第14話 旅立ち
琳照寺での失敗からおよそ一週間、鯉丸は経守とともに戦後処理を行った。
宗玄の仲介で未だに籠城を続けている因幡家の使者と接触し、和睦交渉を行った。
その結果、次のようなことが決められた。
因幡家は現在の所領を維持し、須佐本家から独立することを幕府へ願い出る。
その代わり、因幡家は須佐本家領への継承権を放棄する。
また今後、武御家および須佐本家領へ兵を向けない。
痛み分けのような条件に幸綱は不満げだったが、膠着状態を続けるよりはいいだろうという鯉丸の意向を汲み取り、渋々和睦に同意した。
こうして、須佐本家を代表する鯉丸、因幡家、武御家の三者によって起請文が取り交わされ、光春の離反から始まった一連の戦いは終結した。
また、幕府へ送った上申書への返書はいまだ届いていなかったが、その裁定が下るまでの暫定措置として、須佐領の統治は武御家へ委ねられた。
そこで鯉丸は、村々の代表を武御屋敷へ招き、戦で受けた被害や今後の暮らしについて一人ずつ話を聞いた。それを踏まえて幸綱と協議し、本年の年貢を免除するとともに、来年以降も従来以上の負担は求めないと約束した。
代表者の中には琳照寺で鯉丸を罵倒した者もおり、終始ばつが悪そうにしていた。それでも別れ際には、皆が鯉丸へ頭を下げた。
こうして、出発の準備は整えられたのだった。
◇◇◇
岩渕湊。
武御水軍の本拠たるこの湊は、畿京洲と西国各地を結ぶ海峡のすぐ傍にあることもあって、交易船や漁船などが立ち寄る大きな湊である。
そこには、幕府から派遣された船が停泊していた。
「おい、あの家紋……」
「シッ!あんまりジロジロ見るな!」
船に掲げられた旗。
そこに描かれた家紋を見て、旅人や商人たちはもちろん、地元の漁師ですら恐れて近付こうとしなかった。
大和天輪。
白地に金色の丸い輪が描かれたその家紋は、為真将軍家のみが掲げることを許される、武家の中では最も格式高い家紋である。
「誰か、将軍家の方がいらしているのか?」
「……貴方ですよ、鯉丸様」
「え?」
とぼけた質問をする鯉丸に、経守が呆れ顔で返答する。
対する鯉丸は本気で気付いていなかったらしく、気の抜けた返事をした後に恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「あっ、そうか、拙か」
「しっかりしてくださいね」
「ははは……爺に見られてたら、怒られてしまうな」
鯉丸は小さく笑い、誰に聞かせるでもなく呟いた。
この旅路に、宗玄はついてこない。
倒壊してしまった琳照寺の立て直しをしなければならないし、何より琳照寺の住職として、地域の人々を置き去りにするわけにはいかないからだ。
――遠き地より、鯉丸様のご健勝をお祈りいたします。
最後に掛けられた言葉を噛みしめつつ、鯉丸は背後を見やった。
海沿いの彼方には、生まれ育った土地の山々が霞んで見えた。少し視線を落とせば被衣で角や白髪を隠した紅葉と、尼装束に身を包んだフィーがいる。
「鯉丸様?」
「……なんでもない。さあ、行こうか」
大国家の兵たちが左右に並ぶ中、鯉丸は幕府の船へ歩き出した。
その背には、故郷を離れる寂しさがわずかに滲んでいた。
◇◇◇
「「オエーーー!」」
出港した船の船尾で、鯉丸とフィーは盛大に胃の中身を海に流していた。
なお、経守は二人より早く船酔いしてしまい、船倉に入れられている。
二人の背を、紅葉が円を描くようにさすっている。
「ちょっと二人とも、大丈夫?」
「ダメ……死にそう……」
「これが大丈夫に見えるか……げほっ!」
首をぐったりと垂らしたフィーと、真っ青な顔をした鯉丸。
二人を介抱している紅葉は、何事も無いようにケロッとしている。
「お水、貰ってくるね」
「「おねがいします」」
波に合わせて上下左右に揺れる甲板を、紅葉は小走りで駆けていく。
揺れをものともしないその様を見て、船員たちも目を剥いていた。
「なんでアイツはこの揺れで平気なんだ」
「三半規管も強化されたんじゃない?知らんけど」
吐き気が収まったのか、吐くものが無くなったのか。
二人は船の欄干に背を預け、並んで青空を仰いでいた。
「……なぁ、フィー」
「なに?」
「この旅の途中で、悪魔が襲ってきたらどうする?」
フィーは一瞬、訝しげな目で鯉丸を見た。
そしてすぐに視線を空に戻すと、大きく息を吐いた。
「当然、撃退するけど?何か問題?」
「今から行くのは京だ。大勢の人が集まる都だ。目立つことをすれば、当然人目に付くだろう」
「……なるほどね。私の正体が明かされることになってもいいのかっていう話ね」
そう言って、フィーはその場に胡坐をかいた。
彼女は紅葉の助けもあり、ここ一週間ほどで神八洲の作法を概ね身につけていた。
もっとも、未だに正座の姿勢は長続きしないが。
「問題ないよ。城での戦いでもう大勢に見られてるし、私は任務を全うするだけ」
「……そういえば、城での戦いの最中で君が言ってた、開拓地とはなんだ?」
「あー、それ聞いちゃう?」
「落ち着いている今聞くのがいいんじゃないか?」
少し間を置き、フィーは語り出した。
「聖天騎士団ってさ。この世界でいうところの幕府みたいなものなの」
「……幕府みたいなもの?」
「聖天騎士団の騎士はね、養成所で教育を受けた後に、自分の軍隊を養うための土地を貰うの。それが開拓地」
鯉丸は思考し、そして戦慄した。
「まさか、聖天騎士団は神八洲を君に与えたのか⁉」
「そうなるはずだったんだけどねー……実際に来てみたら、目の前で君が悪魔に殺されかけてるし、ちゃんと歴史も文化もある国があるしで、もう大混乱よ」
そう言って、フィーはため息を吐いた。
「騎士団の資料では、この神八洲に人間は住んでいないことになってたの」
「では、騎士団にとって拙たちは何だ?」
「……本来なら、ここに存在しないはずの人たち」
不快そうに眉を寄せ、鯉丸が体を起こす。
「だが、拙も皆もちゃんとここにいるぞ?」
「そうなんだよねー……」
それきり、フィーは押し黙った。
船を打つ波の音だけが、しばらく二人の間に響いた。
「お待たせ!」
そこで、紅葉が二つの水の入った椀を持ってきた。
二人はすかさず受け取り、一息に飲み干した。
「はぁー、生き返る!」
「助かった。ありがとう、紅葉」
「どういたしまして。あと船員さんに聞いたんだけど、遠くの陸地を見ながら風に当たると楽になるって」
「「了解」」
その言葉を聞くなり、鯉丸とフィーは船首に向かって移動した。
潮風に当たりながら、二人は大きく息を吸った。
目の前には、畿京洲の陸地が広がっている。
あともう少しで着くだろう。
「……ん?」
その時、鯉丸の視界の端に、何かが映った。
眼前に広がる畿京洲の陸地、切り立った険しい崖の上に何かいる。
「馬?……いや、違う!?」
それは一見、馬に似ていた。
だが、白銀のたてがみと尾を持つ体は翡翠色の鱗に覆われ、四肢の先には蹄ではなく、猛禽を思わせる四本の指と鋭い鉤爪が生えている。耳があるはずの場所には、二本の銀色の角がVの字を描くように生えている。
この世のものとは思えない風貌をしたその生き物は、血のように真っ赤な目で鯉丸たちの船を睥睨していた。
「フィー!」
鯉丸が叫んだ瞬間、船が大きく縦に揺れた。
「おい!!大変だ!!雨雲!!雨雲がぁ!!」
船尾の方から、船員が慌てた様子で駆け込んでくる。
何事かと振り返った鯉丸は、黒い雨雲が船尾方向の空を覆っているのを見た。
「馬鹿な!!さっきまであんなの無かったぞ!!」
「マズい!!強風に煽られる!!帆を畳め!!」
「櫂を出せ!!陸地に急げ!!」
にわかに船上が慌ただしくなった。
帆を畳む者、少しでも船速を上げるために物を海に投棄する者、櫂で漕ぐために船倉へと走る者。
紅葉は船員に案内され、船倉へと向かった。
その姿を見て安心しつつも、鯉丸はフィーに語りかけた。
「フィー、あれ!」
「気付いたけど、ここからじゃ届かないよ」
「飛んでいけないのか?」
「この距離を飛ぶだけの炎はない。それに、この風じゃ途中で落とされる」
そう言いつつ、フィーは先ほどの異形を睨み据えた。
異形が銀色の角を空へ掲げる。
角が淡く輝くたび、背後の黒雲が渦を巻き、海上へ向かって急速に広がっていった。
そして、桶をひっくり返したような大雨と、殴りつけるような暴風が船を襲った。
「うわああああ!!」
「なんだこれは!!」
「マズい!!つかまれ!!」
いきなり台風の真っ只中に放り込まれたような暴風雨に見舞われ、乗員たちは恐慌状態に陥った。大波が甲板を洗い、乗組員たちの足を次々とすくった。男たちは縄や帆柱へしがみつき、辛うじて海へ投げ出されるのを免れていた。
「ぐっ………ううう」
鯉丸は船首に両腕でしがみついていた。しかし吹き付ける雨と風が、彼から体力を急速に奪っていく。
「フィー!何か手はないか⁉」
「何かって言われても……!」
そのとき、船が前後に大きく傾いた。
鯉丸の手が船首から外れる。直後に甲板を洗った大波が、その体を欄干の外へ押し流した。
「鯉丸⁉」
慌ててフィーが海を覗き込む。
鯉丸は海に飲まれようとしている。
フィーは崖上の異形を睨み、次いで海へ落ちた鯉丸を見た。
「……もう!なんでこうなるかなぁ!」
そう叫びつつ、フィーは船首から海へと飛び込んだ。
◇◇◇
焚火の爆ぜる音で、鯉丸は目を覚ました。
上体を起こすと、彼は自分が砂浜に敷かれた敷物の上に寝かされていることに気が付いた。
辺りを見渡すと、いつもの服に戻ったフィーが、薪を抱えて鯉丸のほうに歩いてきた。
「Evigilavisti,Koimaru」
「……は?」
鯉丸の思考が止まる。
彼が固まっていることに気付かず、フィーは続けた。
「Te e nave delapsum natando servavi; saltem mihi gratias age」
「……何て?何て言ってるんだ?君は」
鯉丸の発言に、今度はフィーが固まる。
彼女は信じられないものを見るように鯉丸を見た。それから慌てて外套の内側や腰のポーチを探り始める。
「Deest」
何度探しても、目当ての物が見つからない。
フィーは顔から血の気を失い、呟いた。
「Decarabiam mecum non habeo」
その表情とデカラビアという単語から、鯉丸は何となく事態を察した。
「デカラビアがいないのか?船に置いた……訳ないよな?」
「Fortasse Decarabia mihi in mare excidit」
「何て言ってるかわからん!」
「Nihil intellego eorum quae dicis!」
どこかの砂浜で、意思疎通できない二人の絶叫が響いた。




