40.スルク
男が再び構えた。
ルベルドは立ち上がりながら、闇の魔力を手のひらに集めた。今度は手を抜かない、と決めかけた、その瞬間―――。
後ろの木々が、静かに揺れた。
「やあ。随分と賑やかなことになってるじゃないか」
声がした。
軽い声だった。穏やかで、どこか退屈そうで、しかし妙にしっかりと通る声。
木々の間から、一人の少年が現れた。
年は十七ほど。髪は夜のように黒く、緩やかに流れている。瞳はルベルドと同じ色―――深紅だった。背は高く、体格は薄いが、纏う雰囲気だけが場全体を圧した。
口元に、笑みを貼り付けていた。
出会って初めて見るのに、どこかで見た笑顔だ。―――姿形は少し変わっているがルベルドはすぐに分かった。
(兄上)
「……スルク?」
ルベルドが呟いた。
スルクが笑ったまま、ルベルドを見た。
「久しぶりだな、ルベルド。六年ぶりか? 随分と大きくなった。昔はこれくらいしか無かったのに」
スルクが指と指の間に小さな隙間をつくって見せる。ルベルドの顔は依然驚いたままだ。
「何故ここに」
「いやあ、色々あってな。……ところで」
スルクの視線が、男に移った。笑顔のまま。
「そこの人、俺の弟に手を出してるみたいだけど」
男が動いた。スルクに向けて、全力の魔力弾を放った。
スルクは動かなかった。
笑顔のまま、右手の人差し指を一つ、立てた。
指先に、闇の光が灯った。
―――それは、ルベルドの闇魔法とは別種の何かだった。同じ属性の筈なのに、密度が桁違いに違う。重力を歪めるような、底のない深さ。
スルクが指をひとつ、弾いた。
男の魔力弾が、空中で静止した。そのまま、ゆっくりと消えた。まるで最初からそこに存在していなかったかのように。
男が目を見開いた。
「……なんだ、お前は」
「名乗るほどじゃないよ」
スルクが一歩踏み出した。
「ただ、こいつらに手を出すのはやめてもらいたい。……そんなに難しいことは言ってないよね」
「ぐっ―――」
男が魔力を高めた。刻印が輝く。強化術の上乗せしているようだ。
スルクは笑顔のまま待った。
男が踏み込んだ。全力の一撃。
スルクがそれを──受け流した。
魔法すら使わずに腕を一本だけ使って、男の攻撃の軌道を、ほんの少しだけずらした。それだけで男の体勢が完全に崩れた。慣性を完全に制御されたような動きだった。
「はい、そこ終わり」
男の足元に、闇の拘束が広がった。男が動けなくなった。
スルクが男の顔を覗き込んだ。笑顔のまま。
「退いてくれる?弟の前で酷い所は見せたくないんだ。今日は勘弁してあげるから―――次はないよ」
男が歯を噛んだ。しかし体が動かない。刻印を使い果たして、もう余力がない。
「……覚えていろ」
「うん、覚えておく。じゃあね」
スルクが拘束を解いた。
男が倒れながら、木々の中に消えた。
静寂が戻った。
スルクがルベルドを振り返った。笑顔は変わらない。
「どうだ、ルベルド。兄上の見せ場、感動したか?」
「……感動よりも先に聞くことがある」
「なに?」
「なぜここにいる」
スルクが少し眉を上げた。それからまた笑った。小さな声でルベルドに耳打ちをする。
「まあ、色々な。……お前が人間界に来てるって話は知ってたよ。一回ぐらい顔見に来たくなったんだ。ちょうど良かったな、困ってるところに来られて」
「……六年も何も言わずにいて、いきなり現れるのか」
「本当はもっとちゃんとした場を設ける予定だったけど……そういう感じになっちゃったな」
スルクが頭を掻いた。
レインがルベルドの隣に来て、小声で言った。
「……ルベルド。あれ、誰だ?」
「……兄だ」
レインが絶句した。
「兄!?え、あのかっこいい人が!?」
「ねぇルベルド、俺かっこいい人だってさ」
「兄上はもう黙ってくれ。レインも、後で話す」
ルベルドがため息をついているとコゴメが前に出た。スルクを見上げて、きちんとお辞儀をした。
「……助けていただきありがとうございます。ルベルドさんのお兄様」
「いやあ、気にしないで。弟の知り合いだろ? 挨拶しとくよ。スルクっていいます。よろしく」
スルクが柔らかく笑った。コゴメが少し目を丸くした。
外見はもう少し成長したルベルドと言った感じだが全然違う雰囲気だ。コゴメが過去に兄、と聞いて想像していた人物とは離れているものだった。
「……最後に会った時から、変わってないな」
ルベルドが言った。
「変わってる変わってる。六年経ったんだから」
「その笑顔が全然変わっていない」
「それは俺の特性だからな」
スルクが空を見上げた。
「……まあ、ゆっくり話す機会はいつかあるだろ。今日のところは引き上げな。迎えが来るだろ、もうすぐ」
「どうして知っている」
「なんとなく。……ルベルド、一個だけ言っておく」
スルクが振り返った。笑顔のまま。しかしその目が、少しだけ真剣だった。
「さっきの連中、一人じゃないよ。組織がある。加護が関係する場所は全体的にアイツらが狙っている。それどころか学校だって例外じゃない……気をつけろよ」
「お前は知っているのか、その組織を」
「まあ、それなりに」
スルクが笑った。
「詳しくはまた今度。ゆっくり話す場所でな」
そう言い残して、スルクは木々の間に消えた。まるで影が揺れたかのように、静かに、自然に。
四人が残された。
しばらく誰も話さなかった。
やがてレインが言った。
「……ルベルドに、あんな兄貴がいたのか。カッコイイなぁ!話してくれたら良かったのに」
「……いた。ただ六年も姿を見せなかった」
「めちゃくちゃ強かったな」
「……そうだな」
ルベルドは木々が消えた方向を見つめていた。
(……六年ぶりだ。変わっていないように見えた。しかし──変わっているだろう。六年で、何かが変わった。どこにいたのか、何をしていたのか)
聞けなかった。それに、当然だが六年前とは比べ物にならない強さをしていた。
父上に近い、それだけの力を感じた。
コゴメがルベルドの隣に立った。
「……大丈夫ですか」
「大丈夫だ」
「……お兄様、優しそうな方でしたね」
「……そうだな」
ルベルドは短く答えた。
(優しそうで、実際に優しいのか。あるいは──)
その続きは、考えられなかった。
遠くから、教員たちの声が聞こえてきた。迎えが来た。
ルベルドは一度だけ深く息を吸って、前を向いた。
(……今は、これでいい。兄上に会った。生きていた。それだけで十分だ)
「行くぞ」
「うん!」
レインが元気よく返事をした。ダリアが先に歩き出した。コゴメがルベルドと並んで歩いた。
山林の入り口から、光が差し込んでいた。




