26.嵐の終わり
嵐はその夜に本格化した。
宿の食堂で夕食を食べながら、外の音を聞いていた。波が唸り、雨が窓を叩き、風が壁を震わせる。宿の中は暖炉の火が揺れており、温かかった。
「いや、でも今日すごかったな」
レインがスープを飲みながら言った。
「洞窟、ほんとにぎりぎりだったもん」
「あと五分遅かったら入り口が塞がっていた」
「そんなこと冷静に言うな……怖いだろ!」
「事実だ。ただ間に合った」
「ま、そうだけどさ」
レインはスープの入った皿を置くとルベルドに向き合った。
「……一個聞いていいか」
「なんだ」
「コゴメ王女、お前のこと好きだと思うか?」
ルベルドは少し止まった。
「……なぜ今その話を」
「なんとなく。怖い事の後ってなんか心が素直になるから」
「……分からない」
「分からない?本当に?」
「……やり取りは、礼儀だと思っていた」
「あんな仲良し日記が礼儀なわけないだろ!!!」
レインが叫んだ。
「まず礼儀でそんな事やらないんだよ!!男女でやってるやつなんてお前の他に俺見た事ないもん!!!」
「……そうか?」
「そうだって!!俺は男の子として断言するけど、好きじゃない相手にそんなことしてくれる女の子はいない!!!」
「お前はそんなに色恋に詳しいのか」
「詳しくはないけど、これは基本的な話だと思う!」
ルベルドは少し黙った。届いた手紙のことを思った。丁寧な字。楽しみを告げる話。「帰ったら話しましょう」という言葉。
(……分からない、か)
少し正直に考えると——分からない、というのは少し違う気がした。何かを感じているのは分かっている。ただそれを「確認する」ことを、ずっと後回しにしていた。
「……後回しにしている、という方が正確かもしれない」
「理由があるのは分かってる。誠実なのはいいんだけど、それで機を逃したらどうするんだ!」
「機を逃すとは、どういうことだ」
「好きな気持ちって、相手にも伝わるんだよ。ちゃんと向き合ってもらえてる、って感じると相手も嬉しいし、関係が深まる。でもいつまでも『立場ができてから』って言ってると、相手が『俺のことそこまでじゃないのかな』って思うことがあるかもしれない」
ルベルドはその言葉を頭の中で転がした。
(……相手が「そこまでじゃないと思う」か)
コゴメが図書室に来ては、よく話題を振ってくるのはルベルドと繋がっていたいからだろうか。それに対してルベルドが毎回一言か二言しか返さないのを―――コゴメはどう受け取っているか。
考えてみると自分はコゴメの優しさに甘えていたのかもしれない―――と思った。
しかし、これが全て勘違いだったらと思うと胸が痛む。それに、魔族と人間という大きな違いがルベルドを思い留まらせる。
「……覚えておく」
ルベルドは言った。
「まただ!」
「今回は特に、覚えておく」
「少し進展した!!」
「進展ではない。注意事項として保存した程度だ」
「お前の言葉のチョイスってなんかこう……!!!」
レインが天井を見た。
「まあでも、ちゃんと聞いてくれてよかった。お前、俺の話ちゃんと聞いてくれるから好きだよ、本当に」
「……それは、友人として、か」
「当たり前だろ!! 違う方向の好きじゃないからな!!まじで勘違いするな!!!!」
「分かっている。確認しただけだ」
「紛らわしい確認をするな!!!!」
嵐の音が大きくなって、また落ち着いた。暖炉の火が揺れた。
「……ルベルド、一個だけ言っていいか」
レインが少し声を落とした。
「なんだ」
「大会の宣言、あれが俺は好きだった。コゴメ王女に向かって『待ってろ』って言ったやつ。俺の席からコゴメ王女の顔がばっちり見えてたんだけど―――すごく赤くなってた。お前のことが好きなのは絶対そうだよ、俺には分かる」
ルベルドはしばらく黙った。
「……そうか」
「そんな短い返事でいいのか!!」
「……参考になった。以上だ」
「情緒がない!!!!」
それでも、ルベルドの胸の中には、その言葉がちゃんと残った。コゴメが赤くなっていた。あの場面はルベルドの頭の中にもしっかりと残っていた。
それはそうとして。
(……レインは、いい友人だ)
―――と、その夜はそれだけ思った。
嵐は翌朝に収まった。洗い流されたような青空の下、港が動き出した。
残り二日間、ルベルドとレインは街を歩いた。
レインは行く先々で地元の人間に話しかけた。商人の家で育った習慣が出ていた。初対面でも気安く、相手もそれを自然に受け入れる。ルベルドは少し離れてその様子を見ることが多かったが、時々レインに「こっちこっち」と引っ張られた。
「お前も話せばいいのに」
「俺は聞いている方が好きだ」
「そういう性格なのは知ってるけど!でもたまに話すと、お前が言ったことって相手が真剣に聞くんだよな。なんでだろ」
「……普段しゃべらないから、話したときに重みが出るんじゃないか」
「そっか!!計算してやってるわけじゃないのにそうなってる!天然で最強のしゃべり方じゃないか!!」
「大げさだ」
「大げさじゃない!!」
最終日の夕方、馬車に乗る前にレインが港を眺めて言った。
「来年の夏も、どっか行くか」
「二年になれば選抜試験はより力を入れたい」
「一週間なら大丈夫だろ。今年みたいな旅がまたしたい。お前と来ると面白いから」
「……面白いか」
「面白い! 毎日何か起きるし、お前が冷静に処理するの見るのが笑える」
「笑えるというのが少し引っかかるが……悪くない提案だ」
「悪くないってことは来る気があるってことだな!!決まりだ!!」
「まだ決まっていない」
「心の中では決まってる!俺には分かる!!!」
ルベルドは馬車に乗り込みながら、少しだけ口の端が動いた。それをレインは見ていた。
「やっぱり笑ってる!!」
と言ったが、ルベルドは否定した。
馬車がルーベンを出た。夕暮れの海が橙色に染まっていた。
(……良い旅だった)
ルベルドはシンプルにそう思った。景色だけでなく―――誰かと笑い、誰かと走り、誰かの話を聞いた時間が「良い」の中に入っていた。




