57.また旅が始まる(2)
◆◇◆◇
夕方、船は中継港に着いた。
小さな漁村の港だ。石造りの建物が並んでいて、夕飯の匂いが路地に漂っている。今日はこのに宿を一つ取って、食事をした。
「海の魚、うまいな」
レインが言った。揚げた白身魚と野菜の炒め物を、食欲旺盛に食べている。
「お前、量が多くないか」
「腹が減ってるんだよ!!船の上って揺れるから消耗するんだよな」
「揺れていたのか。俺はあまり感じなかったが」
「え、そうなの!?羨ましい!俺、少し船酔いしてた」
「言えばよかっただろう」
「でも、言ったら格好悪いだろ?」
「そういう格好悪さを気にするだけ無駄だ。体調の確認は重要だ」
「……それはそうだけど」
レインがスープを飲んだ。外では夕陽が沈みかけていた。
「ルベルド、一個聞いていいか」
「なんだ」
「今回の旅、危険があるかもしれないって話があっただろ。そのこと、コゴメ王女に言ったか?」
ルベルドは少し考えた。
「……言っていない」
「なんで?」
「コゴメを心配させる必要はない。俺とお前が戻ってきた後に話す」
「……そうか。まぁ、確かにな。コゴメ王女、心配するとずっと心配し続けそうなタイプだし」
「分かっているか」
「なんとなく。でも―――」
レインが少し声を落とした。
「それって、ルベルドなりの気遣いだよな」
「……そうとも言える」
「言えるじゃなくて、そうだろ」
ルベルドは答えなかった。
「まぁいい。俺は分かってるから!」
レインが笑った。それ以上は追及しなかった。
夜、宿の狭い部屋でルベルドは眠れずにいた。天井を見ながら、考えていた。
(……嵐の神。レオニードがあの島で加護を受けた神だ)
レオニードは加護を受けたのは二年の時のことらしい。その年の神域実習では加護を受けた生徒はいなかったが、レオニードだけが個人的に今回の島へ向かったという。その代の生徒の中でも彼女は強さに執着していたのだ。そして、今では学園のトップに相応しい実力を身につけた。
当時この神域に来て嵐の神と向き合った。そのときのことを、レオニードは詳しく語らなかった。ただ「行ってきなさい」と、短く言っただけだ。
(……神はどういう者を選ぶのか)
これまでに見た名前の分かる加護持ちを思い出した。ダリア——炎の神の加護。レオニード——嵐の神。クロード、エレナ、センも、それぞれに固有の神と繋がっていた。
(加護は、「相応しい者」に与えられる。その基準が何であるかは、神にしか分からない)
魔族であるルベルドに、神が加護を与えることはないだろう。それは分かっていた。しかし今回の目的はルベルドの加護ではない——レインだ。
(レインは、加護を受けるべき力を持っている。土属性の魔力が、去年より格段に磨かれた。神がそれを見れば分かるはずだ)
もしレインが加護を受けられれば、選抜試験での戦力が変わる。加護のある者とない者では、出力の次元が違う。それはダリアを見れば明らかだ。
(……俺は、レインに加護を受けてほしいと思っている)
その感情に気づいて、ルベルドは少し眼を細めた。
(友人のためにそう思う。それが、俺にとって自然になった)
魔界にいた頃、誰かのためにそう望んだことは一度もなかった。長く一人で退屈していたあの頃から、何かが確かに変わっていた。
◆◇◆◇
翌朝、中継港からレオニードが手配した船へと乗り換える予定だった。
船は小型漁船ではなく、中型の交易船だった。白い船体に、帆が二枚。船長は五十代の男で、名をオルトといった。がっしりとした体格に、日に焼けた深い皺。見るからに海を長く生きた人間だ。
「ガルム島か。久しぶりだな」
オルトが荷物を確認しながら言った。
「あの島は変わった場所だぞ。嵐の最中でも、島の周りだけ波が穏やかになる。俺も最初に行ったときは、あまりの静けさに気味が悪いと思った。今は慣れたが」
「嵐の神の加護を受けた島と聞きました」
ルベルドが言うと、オルトがじっとこちらを見た。
「お前ら、神域目的で行くのか」
「そのつもりです」
「……若いな。まあ、俺がとやかく言う話じゃないが一つだけ」
オルトが声を落とした。
「最近あの辺りに怪しい連中が出るという話が漁師の間で回っている。黒い外套の男たちを見たと言っていた。知り合いの漁師から聞いた話だ。気をつけた方がいい」
ルベルドはレインと一瞬視線を合わせた。
(……やはり、先に動いている)
「ありがとうございます。気をつけます」
「礼はいい」
オルトが操舵室に向かった。
船が港を離れた。
甲板に立ったレインが、遠ざかっていくハーレの街を見ながら言った。
「……やっぱり組織が動いてるのか」
「動いている。ガルム島が神域であることは、あちらも把握している。ただ」
「ただ?」
「先に動いていたとしても、まだ神を殺すには至っていない。そうなっていればこの辺りでも噂になっている。今ならまだ神は眠っている。それに、微かだが気配も感じる」
「……神の気配、お前には分かるのか」
「感じられる程度だが、ある。この距離でも、北の方角から何かが届く」
レインが北を向いた。
「俺には何も感じないな。風があるのは分かるけど」
「感知は訓練次第で上がる。ただ素質の差もある」
「俺には向いてないのかな、そっちは」
「別の方向に向いている。昨日も言ったが、人の感情を読む速さはお前の強みだ。それは戦闘でも活きる」
「そうかな」
「そうだ。人と戦う時、相手が攻撃する前に何かを見せる。重心の変化、呼吸のリズム、視線の動き——そういうものを読むのはお前の方が速い」
レインが少し考えた。
「……そういうもんか」
「そういうものだ」
北の海が広がっていった。
空の青と海の青が、遠くで溶け合うように繋がっている。
ルベルドは手すりに軽く手をついて、その景色を見た。去年のルーベンで海を初めて見た時の感触が少し戻ってきた。広大さと静けさが混ざり合った感触。
(……変わらず広い)
しかし去年と少し違うのは——今年は「これから何かがある」という予感とともに、その海を見ていることだった。




