ赤な瞳を鯉丸に向けながら、フィーの首筋へと爪を立てた。
「AHHHHH!」
爪は首元を深々と突き刺し、フィーが絶叫する。
「止めろ!」
抜刀しようとした鯉丸の体を、衝撃が襲った。
宙に吹き飛ばされた鯉丸は、嵐を呼んでいたもう一頭の殺意に満ちた目を見た。
――殺される。
二人とも、ここで。
再びの衝撃に身を丸めて備えた鯉丸だったが、追撃は無かった。
怪訝に思って目を開くと、先ほど助けた馬が、二頭の異形を襲っていた。
異形が距離を取る。
その隙に、馬は鯉丸の傍にやって来た。
馬は鞍を鯉丸へと差し出し、乗れと言わんばかりに目を向けた。
鯉丸がフィーのほうを見ると、彼女は白い炎で自分を治療しており、目で鯉丸に行けと促していた。
「……っ!よし!お前に賭けるぞ!」
鯉丸は弓を拾い上げると、鐙に足を掛けて鞍へと跨った。
鯉丸が跨った瞬間、馬は勢いよく駆け出した。その瞬間、先ほどまでいた場所に赤い雷が落ちた。
「うっ!くそっ!」
落雷の衝撃に怯みつつ、鯉丸は敵を睨みつける。
二頭の異形は鯉丸を翻弄するように進路を交差させ、左右へ分かれた。
金角の異形は角に赤い電撃を纏わせて鯉丸を追い、もう一頭は暴風を巻き起こして金角の異形の背を押し、加速させる。
鯉丸は右の鐙から足を外し、背後を振り返って射撃する。
しかし、ケセドの炎を纏ったその一撃は躱された。
「AHHHHH!」
その瞬間、自分の治療を終えたフィーが飛来し、金角の異形へと襲い掛かった。
金角の異形は不意を突かれたように立ち止まったが、即座に反転してフィーから距離を取った。フィーは追撃しようとしたが、銀角の異形が放つ暴風によって押し戻される。
「貰った!」
銀角の異形がフィーを押し戻した刹那の隙に、鯉丸が矢を放った。
ケセドの炎を纏った一撃は、銀角の異形の首に命中し、激しい火花をまき散らしながらその首を胴から切り離した。
ケセドの炎によって焼かれる銀角の異形の姿を見て、金角の異形が咆哮する。
そして、再び攻撃態勢に入っていたフィーに向かって赤い雷を落とそうとした。
「させるかぁ!」
鯉丸の矢が、フィーと雷雲の間を横切る。
その鏃へ引き寄せられるように赤い雷が軌道を曲げ、空中で激しい火花を散らした。
赤い火花が散る中で、フィーが金角の異形へと突っ込んだ。
金角の異形が回避する間もなくフィーはその首を切り裂き、その切断面からはケテルの白い炎が吹き上がった。
異形が崩れ落ち、雲が晴れていく。
日の光が差し込む中で、フィーはいつもの服に戻り、片膝をついた。
「フィー!」
鯉丸が馬から降りて駆け寄ると、彼女は血の気を失った顔をしつつ、微笑んだ。
「Vicimus」
「……ああ。勝った。勝ったよ」
言葉の意味は分からなかった。
それでも、フィーが何を伝えようとしているのかは分かった。
フィーが笑みを浮かべ、握った拳を差し出す。
鯉丸は一瞬その仕草に戸惑ったものの、同じように拳を握り、そっと打ち合わせた。
その様子を、青鹿毛の馬が少し離れた場所から見ていた。




