66.旅の終わり
午前の練習を終えて、二人は波打ち際に腰を下ろした。
昼の光が海に反射してまぶしかった。風がある。潮の匂い。
「なあルベルド、一個聞いていいか」
「なんだ」
「お前って、加護をもらったことで何か変わった感覚はあるか」
ルベルドは少し間を置いた。
「……変わった、という感覚はある」
「どういう風に」
「今まで力を出す時に、どこかに歯止めをかけていた。その歯止めが、少し外れた感じだ」
「歯止め……制限みたいな?」
「そうだ。俺にとって力を扱う時、いつも『どれだけ出すか』を考えながらの慎重な作業だった。前までは途中で歯止めがかかっていた。それが今はそれが少し違う感覚になった」
「加護のおかげで、出していいと思えるようになったとか?」
「……そういうことかもしれない」
(嘘の中に、本当のことが混じっている)
ルベルドは静かに思った。
加護はないが——今日の戦闘で、初めて本気を出した。それは本当のことだ。今まで人間の前では絶対に出さなかった力を、今日は使った。その感触は確かに「歯止めが外れた」ようだった。
「お前が言ったこと、少し分かる気がする」
レインが言った。
「俺も今まで、どこかで『加護がないから』って思ってた。一段下の人間だって。でも今は加護があって。それでなんか、もっと前に出ていいんだって思えた」
「そうか」
「俺の土属性をルベルドは前から褒めてくれたけど、俺はあんまり実感してなかった。でも土属性があったら水属性の加護を上手く使えたんだと思う。土台がなかったら、いきなりあんな戦い方はできなかったよ」
「その通りだ。属性は土台だ。水はお前の土の上に乗った」
「じゃあ、土があったのは正解だったな!」
「最初からそうだった。お前の土属性は武器だ」
レインが少し黙った。
「……ありがとう、ルベルド。一年以上ずっとそう言い続けてくれたな」
「事実だから言い続けた」
「事実でも、ずっと言い続けてくれる人って少ない。お前がいてよかった」
ルベルドは答えなかった。
海を見た。遠くで波が動いている。
(……この男と一緒に旅をして、また良かったと思う)
去年も同じことを思った気がする。来年も——同じことを思うかもしれない。
三日目の午後はガウルの案内で島を歩いた。
ガウルは普段の寡黙さとは少し違い、島の話をよく話してくれた。どこで何が捕れるか、かつてどんな嵐があったか、島に昔どんな人間が住んでいたか。
「北の岬の先に、古い祠がある。嵐の神に最初に感謝した漁師が建てたと伝わっている」
「見てもいいか」
「そのために案内している」
北の岬の先は切り立った岩場だった。海の青が深い。風が強い。しかしガウルが言う通り、嵐の気配はなかった。穏やかで、静けさが宿っていた。
「ここが神域の中心か」
ルベルドが言った。
「そうかもしれない。漁師の俺たちにはよく分からないが、ここに来ると気持ちが落ち着く。考えが整理される」
レインが岬の端まで歩いた。
「ルベルド、来いよ」
ルベルドが近づいた。眼下に海が広がっていた。
見渡す限りの水。水平線が遠い。空との境目が曖昧になっている。
「……去年、ルーベンで海を見たよな」
レインが言った。
「ああ」
「今年は島の上から見てる。なんか違う感じがするんだよな。景色は似てるのに」
「高さが違う。それだけでなく——お前自身が去年と違う」
「そうか。俺が変わったから、同じ海でも違って見えるか!!」
「そういうことだろう」
レインが少し黙った。
「……お前もそうか。去年と変わったもんな」
「変わった」
「変わったと思うところ詳しく教えてくれ!」
「……ここに帰ってくる場所ができた、という確信が増した。去年は、まだ揺れていた気がする。旅をせずにずっとこちらに居ていいのかどうかが」
「今は?」
「今はハートウェルにずっといたいと思っている」
レインが笑った。
「お前がそう思ってくれてるなら、俺は嬉しいよ」
「……そうか」
「うん。ずっとここにいてくれ。俺の隣に友達として」
ルベルドは少し間を置いた。
「……そのつもりだ」
ガウルが少し後ろで、静かに笑っていた。
◆◇◆◇
四日目の朝、オルトの船が来た。
ガウルが食べ物を持たせてくれた。干した魚と、この島でしか取れないという小さな貝の加工品と、乾燥させた薬草が少し。
「体を温める薬草だ。長い船旅に持っていくといい」
「ありがとうございます」
「礼はいい。……また来てくれ」
ガウルが言った。声は静かだった。
「今度来るときは、もっと平和な理由で来い。そっちの方が俺も歓迎できる」
「来ます。必ず」
レインが言った。ガウルが短く頷いた。
ルベルドは少し考えてから言った。
「ガウルさん。組織の者がまた来たとき——すぐに集落の全員を島の南側の石壁の陰に避難させてください。あそこが一番壁が厚い。来る途中に確認しました」
ガウルが目を細めた。
「……よく見ている。若いのに」
「観察が得意なだけです」
「分かった。覚えておく」
オルトの船に乗り込んだ。
港を離れる前に、ルベルドは一度島を振り返った。
森の緑。岩の黒。海の青。嵐の神が守るこの島は——静かで、確かにここにある場所だった。
(……良い旅だった)
それを心の中に留めた。
嘘はついた。
しかし、この旅が良かったのは本当だ。
「行くぞ」
「うん!!ガウルさん、また来ます!!!」
レインが大きく手を振った。ガウルが小さく手を上げた。
船が港を離れた。
航行の二日目の夜、ルベルドは甲板に出た。
夜の海が広がっている。空に星が多い。島を離れてからも、しばらく星の多さが続いていた。北の海の夜は、澄んでいる。
手のひらを開いた。
外套の内ポケットから、コゴメから貰った石を取り出した。小さく、重みがある。表面の文様が月の光を受けてかすかに光った。
(……帰る)
コゴメに約束した。
「怪我をしないで」と言われた。「帰ってきてくれれば、それだけでいい」と言われた。
帰る。
嘘をついた。大きな嘘を。いつ本当のことも話せる日が来ると信じている。
その日のために、今はここにいる。
(……コゴメに全部話せる日は、いつか来る。レインにも。その時まで、俺はここにいる)
そう決めながら、夜の海を見続けた。
遠くで、星が光っていた。




