77.因縁
図書棟の中は、静かだった。
本棚が並ぶ広い空間。窓から午後の光が差し込んでいる。いつも通りの場所だ。
コゴメがいつものテーブルにいた。ルベルドの姿を見て、少し驚いた顔をした。
「ルベルドさん、どうし——」
「来るぞ。動くな」
いつも以上に鬼気迫ったルベルドの声にコゴメが息を呑んだ。
図書棟の北側の扉が、音もなく開いた。
ズームが入ってきた。
夏のガルム島で会った男と同じだ。赤茶の短髪、顔の古い傷、がっしりした体格。しかし——雰囲気が変わっていた。
体から滲み出る魔力の量が、ガルム島の時より明らかに上がっていた。
(……刻印を使っている。これが改良版か)
ズームの両腕に、薄く光る紋様が見えた。皮膚の下から光っているような、内側から押し出しているような発光だ。
ガルム島で戦った時の刻印とは違う。あれはもっと不安定で、歪みがあった。今のは——整っている。以前の刻印の見ていた様を身体の中で暴れる虫だとすれば改善された刻印は体を繋ぐ1本1本の血管のようにキチンと整列された流れをしている。
「久しぶりだな、ルベルド」
「そうだな」
「今日は最初から本気だ。上の指示で令嬢の確保が目的だが——お前がいるなら、まず先にお前と決着をつけてから令嬢は連れていく」
「そうはさせない」
「分かっている。だから本気でいく」
ズームが構えた。
ルベルドはコゴメを見た。
「コゴメ、本棚の奥に入れ。できるだけ遠く。ユーリが来るまで時間を稼ぐ」
「分かりました。でも——」
「俺を信じろ。大丈夫だ」
コゴメが頷いた。本棚の奥へ走った。
ズームがそれを見て言った。
「追わない。お前と戦うのが今の目的だからな」
「分かっている。ならこちらに来い」
「そうする」
ズームが踏み込んだ。
速い。ガルム島の時より速い。刻印が身体能力を底上げしている。
ルベルドは後退しながら防壁を展開した。ズームの拳が防壁に当たった。一撃で削り取られた。
(……ガルム島より桁違いに強い。油断はできない)
「どうだ」
「強くなった、と言って欲しいか。借り物の力を使っているだけの分際で」
「アダムの技術は改良が続いている。お前と戦ってから半年、成果を見てもらいたかったんだか……ひでえ言い草だな。それに――神の加護だって借り物力だろ!」
「神との繋がりには努力がいる。ただの薬を同列に並べるな。とにかくズーム、お前は倒す」
「そうか、そう言われると思っていた」
ズームの血管が浮かび上がる。怒っているのか、戦えることに興奮しているのか、両方か。
攻防が始まった。
ズームの戦い方は変わっていなかった。体の動きそのものを武器にする武術家型の戦闘だ。しかし刻印による強化で、速度と威力が別格になっていた。
ルベルドは防壁を使いながら読みで対応した。ズームの動作の最小単位を追っていく。踏み込みの角度、重心の移動、次の打撃の予兆——
(……ガルム島で戦った時のデータがある。刻印で速度が上がっても、動きの型は同じだ)
読みで追いつく。しかし距離が詰まると防壁が崩れていく。
「防壁が維持できなくなってきたな」
「まだだ」
ルベルドが右手に闇の刃を生成した。
刃形状の闇魔法——ガルム島で使った技だ。防御一点では受け流しにくい。攻撃が最大の防御だ。
ズームが刃を見て目を細めた。
「また出すか。あれは厄介だ」
「そう思ってくれればいい」
ルベルドが踏み込んだ。
今度はルベルドが先に攻めた。刃を走らせながら、同時に左手の防壁を薄く展開する。攻撃と防壁を「同時に動かす」——レオニードとの稽古で習得した技術が、ここで生きる。
ズームが防御に回った。刃の軌道を読んで腕で受け流そうとした。刃はズームの腕を切る。ズームの体は固いが魔法出てきた刃は折れる事をしない。そして切り傷から腕全体に闇魔法の衝撃広がり、体勢が一瞬乱れた。
その隙に——
ルベルドが左手に闇を圧縮した一撃を叩き込んだ。
「——!」
ズームが後退した。本棚に背中が当たった。
「……やはり強いな」
「お前もだ」
ズームが体勢を立て直した。両腕の刻印が、より強く発光した。魔力の出力を上げている。
(……刻印の全開だ。これがアダムの改良版刻印の本来の出力か)
圧が増した。空気が重くなる。それと同時にズームの身体に異変を感じた。
先程までは綺麗に並んでいた刻印の流れがバラバラになった。調律の取れた強化を全体に流れるようになっていたはずだが繋がりが無くなった。それが示すのは──
「オラ!」
ズームの右腕のストレートな殴りを放った瞬間、刻印の力が右腕の方に集中した。
攻撃はルベルドに直撃した。今度はルベルドが反対側の本棚まで吹き飛ばされた。
何とか左腕でガードしたが、骨が折れた音がした。魔力で包んでなければ潰れていたかもしれない。
「俺に勝ちたいなら本気で来い」
「今からそうする」
(化け物が……)
内心でそう思いながら左腕が動くまでに回復した事を確認する。
そして次にズームの両手に魔力を凝集した。ハンマーのような大きな塊だ。
それを放つ前に——
ルベルドは判断した。
(防壁だけでは受けきれない。かと言って、あれが放たれれば建物も無事に済まない。動く前に止める)
ルベルドは足元に闇の刃を展開してみた。
足を何度も切り裂いたはずだが、まるで痛くないのかズームは揺れもしない。
軽い攻撃では止まらない。それこそ今のズームを吹き飛ばせる最大火力の攻撃をする必要がある。
(考えを巡らせろ)
あと数秒もすれば攻撃が放たれる。
早く、それでいて火力を出す方法をルベルドは考える。闇を思い切り込めた一撃で飛ばせるかと言えば怪しかった。むしろそれで倒せなければカウンターで直にあれを受ける。
耐えられない。守ると決めたばかりなのに、隣で居られなくなる。それでも、守らなければならない。
ルベルドは散乱した本を踏みしめながら、ズームに向けて真直ぐ踏み込んだ。
放出直前の隙、ズームが次の魔力を解き放とうとした時に守る力も一緒に離れるはずだ。そこを狙う。
その瞬間にルベルドは闇の圧縮を腹部ニ。全力で叩き込んだ。──砕いた音がした。普通なら泣き叫ぶような激痛が身体を走るような一撃。それなのに、ズームは立っている。
笑みを浮かべ、攻撃を放たれる。
(……死ぬ)
今更防御にも回せない、かわすことも出来ない。そうして死を覚悟した瞬間、ルベルドの脳内にこれまでの記憶が駆け巡った。
コゴメに会った日、ダリアと認め合った時、レインとくだらない最高の冒険をした事、エヴァとの不思議な時間、レオニードと鍛錬した記憶。魔界に居た時間の方が長いはずなのに、死の間際で思い出したのは大切な人間の記憶ばかりだ。
コゴメの笑顔が浮かぶ。笑顔が。笑顔。
最後に浮かんだのはスルクの笑顔だった。
『なぁルベルド、お前は本当に面白い顔をするな』
(……まだ、終わりたくない)
そして次にズームの攻撃が当たった瞬間だった。ルベルドはそれを──受け流した。




