86.待っている者たち
ルベルドが学園から消えた翌朝。
演習棟の裏に、二人はいた。ミレイユの事はユーリに任せた。今の姿をレインはミレイユに見せたくなかった。
レインが石畳を蹴った。声を上げるとこもせず、ただ、蹴った。
「……あいつが魔族だったって、知ってたか」
ダリアが聞いた。
「知らなかった」
レインが壁に寄りかかった。
「でも——言われて振り返ると、変だと思ってたことはある。力の加減してるのも分かってた。素性が謎なのも。入学してすぐは旅人で、一人で来たって話が妙に曖昧だったのも。でも、だからって魔族なんて思わないだろ、普通は」
「俺も知らなかった。……ただ、姉様は少し早く知っていたらしい」
レインが目を開いた。それから、嬉しいような、悔しいような、複雑な感情になった。
「今朝になって、姉様から話を聞いた。コゴメ姉様はあの男に告げられて、ルベルドに直接聞いたそうだ。それをルベルドは認めた」
「コゴメ王女は……どうだった」
「受け入れていた」
レインが少し驚いた顔をした。
「受け入れた、ってのはどういう意味で」
「ルベルドが魔族でも、ルベルドがルベルドであることは変わらないと言っていた。あいつが言ったことの全てが本物だと、コゴメ姉様には分かるらしい」
レインが天井を見た。しばらく何も言わなかった。
「……俺さ、あいつが追い出されるって言った時、止めたかった。もっと大声で言いたかった」
「言えば良かったじゃないか」
「無理だよ。ルベルドに言うべきじゃないって顔されたし。多分、仲良いってのがバレたら面倒くさい事になるって分かってた。現にルルベルドを魔族って知って態度を悪くしたやつもいたし」
「……なら、お前がルベルドを尊重したということだ」
「尊重じゃないよ。……なんか、悔しくて、悲しくて、でも止められなかった。あいつの目が真剣だったから」
ダリアが少し黙った。
「俺も昨夜、ルベルドに会いに行った」
「え、行ったのか」
「コゴメ姉様に言われた。それもあるが、俺自身も行きたかった」
「なんて言ったんだ」
「信じていると言った。魔族でも、そうでなくても」
レインが少しだけ笑った。
「……さすがダリアだな」
「何がさすがなんだ」
「ストレートに言えるじゃないか。俺は言えなかった。あいつに直接は言えなかった」
「言う機会がなかっただけだろう」
「そうかもしれないけど——でも、次に会ったら言う。絶対言う」
「次があるかどうかは、俺たちにかかっている部分もある」
二人は少しの間、黙っていた。
演習棟の窓から、秋の光が差し込んでいた。いつもと同じ光だった。しかし2人しかいないからか、どこか奇妙に広く感じた。
◆◇◆◇
「アダムの連中のことだが」
ダリアが言った。
「信じている生徒が、昨日の話を聞いて増えた。加護のない二年生を中心に、あの組織の言葉を肯定している者が出ている」
「神域実習で取り込まれた人達……だよな」
「おそらくそうだ。彼らはその時に刻印の提供を受けた。その効果を実感している以上、組織の言葉に説得力を感じるだろう」
「……俺たちの学年でも、そう思う生徒が出てきてるかもしれないよな」
レインが顔を曇らせる。それからダリアがため息をついた。
「既に出ている」
ダリアが静かに言った。
「ルベルドが魔族だったと分かって、『だから組織の言っていることが正しいかもしれない』という空気が、一部にある。あの男の言葉が効いた。魔族が隣に潜んでいた事実は、恐怖を生む」
「……くそ。計算されてた、そこまで」
「そうだろうな。ルベルドを排除しながら、自分たちへの信頼を植えた。一石二鳥だ」
レインが拳を握った。
「俺たちは、どうすればいい」
「今すぐ直接動くのは危険だ」
ダリアが言った。
「俺にはミレイユの護衛という役割がある。ミレイユを危険に晒すような行動はできない」
「俺も同じだ。側近として傍にいると決めた」
「だから直接的な衝突は避けるべきだ。しかし——」
ダリアが少し目を細めた。
「何もしないつもりはない」
「俺もしないつもりはない」
二人は同じ気持ちで、互いを見た。
「あの組織を信用できない理由がある」
ダリアが言った。
「神殺しを試みた。教員を拘束した。それが証拠だ。『加護のない者を守る』という言葉が本当でもやり方が許せない。神を殺すことで力を奪い、人を拘束して道具のように扱う。そういう組織だ」
レインはその言葉に頷く。
「刻印の副作用のことも話してなかったしな。長く使えば体が壊れるかもしれない。それを加護の代わりだと言って、力を受け取らせようとしている。受け取った生徒は、自分の体に何が起きているかも知らないまま、あいつらを信じている!……そんなのって、あんまりだ」
「……随分詳しいがルベルドから聞いたのか」
「ああ。正確には、ルベルドから話を聞いたのと、実際に夏に神域に行った時にも見たし」
「俺も同じ内容をルベルドから聞いていた。神域実習の後に教えてもらった」
二人は少し黙った。
「……ルベルドは先を見越して教えてくれていたんだな。こういう時のために」
「意図していたかどうかは分からない。ただ情報は持っていた方がいいと思っていたんだろう」
「そういうやつだよ、ルベルドはさ!」
レインが立ち上がった。
「……じゃあ、俺たちにできることを考えようぜ!」
「ああ」
「まずは、情報だ。あの組織が学園で何をしようとしているか。どの生徒が取り込まれているか。何人くらいいるか。それを把握しよう」
「同意する。それとユーリ先輩とも連携を取る必要がある。エヴァ令嬢も」
「卒業した先輩達の手も借りられたらいいのにな」
「その件だが、今コゴメ姉様には正式な近衛騎士がいない。その代わりに元近衛騎士の卒業生の一人が特別に呼び出されるらしい。誰が来るかはまだ聞いいていないが」
「……レオニード先輩だと心強いな!まぁ、誰だろうと心強いことに変わらないけど。じゃあ今動けるのは、俺たちとユーリ先輩とエヴァ令嬢、それから後で来るこの近衛騎士ってことか」
「それと——」
ダリアが少し間を置いた。
「コゴメ姉様も、動くつもりでいる」
「コゴメ王女が?」
「ルベルドを追い出した組織に対して、ただ見ているつもりはないと言っていた。ただ、コゴメ姉様を前面に出すのは危険だ。だからこそ——」
「俺たちが盾になる必要があるな」
「そうだ。ミレイユと同じだ。令嬢を守りながら、できることをする」
レインが頷いた。
「……もう一個、できることがあると思う」
「なんだ」
「組織の言葉に揺れている生徒に、話しかけることだ。加護のない生徒の気持ちは俺には分かる。俺も前まで、加護がなかった。あの時の焦りや劣等感は、今でも覚えてる。あいつらが差し伸べてくる手が、魅力的に見える理由も分かる」
「それで、どうしたいんだ」
「刻印の副作用のことを話す。長く使えば体に何が起きるか。正確な情報を持っていれば、少しでも冷静に判断できる生徒が増えるかもしれない。全員は無理でも、一人でも二人でも、一緒に考えてくれる人間が増えれば」
「……加護を諦めかけていた経験を持つお前の言葉なら、届くかもしれない」
「そう思う。俺は話しかけるのが向いてる。ダリアは戦いの面を任せる」
「分かった。俺は内部での組織の動きを監視することに集中する」
◆◇◆◇
二人は石畳の上に立った。
「一つ確認する」
ダリアが言った。
「ルベルドが戻ってくる可能性を、お前は信じるか」
「信じる」
レインが即答した。
「あいつはそういう奴だ。決めたことをやり通す。コゴメ王女を守るって決めた。それを途中で投げ出すような人間じゃない。魔族でも人間でも、あいつの中にあるものは、本物だって分かってる」
「同意する。ならば俺たちは学園の内側を整えておく。ルベルドが戻れる場所を、守っておく」
「そうだな」
レインはそう言うと笑った。今日の朝から、ずっとそうだった。本当に悔しい時に作り笑顔を貼り付けるのが、レインらしいとダリアは思った。
「……俺さ、あいつに言えてないことがある」
「何だ」
「ありがとう、って。一年以上、隣にいてくれて。一緒に旅して。話を聞いてくれて。お前のおかげで俺は変われたって、ちゃんと言えてなかった」
「……言う機会は来る」
「そうだな。だから待つ。絶対に待つ」
「俺も同じだ」
ダリアが小さく頷いた。
「ルベルドが戻ってきた時、俺たちが戦える状態でいること。それが今の最大の仕事だ」
「分かった」
二人は演習棟から外に出た。
学園の廊下は静かだった。昨日の夜の騒ぎで、生徒たちの多くはまだ困惑の中にいる。しかし廊下の石はいつもと同じ冷たさで、秋の光はいつもと同じ角度で差し込んでいた。
変わらないものが、ある。
廊下の先に、コゴメの姿があった。遠くから、レインとダリアに気づいて、小さく頷いた。
目が、赤かった。しかし——真っ直ぐだった。
三人は廊下で合流した。
言葉はなかった。
しかし、それで十分だった。
ルベルドが戻るまでこの場所を守ると、誰に言うでもなく、全員がそう決めた瞬間だった。
コゴメが静かに言った。
「待っていましょう。一緒に」
レインが頷いた。ダリアも頷いた。
廊下の向こう、学園の外の、どこかにルベルドはいる。
帰り道を照らす花の意味を、今はまだ証明できていないかもしれない。しかし——この場所は、ちゃんとそこにある。
待っている人間たちが、ちゃんとそこにいる。




