第2話『四天王を使役してやった件』
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「ゲギャ!」
「いてっ!」
ポカリと頭を殴られ、気がついた。
そこは、でっかいサーカス用のテントの中みたいな場所だった。
赤い幕が空や四方を覆い、そこかしこをきちんと貫頭衣を身に着けた、身なりのいいゴブリンたちが忙しなく動き回っている。
巨大なイノシシかなんかの死体を抱えているのは、オークというやつではなかろうか。
彼らの動きには規律が感じられる。これは軍隊だ、とぼやける頭が考えた。
手は後ろ手に縛られていて、多少動かした程度ではびくともしない。
ズキズキと響く頭の痛みに苦しみながら、周囲を見渡していると、不意にゴブリンが俺の後頭部を押さえつけ、地面にひれ伏させた。
「いててっ! なにすんだ、こいつ!」
「――鳴くな、猿めが」
頭上から降ってきた、その女の声の重みに、痛いのも忘れて息を呑む。
うなじがひりつく。呼吸ができない。
じっとりとした冷や汗が背中を伝うのを感じる。
こいつ、一体何者だ?
営業という仕事柄、それなりにいろいろな人種と顔を合わせることもあったが、まるっきり次元が違う。
今まで相手にしてきたのがニホンザルやチンパンジーだとしたら、今俺の目に足元だけ映っているやつは西遊記の孫悟空だ。いや、かめはめ波を撃つほうだとしても、あながち間違いではないかもしれない。
それくらいの実力差があることを、たった一言でわからされた。
「面をあげろ」
ゴブリンに髪を引っ掴まれ、無理やり顔を持ち上げさせられる。
果たして、俺の前に立っていたのは、身長2メートルはありそうな、角の生えた大女だった。
筋骨隆々の肉体を覆う肌は、バラのように真っ赤で、雑に結われた長い髪は、真珠みたいに真っ白だ。
小汚いさらしみたいな布を巻いた胸元は、まるでメロンでも隠しているんじゃないかと思うくらいのド迫力である。
下半身には、太ももが丸見えのミニスカみたいな腰蓑しかつけていないものだから、正直言ってかなり目のやり場に困ってしまう。
極めつけに、そいつはすこぶるな顔整いだった。
目尻のつり上がった、サディスティックな金色の目が、俺を見下ろしている。
肌と同色の唇を舐める牛タンみたいな長い舌が、思わず見とれてしまうほど艶めかしい。
「くはっ! 怖いか、猿? このガルディアが、魔王軍四天王が一人、ガルディア・クロムベルが!」
つい呆けてしまった俺の表情を、どう勘違いしたのか。
ガルディアとやらは、満足そうに目を細め、ゴブリンが用意した玉座みたいな椅子に腰を下ろした。
「とんだ間抜けだな、猿。この森を我が領域とも知らずに踏み入るとは。ゴブリンどもでも、踏んではならぬ土の区別くらいはつくというのに。くははは!」
ぐりぐりと長い足で俺の頭を踏みつけてくるガルディア。
く、くそっ、この女!
キッと睨みあげると、ガルディアはますます笑みを深くした。
「痛いよなあ、辛いよなあ、苦しいよなあ? 敵軍のただなかでひとり囚われの身とは、おお。想像するだに恐ろしい。妾ならとうに舌を噛んで自害しているところだ」
「……違うな」
「あ?」
短く言い返すと、ガルディアが不快げに目を細めた。
顔を大地に押しつけられたまま、それでも言い返さずにはいられなかった。
「どんな目に遭おうが、俺は死ぬほうが怖い。どんなに辛くて苦しい思いをしようが、死んだらそれっきりだ。生きてりゃなんとかなる」
そうだ、思い出した。
竹田は死んだんだ。通勤途中、駅で電車に飛び込んで。
あのクソブラックを半年で辞めたあと、斜に構えて社会を舐め腐り、似たようなブラックを転々としてた俺が、運だけでまともな企業にたどり着けて。
あんなクソブラックで3年も耐え抜いて、クソ真面目に頑張り抜いたあいつは、燃え尽きて死んじまった。
頑張れば報われるなんて、冷笑もんの嘘っぱちだ。
……けれど、竹田が間違っていたなんて思いたくはない。
頑張ったやつは絶対的に正しい。頑張ったやつは幸せになるべきだ。そういう世界であってほしい。
だって、あいつは誰よりも頑張っていたんだから。
だから、俺は死なない。死にたいなんて思わない。
頑張ったやつが報われると信じて頑張る。
それが、俺の生き方だ。
「はっ! 笑わせる。そんな青臭い理想は、死にたいと思うほどの苦しみを知らぬから恥ずかしげもなく口に出せるのだ」
ガルディアは心底不愉快そうに唾を吐き捨て、憎々しげに俺を見下ろした。
「そら、ゴブリンども! こやつを痛めつけよ! 最初に『殺してくれ』と言わせた者には褒美をとらす!」
「ゲギャ!」
「ゲギャギャ!」
またもや、よってたかってフクロにされる俺。
だが、今度は悲鳴ひとつあげないよう、砕けんばかりに奥歯を噛みしめる。
ふざけやがって。誰がこんなクソ女を楽しませるものか。
どうせ殺されるなら、虫の息すら漏らさず死んでやる。
「っ……!」
だが、ゴブリンたちの殴打や踏みつけは容赦なく、次第に視界が暗くなっていく。
ヤバいなこれ。マジで死ぬかもわからん。
すまん、竹田。近々会いに行くかも。
「やめよ」
そのとき、ガルディアがゴブリンたちを制止した。
暴力の雨がやみ、息も絶え絶えな俺を、大女が不快そうに睥睨する。
「猿の分際でよく耐えた。喜べ、次は妾が直々に手を下してやる」
「ぐっ……!」
胸ぐらを掴まれ、高々と持ち上げられる。
足をバタつかせるが、地面などかすりもしない。
「まずは目だ。猿の目はなかなかの珍味ゆえな。生きたままじっくりと、総身余さず食らってやろう」
ガルディアのほっそりした指が迫ってくる。
まずいぞ、このままじゃ踊り食いだ。
どうにかして切り抜けないと。
だが、今の俺になにができる? 腕力じゃ敵うはずもないし、そもそも拘束されている。走ったって逃げられやしないだろう。
スキルがあるっちゃあるが、あんなものが一体なんの役に……いや、やるだけやってみるか。
ゴブリン相手には不発だったが、この女とはなぜか会話ができている。
異世界語が通じている理屈はわからないが、とにかくガルディアには知性がある。
ゴブリンとこいつの違いは? 知性の有無だ。
知性のないゴブリンにはスキルが効かなかった。
なら、この女には効くんじゃないか?
効いたところで、なにも起こらないかもしれない。
ただ、名刺を返されて終わりかもしれない。
それでもいい。
ほんのわずかなことでも、一矢報いることができれば本望だ。爪痕をつけてやる。一寸の虫にも五分の魂ってな。
「ガ、ガルディア様……」
「あ? なんだ、猿。妾に言いたいことでもあるのか」
「どうしても、貴女様の、お目にかけたいものが、ございまして……」
ぜえぜえ喘ぎながらそう告げると、ガルディアはバカ正直に食いついてきた。
「見せたいもの? なんだ」
「異国の芸にございます……世にも奇妙な代物につき、口では到底言い表すことなど、できませぬゆえ……どうか、縄を……」
さあ、どうだ。
ガルディアが思案する数秒の間が、俺には永遠のように感じられた。
やがて、大女はひとつうなずいた。
「よし、見せてみよ。ただし、つまらぬものだった場合は承知せぬぞ」
ゴブリンが、槍の穂先で俺の縄を切った。
縄目状に腫れた手首の痕をさすりながら、うやうやしくお辞儀をする。
しかし、口元には満面の笑みが浮かんでいた。
ざまあみろ、デカ女。お前は俺みたいな猿に、最後っ屁食らわされるんだよ。
震える手で、懐からアルミ製の名刺入れを取り出す。
中身は残り7枚。打ち合わせに備えて、補充したばかりだったっけ。
まあ、何枚あろうとどうでもいい。ここで、俺は死ぬんだから。
精一杯背筋を伸ばし、ガルディアの顔を見上げる。
革靴のかかとを揃え、直立不動の体勢から斜め45度。
完璧な角度で腰を曲げ、とびっきりの営業スマイルとともに、さっと名刺を差し出した。
「申し遅れました。私、田中と申します」
さあ、どうなる。
ごくりと生唾を飲み込む。
すると、ガルディアは一拍置いて、
「これはこれはご丁寧に……。失礼、妾はこういう者です」
胸元から、妙に光り輝く名刺を取り出し、いそいそと俺に渡すガルディア。
こんなやつが、名刺なんて持っているはずがない。これはきっと、俺のスキルで生成されたものだろう。
確か、ガルディア・クロムベルとか名乗ってたっけな。
ご丁寧に日本語で書いてある。
◯ ◯ ◯
魔王軍最高幹部 四天王 第四席
ガルディア・クロムベル・アシュフェルト・ナイトレイ・ヴォルクアンタリスデュマグナフェルゼン
◯ ◯ ◯
「なっが」
思わず声が出た。
ガルディア・クロムベル・アシュフェルト・ナイトレイ……なに? なんてお名前?
長すぎだろ。これ名字か? 普段、周りからなんで呼ばれてんの? ヴォルクアンタリスデュマグナフェルゼンさん家のガルディアちゃん?
よくわからんけど、この世界のスタンダードがこれなのか? それとも魔王軍とやらだけ?
まあ、どっちでもいいか。とりあえず呼んでやろう。
「変わった名前だな、ガルディア・クロムベル・アシュフェ――」
そこまで言いかけたところで、ガルディアの異変を察知した。
「わ、妾は……いったい、何を……」
ルビー色だった顔面が、今や散りかけの桜のように赤白くなり、金色の目は限界まで見開かれている。
喉の奥から、死にかけの病人みたいな喘鳴が漏れ出ていて、完全に我を忘れてしまっているようだった。
不気味に思い、尋ねてみた。
「どうした、ガルディア・クロムベル・アシュフェル」
「ま、待て! 頼む、その名で呼ぶのはやめてくれ! せめて、この場では!」
ものすごい俊敏さで平伏し、懇願してくるガルディア。
あまりの必死さに、逆に恐怖を感じた俺は、わかったわかったとジェスチャーで伝えながら、質問を重ねた。
「な、なんでだ?」
「それは……貴様が口にしようとしたのは、妾の真名だからだ」
「真名? 本名ってことか? なんで呼ばれたくないんだ?」
「真名とはその者の本質そのもの。他者に知られれば、魂すべてを支配されてしまうのだ」
なんだそりゃ。そんなもん抱えて生きていかなくちゃいかんのか、この世界の人間は。生きづらすぎんだろ!
ていうか、
「じゃあなんで俺に明かしたんだ?」
「んなもん妾が知りたいわ! 貴様、どんな魔術を使った!?」
「知らねーよ! 俺はただ、名刺を渡しただけだ」
「メイシ?」
「本名……真名とか、連絡先を書いた紙だよ。俺のいた世界じゃ、初対面の相手には、まずそいつを渡すの」
ガルディアは愕然とした様子で首を振った。
「正気か? そんなことがまかり通る世界があるとは思えん」
「俺の世界じゃ、別に真名知られたってなにも起きねえし」
と、そこではたと思い至った。
俺はガルディアの名刺をゲットしたから、こいつの真名がわかる。
なら、ガルディアは?
「くっくっく……くはははは! 愚かなり、猿め! つまり、この名刺とやらには貴様の真名が記されているわけだ!」
「くっ……マジかよ!」
俺は己の考え足らずを呪った。
そうだ、俺の名刺には、俺の本名――真名が書いてあるんだ!
そりゃそうだ! そうじゃなきゃ、どう考えても釣り合わない能力だと思った!
ガルディアは高らかに笑いながら立ち上がると、俺の名刺を凝視した。
しかし、言葉が出てこない。
赤い額に脂汗がにじみ始める。
「………………! 読めん! なんだ、この文字はあああ!」
ほっ、よかった。
……さてと。
ペッと血の混じったツバを吐き出し、鼻血を手の甲でぬぐった。
確か、真名を知っている相手のことは、一方的に支配できるんだったっけな?
「くそっ……! こんな不条理な真名簒奪があってたまるか! 世界中の魔術師がひっくり返るぞ! 一体なんだったというのだ、我ら魔族3000年の歴史は」
「ガルディア。おすわりをしてワンと鳴け」
「ワン!」
喚き散らしていたガルディアが、瞬時にわんこ座りをして、元気よく鳴き声を上げた。
そうした本人すらも、真名の効力に驚いたのだろう。
あるいは、改めてその絶対性を認識したのか。
見る間に滝のような冷や汗をかき始め、金の目はうるんできた。
「くぅーん……くぅーん……」
「…………」
先ほどまでの威厳はどこへやら。
舌をだらんと垂らし、か細い声で鳴きながら許しを乞う、魔王軍最高幹部様の姿がそこにあった。
よし、七割がたスッキリした。
痛めつけられた分は、これで勘弁してやろう。
「ガルディア。先に命令しておく。俺に危害を加えるな。命令なく、ほかの人間に危害を加えるな」
「お、おのれ……よくも妾にこのような……」
「次の命令だ。直立不動ではいと言え」
「はい!」
恨み節をつぶやいていた口で、威勢よく返事をし、シャキッと立ち上がるガルディア。
俺は彼女が座っていた席に、どっかりと腰を下ろした。
評価を改めよう。『名刺交換』はぶっ壊れだ。
名刺ひとつで、四天王とやらを完全支配できるだなんて、掟破りにもほどがある。
だが、完全無欠というわけでもない。弱点はある。
まず第一に、名刺は有限のリソースであるという点だ。
こいつを安定して補充できるルートを構築しなければ、この世界で生き抜くことはできない。
「いろいろ聞きたいことはあるが、まずは飯だ。今すぐ用意できる中で、最高のものを用意しろ」
たとえ生きる世界が変わったとて、俺のスタンスは変わらない。
今いる場所で全力を尽くす。それだけだ。
お読みいただきありがとうございました。




