84.追放劇
学園の一学年下にあたる二年生たちが神域実習から戻ってきた頃の事だった。
例年通り、各班に分かれた三日間の実習。ルベルドたちも去年の秋に経験した、同じ形式のものだ。
しかし、戻ってきた二年生の様子が——おかしかった。
半数近くの生徒が、どこか虚ろな目をしていた。疲労のせいだけではない。視線の向きが、何かに固定されているような——信念を植え付けられたような目だった。何かを強く信じている人間特有の、あの目だ。ルベルドはそれを見て、すぐに理解した。
(取り込まれた)
引率に行った教師が、戻っていなかった。
二名の実技担当教員と、監視役として同行した補助教師一名。合わせて三名が、実習地から帰らなかった。
昼の休憩時間、レインがルベルドのところに来た。声が、いつもより低かった。
「……ルベルドは聞いたか。二年の実習の話」
「聞いた」
「先生たちが行方不明だ。学園が今、対処に追われてる。授業を一時中断するかもしれないって話が出てる」
「アダムが動いた」
「やっぱ……そういうことか」
「他に考えられない」
ルベルドは少し考えた。
「二年生の一部が、あの組織に取り込まれた。おそらく——加護を持てない生徒に向けて、別の方法で強くなれると誘った」
「……それって、刻印ってやつだよな」
「そうだ。都合のいい所だけを説明して希望を見せたのだろう。教員に目撃されると都合が悪い。だから先に排除した」
レインが少し黙った。
「……加護を持てない、っていうのは、俺も同じだった。あの時」
「レイン」
「いや、大丈夫。俺は今は加護がある。でも——もし、加護を諦めていた頃にそういう話を持ちかけられたら、どうだったかな、とは思う」
「それは、考えていいことではない」
「分かってるよ。分かってるけど、その上で。人間ってそんなに強くないんだよな」
レインが壁に背中を当てた。
「先生たちは、どこにいるんだろう。生きてはいるのかな」
「……拘束されている可能性が高い。見せしめとして使うか、もしくは情報を引き出すために」
「情報って、どんな」
「学園の守り方。特別近衛騎士の配置。令嬢たちの行動パターン。そういうことを知っていれば、内部から崩しやすい」
レインの顔が曇った。
「……もうすぐ、何かあると思うか」
「分からない。ただ準備はしておくべきだ。お前はミレイユの傍から離れるな」
「分かった」
◆◇◆◇
その夜、学園の玄関広場に、人が集まった。
集めたのは学園側ではなかった。
深夜に近い時間、正門の鐘が急に鳴り始めた。緊急集合の鐘だ。生徒たちが廊下に出て、眠気を残した顔で広場に集まり始めた。
何が起きているのか、最初は誰も分からなかった。
ルベルドは演習棟の近くで待機していた。
怪しい者が動けばそれにすぐ気づけるように。そして鐘の音を聞いて、すぐにその方へ向かった。
広場には既に百人以上の生徒が集まっていた。教員の姿もあるが、皆が困惑した顔をしていた。中には何人か、教員に向けて何かを問いかけている生徒もいた。しかし、誰も答えを持っていない。
広場の正面、正門に近い石段の上に——三人の男が立っていた。
黒い外套。アダムの者だ。
そして中央の一人は——ルベルドが知っていた。
黒い長髪。赤い布の掛かった肩。コゴメが説明した姿と、ルベルドが昨日の夕方に確認した姿と、全て一致する。
アダムの創設者。
男が広場を見渡した。ここにいる全員を整理しているようだった。確認が済むとゆっくりとその男が一歩前に出た。
「こんなにも多くの方に集まって貰えて良かった」
静かな声が、広場に通った。よく通る声だった。
「私達はアダムと申します。神を盲信することを否定し、神に選ばれなかった者たちに力を与えることを目指す組織です」
生徒たちがざわついた。
「既に行方不明となった学園の先生方には、少し来られない事情ができました。申し訳ありませんが、当分の間、この学園を我々が管理させていただきます」
「なにを——」
一人の教員が声を上げた。男が視線を向けた。それだけで、教員が竦んだ。
「皆さんに知っていただきたいことがあります」
男が広場全体を見渡した。
「かつて魔王が結んだ魔族と人間を取り持つ条約。我々はそれを信じて生きてきました。抗うことをせず、干渉しないように。しかし、それが破られようとしている」
破られようとしている。
そんな男の言葉に一人、また一人とザワつく。信じて焦る者、理解できずにいる者。
男を責める声もある。
男はその声を確認してから、またゆっくりと言う。
「嘘ではありません。ほら、現にこの学園の中に魔族がいます」
その言葉で、静寂が落ちた。
「人間の顔をして、人間の名前を持って、人間の友人として生徒たちの間に紛れ込んでいる魔族が、一人」
ルベルドは動かなかった。全身の感覚を研ぎ澄ませながら、広場全体を視野に収めた。
「その者の名はルベルド・コロール。三年間、この学園に通い続けた生徒です。しかし彼の本当の身分は——魔王ヴォンドの息子です」
広場が揺れた。ルベルドに視線が向けられている。
「魔族の手は、既にここまで伸びています。あなたたちの隣に、ずっといたんです。話をした。笑った。友人と思っていたかもしれない」
男の視線が、ルベルドに向いた。遠くからでも分かった。人波の中で、ルベルドを正確に見つけていた。
「そして今、魔族の手は人間界に着実に根を巡らせている。その脅威は令嬢にも及ぼうとしています。本当のことを言います——先日、アダムが行った図書棟での襲撃。その目的はコゴメ・ハーヴェル令嬢の保護でした。魔族がいることに気づかずにいる学園のたて、アダムは本来やるべき事を代わりに行ったのです。私たちは魔族から人間を守るための行動をしましたが、その説明が足らず令嬢の近衛騎士の方々に追い返されてしまいました」
嘘ではなかった。しかし真実でもなかった。アダムが来たのはコゴメを含めた令嬢のため。その血を求めてアダムが学園を狙っていた。保護——というのは間違っていない。しかし、自分達が正義の側であったように語っている。そして、今回の襲撃の元凶がルベルドであるように。むしろルベルドは守ろうとしていた側だ。ルベルドがズームを抑えなければコゴメはもちろん、他の令嬢がどうなったか分からない。
しかし、この広場にいる生徒たちにそれを伝える手段は今はない。それに男の言葉には妙な魅力があった。言葉を聞くものが自然とその内容を身に落としてしまうような。
「今後、魔族の手はより多くの場に伸びていきます。その時のため、私たちは魔族に対抗できる力を皆さんに提供したいと思っています。神に選ばれなくとも、選ばれた者と同じ強さを手に入れることができる——アダムには、その方法があります。加護という不公平をなくすために」
広場の中で、誰かが言った。
「……ルベルドって、本当に魔族なのか」
「魔族がいるって嘘だろ」
「でも、あの男が断言した」
「先生たちを攫ったのはこいつらだろ。信じていいのか」
「魔族なんて関係ない!!ずっと俺たちと同じところで勉強して、遊んで。仲間であることに変わらないだろ!!」
「でも、魔族なら何でも納得できる。あの強さも」
「でも組織も怪しいだろ。教員を攫って——」
声が重なる。混乱が、広場に広がっていく。
レインがルベルドの隣に来た。小声で言った。
「……ルベルド、大丈夫か」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃないだろ。どう見ても。色々聞きたいことあるけど……俺は――」
「今はそれより、代わりにコゴメの傍にいてくれ」
「え」
「俺は次に来る言葉が分かっている。コゴメの傍にいてくれ。それだけを頼む」
「……分かった」
レインの目が赤くなりかけていた。しかしルベルドの目を見て、頷いた。
男がまた口を開いた。
「ルベルド・コロール。あなたに、この学園から出ていただきたい。お互いにこの場で争いたくは無いはずです」
広場が、再び静まった。
「魔族がいる以上、この学園は安全ではない。しかし、あなた自身が学園を離れてくれれば——この罪を見逃した教師、生徒への追及はしません。令嬢への害も及ぼしません。これは取引です」
「……」
「返事を聞かせてもらえますか」
ルベルドは広場を見た。
生徒たちの目が向いていた。怯えの目。驚きの目。戸惑いの目。中には——怒りの目もあった。何に怒っているのかは、それぞれ違うかもしれない。
レインがコゴメの方に向かおうとしながら、それでもまだこちらを見ていた。
ダリアは——少し離れた場所で、男を鋭い目で見ていた。
コゴメは、いた。震えている。怯えている。あの男に、そしてこれからルベルドが取るであろう選択に。近くにはユーリとエヴァ、それにミレイユがいる。守れるよう準備は既にされていたらしい。そこに、レインが合流する。
(……言うことがあるとすれば、一つだけだ)
ルベルドは想像していた最悪の出来事に内心でため息を漏らした。誓いを破ることに対して、覚悟を決めた。
「分かった」
声が出た。広場全体に、静かに響いた。
「出ていく」
「ルベルド!!!」
遠くでレインが声を上げた。
「今は黙っていてくれ」
「そういうわけにいかないだろ!!」
「俺が決めた。それ以上言うな。俺とお前は関係ない」
レインが拳を握った。それ以上は言わなかった。ルベルドの考えている意味が分かったから。
ルベルドは男を見た。
「条件がある」
「聞きましょう」
「攫った教員たちを戻せ。学園の生徒に危害を出すな。それが守られるなら、俺は出る」
男が少し頷いた。
「教員たちは明日にも戻しましょう。生徒への過度な干渉もしません。約束します」
「信用するかどうかは別だが、その言葉を覚えておく」
ルベルドは広場を向いた。
この場にいる全員が、こちらを見ていた。その目は魔界にいた頃を思い出して不快だった。
(……人間と魔族は、相容れない)
「俺は魔族だ。それを隠して学園にいた。それは事実だ。言い訳はしない」
静かに言った。
「ただ、この学園で一緒に過ごした時間は、俺にとって本物だった。……楽しかった、嬉しかった。――幸せだった」
それだけ言って、ルベルドは背を向けた。
◆◇◆◇
宿に戻った。
荷物は少なかった。もともとそういう旅人として生きてきたから、持ち物は少ない。
リジェットの乾燥花。コゴメからもらった刺繍。エヴァからもらった氷の結晶。コゴメのお守り石。それらを一つずつ確認しながら仕舞った。
手が少し止まった。
コゴメが安静中に作ってくれた刺繍は、青い花の形をしている。「リジェットの花です。あなたに渡した乾燥花と同じものを見て作りました」と言っていた。
(……帰り道を照らす、花か)
お守りの石も一緒に仕舞った。まだ持っている。帰れる場所があると信じているから、まだ持っている。
扉をノックする音がした。
「入れ」
ダリアだった。
「……追いかけてきたのか」
「コゴメ姉様に言われた。荷物を持つのを手伝えと」
「一人で持てる」
「俺はコゴメ姉様の言葉に従っているんだ。邪魔をするな」
ダリアが室内に入った。部屋の中を見回したが、何も言わなかった。
「……信じている。魔族でも、そうじゃなくても、お前のことを」
唐突だった。ダリアにしては、珍しいほど直接だった。
「……そうか」
「コゴメ姉様を守ってくれた。それは変わらない事実だ。俺が認めていることも変わらない」
「ありがとう」
「礼は不要だ。それとルベルド——俺たちから遠ざかるつもりなら、その考えは捨てろ」
「そういうつもりはない」
「そうか。なら良かった」
ダリアが背を向けた。
「ただ学園の外に出れば、当面は会えない。それでも——お前のことを俺は待つ。コゴメ姉様も待っている。レインも。それを忘れるな」
「忘れない」
ダリアが出ていった。
ルベルドは部屋の灯りを落とした。
(……出るか)
決意はとっくに固まっていた。問題は、次に何をするかだ。




