63.覚醒(レイン視点)
集落へ向かって走りながら、レインは己に言い聞かせていた。
(落ち着け。俺にできることをやれ。守ること——それだけを考えろ)
煙は集落の南側から上がっていた。漁師の家が並ぶ方向だ。走りながら魔力を練り始める。レインが扱うのは土属性の魔法だ。いつでも魔法を使えるように地面との繋がりを感じ取りながら行く。この島の土の感触は本土とは少し違う。湿っていて、密度が高い。海に囲まれた島の土だからだろう。
集落に着いた。
すでに戦闘が始まっていた。
三人の黒い外套の男たちが集落の広場に立っていた。漁師の家の一軒から煙が出ている——家そのものではなく、外の干し網に炎が飛んだらしかった。男たちの一人が炎属性の魔法を展開している。
漁師たちは家の陰に隠れていた。怪我をしている者はまだいないが、誰も動けない。怯えた顔が暗がりから見えた。
「お前ら!!」
レインが声を張り上げた。
三人が振り返った。
「子供か」
「子供で悪かったな!この島の人たちから手を引け!!」
「邪魔をするな」
男の一人が魔力弾を放った。レインは横に跳んで避けた。
三人。全員が訓練された者だがルベルドが言った通り、ズームよりは弱い。
それでも、加護を持たないレインが相手にするには三人は十分すぎる程の相手だった。
(守ること。人が逃げる時間を作ること。それに集中しよう)
「ガウルさん!!北の方へ逃げてください!!」
レインが叫んだ。
ガウルが暗がりから顔を出した。
「分かった!!みんな、来い!!」
漁師たちが動き始めた。
男たちの一人が漁師達を追おうとした。それをレインが土の壁を作って邪魔をする。
同時に残った二人がレインに向かってくる。邪魔をされた一人もレインを標的に仕留めたようだ。二人が左右から包もうとする。連携が取れていた。
炎の魔力弾が連射される。レインが土の障壁を張った。崩されては張り直す。崩れる。そして後退した。
(……消耗が速い。三人の連携を一人で受け続けると、魔力が保たない!)
漁師の大半が逃げた。あと少し——時間を稼げればいい。
後退しながら障壁を張り続けた。
「っ——!!」
炎の一撃が障壁を突き破ると衝撃でレインが吹き飛んだ。砂浜に転がった拍子に砂が口に入る。
体を起こした。痛い。骨は折れていないだろうがそれ以上に不味いことになっている。魔力が底を突きかけていた。三人の連続した攻撃を一人で受け続けた代償だ。
「まだ立つか。しつこいな」
男の声は淡々としていた。感情がない。仕事として来ている者の声だ。
「ただ有用な子供だ。今日のところは死なせないで持ち帰ることにしよう」
三人が近づいてきた。
レインは膝をついたまま、立ち上がろうとした。
足に力が入りにくい。疲弊していた。
(立て)
自分に言い聞かせた。
(ルベルドが信頼してここに送り出した。俺はできると言った。そうだ)
「できると言ったんだろ、俺」
地面に手をついた。砂の下に、土がある。
この島の土。嵐の神の加護を受けた島の土。いつもより湿っていて、密度が高くて——
(……温かい)
手のひらに、温度があった。
土が、温かい。
ルーベンの浜辺では感じなかった感触だ。ヴェルダ山林でも、こんな感触は——
頭の中で何かが繋がった。
ここは神域だ。嵐の神が守る島。この土は——神の加護の中にある。
(俺の土属性が、この土に触れて何かを感じている)
不思議なことが起きた。
手のひらから、薄い光が漏れた。レインは気づかなかったが、光は地面に吸い込まれていった。島の地面に吸い込まれた光は、根のように広がって——そして何かを呼んだ。
目の前に、何かが現れた。
光だった。
ヴェルダで見たものとは色が違った。あれは緑だった。これは——青い。深く、動いている青。水面が揺れるような、波が返ってくるような、嵐の後の海のような——そういう色をした光が、レインの前に立っていた。
(……神様、か)
レインは手を止めた。
三人の男たちも止まっていた。その場の誰もが、目の前に現れたものを見ていた。
(ヴェルダでは来なかった。神は俺の前を通り過ぎた)
あのとき、レインは「まだ足りない」と思った。今回こそは、と思って来た。
しかし——本当に来るとは、思っていなかったかもしれない。
「……来てくれたのか」
震える声で、レインは言った。
光は答えなかった。しかし動いた。
静かに、レインの胸の方へ近づいてきた。
——問われる。
言葉ではない。形ではない。しかし確かに何かが問われていた。
何のために力を欲しいと思っているのか。誰を守りたいのか。どこへ向かいたいのか。
(俺は)
レインは思った。
(兄貴みたいになりたかった。強くなりたかった。そうだ、最初はそれだった。でも今は——)
ルベルドの隣に立ちたい。
この島の、今日の朝に笑ってくれたガウルさんを守りたい。
力が欲しい。誰かを守るための力が——誰かを包める力が、欲しい。
「お願いだ。力をくれ」
レインは言った。
震えた声で、しかしはっきりと言葉にした。
「俺は守る。守るために力を使う。それを誓う——だから、貸してくれ」
光がレインの手に触れた。
その瞬間、砂浜の砂が動いた。地面に含まれる水分が、引き出されるように集まり始めた。北の海から吹いてくる風が、湿気を帯びた。
レインの手のひらに、水が生まれた。
「……水?」
レインは自分の手を見た。薄い水の膜が、手を包んでいた。土の感触とは全く違う——しかし懐かしい感触があった。生まれて初めて触れる力のはずなのに、まるで昔から知っていたような。
「水の加護……か」
男たちの一人が呟いた。声に動揺が混じっていた。
「退くぞ」
別の男が言った。低く、判断の速い声だった。
「加護覚醒を相手に戦い続けるのは割に合わない。撤退だ」
「待て」
三人目が言った。
「覚醒直後は出力が安定しない。今のうちなら——」
「来るなら来い!」
レインが立ち上がった。
体に力が戻っていた。土属性の力と、新しい水属性の力が、体の中で混ざり合いながら流れている。二つの流れが——喧嘩していない。土が水を受け入れ、水が土に染み込む。まるで最初からそうだったかのような、自然な混ざり方だった。
「俺は土属性の魔法が得意だ」
レインが言った。声は安定していた。震えていなかった。
「けど今日から水属性も持った。二つあっても、やることは変わらない!守る為にお前らを倒す!!」
地面から水が引き出された。土と混ざり合って、重い泥の壁が隆起した。通常の土の障壁よりずっと重く、粘い。火属性の攻撃に対して——水分を含んだ土は、炎は通らない。
当たった瞬間に打ち消される。
「放ってみろ」
男がもう一度炎の魔法を放った。
炎が泥壁に当たった。
消えた。水分が炎を取り込んで、きれいに消した。
「……」
男たちが少し動揺した。
レインは続けた。
今度は土の拘束を足元に薄く流しながら、その隙間から水の刃を走らせた。水は細く、鋭く、土の拘束の外側を縫うように相手の膝下を狙う。
一人が足を取られた。転倒した。
もう一人が跳んで回避した——レインはすでにその着地点に水の薄膜を敷いていた。着地した瞬間、足が滑る。体勢が崩れる。
「なんだこれ!!土と水が連動してる。どっちを見ればいい!!」
「どっちも俺の魔法だ。両方見てくれ!!」
レインが追い打ちをかけた。
地面に溜めた水を一気に引き上げて、砂と混ぜた。巨大な土砂の波が男たちを押した。海の方向に向けて、波を作るように。
三人が転がった。海の手前の砂浜で止まった。
「……退く」
最初に動いた男が立ち上がりながら言った。傷はあるが致命的ではない。しかし戦意が削がれていた。
「覚醒したての奴を相手に消耗するのは無駄だ。連絡を入れて戻る」
三人が森の方向に消えた。
◆◇◆◇
レインは一人、砂浜に立っていた。
荒い息をした。体が重い。二属性を同時に使った疲弊が全身に出てきている。
しかし——まっすぐ立てた。
「……できた」
誰にも聞こえないくらい小さな声で、レインは言った。
声が少し震えた。
「俺、できたぞ」
自分の手のひらを見た。水の感触がまだ残っていた。薄く、揺れるような感触。
空を見た。青い空だった。
思い出したのは、兄ロスタの顔だった。「お前もいつかそうなれる」と言ってくれた顔。
次に思い出したのは、ルベルドの顔だった。「お前ならできる」と言った顔。
「……ありがとう」
空に向かって言った。
誰かに届くかどうかは分からない。ただ言いたかった。
そしてすぐに立ち上がった。
「ルベルドのところに行かないと!!」




