48.エヴァの視点
その日の夜。
エヴァ・クレールは自室の窓から、学園の演習棟を眺めていた。
夜になっても灯りがついている区画が一つある。ルベルドが練習している区画だ。
(……また遅くまで)
エヴァは窓から離れて、机の前に座った。
今夜の報告書を書かなければならない。
エヴァは今、ルベルドを「側近」として持っている。名目上は「令嬢エヴァ・クレールが有望な生徒を傍に置いて共に学ぶ」という形だ。議論の相手として、月に数回会う。
(……最初は違った)
エヴァは思った。最初、ルベルドを側近に誘ったのは、打算だけではなかった。初めて見たルベルドは誰ともどこか距離を置いていて、どこか自分に似ているのだと思った。
しかし、側近として置く頃にはルベルドは大きく変化していた。
心を許す友達がいて、愛する人がいた。
正直なところ、エヴァはルベルドの事が好きだ。人間として好き―――というのはそうだが、それだけの意味じゃない。
感情を隠しがちのエヴァが具体的にそれを自覚したのはいつだったか。
ルベルドは今でも変わらず議論の場では真剣で、エヴァが投げかけたことに正確に返してくる。それは変わっていない。
しかし、ルベルドがコゴメと話すときの顔を見たことがある。
図書棟の前を通ったとき、偶然二人が話しているのが見えた。ルベルドの横顔は、エヴァに向けるものとは少し違った。何かが、緩んでいた。
(……ああ、そういうことか)
そのとき初めて、エヴァは自分が「届かない場所にいる」ことを理解した。
エヴァはルベルドを評価している。側近として。議論の相手として。信頼できる人間として。
しかしルベルドがどこを向いているか、エヴァには分かっていた。
(コゴメ王女のところだ)
エヴァはそれを責める気にはなれなかった。コゴメは良い人だ。弱くて、しかし芯がある。誰にでも優しい。友人という間柄ではないが会食で席を共にした時には心を開かないエヴァにも優しく声をかけてくれる。
それを羨む気持ちは、ある。しかし羨んでどうなるということでもない。エヴァはエヴァで、コゴメはコゴメ。同じにはなれない。
(私はコゴメ王女のように笑えない。誰にでも打ち解けることができない。初対面の相手に手を差し伸べることが、私には難しい)
エヴァは机に肘をついた。
窓の外で、演習棟の灯りがまだついていた。
(……ルベルドは強くなろうとしている。それは分かる。大会でも、二年生で誰も勝てなかった。あとは選抜試験だ)
選抜試験に通れば、ルベルドは特別近衛騎士になれる候補に入る。
そしてコゴメの傍に立てる。
(……そのための努力を、ずっとしている)
目標に向かってひたむきに走るルベルドの姿をエヴァは好きになったのだろう。
その目標が自分の方向に向かないと分かったうえ。
エヴァは報告書に向き直った。
ルベルドの月次評価を書く。「議論の質が高く、思考の回転が速い。実技面での成長も顕著。側近として引き続き置く価値がある」。
事実しか書いていない。それで十分だ。
ただ、書き終えたとき、エヴァはペンを机に置いて、もう一度窓を見た。
(……ルベルドが近衛騎士になれれば。それはそれで、良いことだと思う)
自分の気持ちと、そう思う気持ちが、どちらも本当だった。
エヴァはそれを整理しようとして、できなかった。
(……まだしばらくは、このままでいい)
側近として、議論の相手として、月に数回会う。それが今のエヴァとルベルドの関係だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
(でも私は、その時間が好きだ)
エヴァは報告書を閉じた。
灯りは、まだついていた。




