85.助けに来たよ
夜の街を出た。
ハートヴェルの城門をくぐったのは深夜近い時間だった。門番に止められたが、ルベルドが小さく魔法を使って気づかれずにすり抜けた。人間の薄暗い意識に少し介入する程度の、軽いものだ。
城壁の外に出ると、石畳から砂利道に変わった。
足を止めた。
どこへ行くか。それを決めていなかった。アダムの男が「学園を離れろ」と言った。それに従った。しかし次の行き先は——
(兄上に会えれば別だが。どこにいるかも分からない)
スルクは「また会いに来る」と言った。しかし次がいつかは分からないとも言った。
ルベルドは草の上に腰を下ろした。秋の夜の草は冷たかった。
空に星が出ていた。
ハートヴェルの街明かりが、遠くに橙色を作っている。
(……退屈しのぎに来た場所が、こんな場所になるとは思わなかった)
二年前の春、魔界から飛び出した。ただ退屈だったから。それだけだった。
なのに今は、あの街に大切なものがある。
レインが。ダリアが。エヴァが。
コゴメが。
(待っている、と言った)
コゴメの声が、耳に残っていた。
「近衛騎士の話、まだ変わりませんよね」
変わらない。コゴメは今も待ってもらっている。それが、今のルベルドには重い言葉だった。重くて、温かくて、しかし今すぐ返せないもどかしさがある。
コゴメが「本物でしたか」と聞いた。
本物だと答えた。嘘ではなかった。それはルベルドが知っている中で最も確かなことだ。
しかし——帰れなければ、待っていてくれる人間のところに戻れなければ、何もならない。
(帰る方法を作る。そのために動く)
ルベルドは立ち上がった。
「——ルベルド」
声がした。
振り返った。
暗闇の中から、一人の人影が歩いてきた。背が高い。黒い髪が夜に溶けるように見える。しかし目だけが——深紅で、ルベルドのと同じ色で、夜の中に光っていた。
「兄上」
「やあ」
スルクが笑っていた。変わらない笑顔だった。
「随分と、また大事になったみたいだな」
「また、どこで何を——」
「学園の広場にいたよ。遠くから見てた。あの男が何かをするのを予測していたから、先回りしておいた」
「……見ていたのか」
「うん。お前が荷物を持って出てくるところも」
スルクが横に来て、ルベルドの隣に腰を下ろした。
「ルベルド、兄上が助けに来たよ」
「……助けとは」
「一人でいると危ない。あの男は今、学園を手中に収めようとしている。それに対して、俺が動かないはずがないだろ。お前が一人になった今が一番、危ない」
「どう動くつもりだ」
「詳しくは話しながら。まずは安全な場所に移動しよう。俺の拠点がある。そこで改めて」
スルクが立ち上がった。
「アダムが本格的に動き始めた。例の創設者が直接動いている。あの男が広場に現れたのは——それが最初の一手だ。学園を手に入れて、次をやる気でいる」
「……やはりあの男が創設者か」
「そうだよ。お前も感じただろう。あの圧が」
「感じた。スルクと同等か、それ以上だと思った」
「……そうね。手こずると思う、俺でも」
スルクが少し表情を引き締めた。笑顔の奥に、別の何かが見えた。真剣さだ。珍しかった。
「あの男が動いているということは、計画が具体化した段階に入ったということだ。今まで水面下だったものが、表に出てきた。時間がなくなってきた」
「目的は何だ、今の段階での」
「学園の掌握は足がかりだ。令嬢の祝福を利用した何かを作り、生徒は教団に引き込まれる。コゴメ令嬢の血を採って何か発見があったからこんな思い切りをつけれたんだと俺は見ている」
コゴメの血が取られた事も知っていた。一体どこまで見ていたのか――と聞きたくなるが茶化されるだけだと思い聞かないことにした。
「コゴメが次に狙われる可能性は」
「ある。彼女の血をキッカケに動いた以上は一番危ない」
スルクがはっきり言った。
「だから俺も動くことにした。ルベルドも来い」
「……学園を離れるのか、このまま」
「ルベルドは追放されたし、俺も警戒されてるから仕方ない。学園を離れているうちに、俺たちで状況を変える。学園の内側に残った者たちと、外から動く俺たちが——両方から挟むことができれば、あの男も動きにくくなる」
「俺はあそこに戻りたい」
「分かってる。だから動くんだ。ルベルド、俺はお前を大切に思ってるんだ」
ルベルドは少し黙った。
「……分かった。一つ教えてくれ」
「なんだ」
「あの男は、俺が魔族だと知っていた。なぜ知っていた」
スルクが少し間を置いた。
「……それは、アイツがそういう人間だったから。あの男は魔族の気配を読むのが、人間離れして得意だ。魔族を心から恨んでいるんだ」
「スルクはなんでそんなに詳しいんだ」
「……因縁があるから、かな。直接的では無い。ただ人伝いで何となく知っているんだ。
魔族を心から恨んでいる」
ルベルドは静かにそれを聞いた。
(俺が魔族であることを、あの男は武器にした。ただ、早く言っていれば……)
一瞬そんな事を考えたが無駄な事だ。魔族であると言ってルベルドを認める人間は確かにいた。
ただ、認めない人間だっている。
「それじゃあ。行こう」
スルクが歩き出した。
ルベルドは最後に一度、ハートヴェルの街明かりを見た。
(……必ず戻る)
そう思って、スルクの後を追った。




