60.試練
翌朝、二人は神域へ向かった。
ガウルが朝食を持たせてくれた。塩を振った堅パンと干し果物を小さな包みにくるんだものだ。「腹を満たしてから行きなさい」と言ったのを、二人は律儀に従った。
丘への道は、島の奥へと続いていた。
道の両脇に生い茂る草は、どれも普通の草だ。しかし進むにつれて、空気の質が変わっていくのをルベルドは感じた。
(……魔力の密度が上がっている。地面の下から、あるいは空気そのものから、何かが滲み出ている)
「ルベルド、なんか空気が重くないか」
「感じるか」
「うん。なんか……ここだけ、違う」
「神の気配だ。神域が近い証拠だろう」
「神様の気配……!」
レインがしっかりと地面を踏みしめた。緊張しているのが分かる。
しばらく歩いたところで、霧が現れた。
地面から湧き上がるような白い霧が、道を塞いでいた。視界を三メートルほどで遮る密度だ。
「なんだこの霧!?」
「分からない。ただ、神に関係している」
「……どうする?」
「入る以外にない」
ルベルドは霧の前に立った。手を前に出してみた。指先が霧に触れると、冷たい感触がある。ただの霧ではない——魔力を含んでいる。
(……試されている。この霧は、来た者の内側を見るものだ)
「一緒に入るか、別々に入るかどうするんだ」
「一緒に入る。ただ、霧の中では互いの姿が見えなくなるかもしれない。それでも前に歩き続けることだ」
「分かった」
二人は霧の中に入った。
◆◇◆◇
霧は深かった。
一歩踏み込んだだけで、周囲の景色が白に飲み込まれた。レインの姿が霞んで見えなくなった。足元の地面だけが確かに感じられた。
(……分断される設計ではない。しかし意識がそれを感じさせる)
ルベルドは歩き続けた。霧の中で不思議な感覚があった。何かが——ルベルドの内側を、ゆっくりと見るような感覚。
(……神か。それとも霧そのものの性質か)
ルベルドは足を止めなかった。コゴメから受け取った石のお守りを上着の内側で感じながら、ただ前を向いて歩いた。
やがて、霧が薄くなった。
光が差し込んだ。
出た先は、丘の頂上の小さな開けた場所だった。
石造りの古い祭壇のようなものがある。岩が円形に並んでいて、その中央だけが草が生えていない土の地面になっている。
レインがすぐ隣に出てきた。
「……出た!!」
「そうだ」
「霧の中、怖かった。急に一人になった気がして——でも、ルベルドが先に言ってた通り前に歩き続けたら出た!!」
「そうか」
ルベルドは祭壇の中央を見た。何も見えない。神の気配は濃いが、姿はない。
(……神は、まだ姿を見せていない)
これは実習のときと同じだ。神は問いかけに来るのではなく、待っている。来た者が、自分でその前に立つことを求めている。
「どうすればいいんだ」
「待つ。神は急かせない」
「……分かった」
二人は岩の円の中に入って、黙って待った。
風が吹いた。海の風だ。
しばらくして、光が動いた。
石の円の中央に、薄い輝きが現れた。形はない——光の集まりというか、空気が変質しているような感覚だ。しかしその場所だけ、温度が微かに変わる。
(……これが、嵐の神か)
「……いる?」
レインが小声で言った。
「いる」
「俺、なんか言うべきか?」
「お前が思うことを言え。神は儀礼的な言葉よりも、言葉の中身を見る」
レインが少しの間、黙って立っていた。
それから、深く息を吸って、口を開いた。
「……俺は、大切な人たちの傍にいられる力が欲しいと思ってここに来ました。今の俺では、守れない場面があるから。でも——ただ強くなりたいんじゃなくて、俺には土属性の魔法があって、この島に来る前は海でも、洞窟でも、いろんな場所でこの力を使って誰かを助けようとしてきました。その続きをしたいと思っています」
光が、揺れた。
まるで応答するように——一瞬だけ、強くなった。
(……神が、反応している)
「……あと、隣のルベルドは俺の一番の友人です。こいつが俺に神域に来ようと言ったのは、俺のことを信頼しているからだと思います。だから——俺も、それに応えたい」
光がまた揺れた。今度は長く。
そしてルベルドに向かって、光の輪郭が一瞬向いた気がした。
(……俺を見た。しかし——)
魔族に加護は与えない。神の選択は揺るがないだろう。ルベルドはただ静かに、その視線を受け止めた。
光はルベルドから離れ、レインの方に集まり始めた。
そのとき――島の反対側から煙が上がった。




