25.嵐来る
四日目の朝、空が変わっていた。
昨日まで高かった青空が、灰色の雲に覆われている。港の漁師たちが荷を急いでいて、どこか慌ただしい空気があった。
「嵐が来るっぽいな」
レインが宿の窓から顔を出しながら言った。
「昨夜から風向きが変わっていた。大きい嵐だろう」
「え、昨夜から気づいてたのか?」
「夜、眠る前にそんな予兆を感じた」
「俺、ぐっすり寝てたから……」
レインが頭を掻いた。
「今日は街の中で過ごすか。ゆっくりするのも―――」
そのとき、宿の主人が食堂を覗いてきた。
「あー、学園の生徒さんたち。一つ聞いてもいいかね」
「なんですか?」
「昨夕に、街の子どもが二人、北の崖の海蝕洞に遊びに行ったまま戻ってないんだよ。今朝から地元の者が探しているんだが——嵐が来るから、なかなか踏み込めなくて」
ルベルドは顔を上げた。
「海蝕洞というのは」
「崖の下に開いた洞窟でね。満潮で水が入るんだが、奥に高い岩棚があって水没しない。昔から子どもの秘密基地みたいになってるんだが、今の潮位だとあと一時間ほどで入り口が塞がる」
「子どもたちは洞窟の中にいるのか」
「おそらく。呼んでも返事がないと言ってて……ただ嵐が来る中、大人が入るのも危ないという話になって」
ルベルドは立ち上がった。
「場所を教えてくれ」
「え、あんたたちが?でも嵐が―――」
「行く」
レインも立ち上がっていた。迷いなく。
「俺も行くよ。二人の方が早いだろ」
主人が少し口を開けてから、「崖沿いに北へ十分ほど、岩が二重になってるところだ」と教えてくれた。
◆◇◆◇
宿を出た。
風が強くなっていた。波は昨日より高く、砂浜に打ち寄せる音が轟いている。
「ルベルド!洞窟の中、灯りは?」
走りながらレインが聞いた。
「俺が出す。お前は前を走れ」
「了解!でも俺、地元の地形知らないから迷うかも!」
「主人に聞いた。崖に沿って走れば着く」
「お前って要領いいな!!」
「いいから走れ」
「走ってる!!!」
崖沿いの道を走った。岩が増えて、足場が悪くなる。レインが一度石に足を取られかけたが、ルベルドが袖を掴んで立て直した。
「ありがと!!」
「しっかりと前を見ろ」
「見てる!!」
岩が二重になった場所に着いた。崖の下、黒い岩が口を開けている―――海蝕洞だ。中から潮の匂いと冷たい空気が流れ出ている。
「入り口、まだ開いてる!」
レインが言った。
「でも水位が―――」
足元を見ると、波が入り口の岩を洗い始めていた。あと十五分もすれば塞がる。
「急ぐ」
ルベルドは指先に魔力を集めた。
闇魔法を発光させる技術―――人間には珍しいやり方だが、闇の魔力を凝縮させると逆説的に光が生まれる。一点集中の鋭い灯りが指先に灯った。
「それ、灯り代わりになるのか?」
「なる。行くぞ」
レインが先頭を走り、ルベルドの灯りが後ろから照らした。
洞窟の内部は予想より広かった。奥に向かって広がっており、天井が高い。足元は水たまりが増えてきて、ぴちゃぴちゃと音がする。
「子どもたちーー!」
レインが叫んだ。声が反響して戻ってくる。
「いるかーー!」
少し間があって―――奥から声がした。
「ここ!!助けて!!」
「いた!!」
レインが速度を上げた。
さらに奥に進むと洞窟が広がった。高い岩棚の上に二人の子どもがいた。八歳前後の男の子と、少し小さい女の子。男の子が泣きながら叫んだ。
「よかった……誰か来てくれた」
「大丈夫か?!怪我は?」
レインが岩棚の前に来て言った。
「俺は大丈夫。……でも妹が足を挫いて動けなくて」
ルベルドはすでに岩棚に上がっていた。女の子の足首を確認する。腫れている。骨ではなく、腱だ。
「骨折ではない。捻挫だ。担いで動ける」
「俺が男の子を連れていく!ルベルド、女の子を頼む!」
「分かった。ただ―――」
ルベルドが入り口の方向を見た。光が変わっている。波の音が大きくなった。
「満潮が来た。急ぐぞ」
「よっし、走れ!!」
レインが男の子の手を引いた。ルベルドが女の子を背に負う。女の子がルベルドの服をぎゅっと掴んだ。
走った。水が増えてきた。ふくらはぎまで。ももまで。
「冷てぇ!」
レインが声を上げた。
「でも動ける!進める!!」
入り口が見えた。しかし、外からの波と内側の水流がぶつかり、強い流れが生まれていた。立っているだけで引っ張られる。
「ルベルド!どうしよう!流れが強い!」
「お前が先に抜けろ。男の子を連れて外から引け。俺が後から押す」
「でも―――」
「俺は流れに負けない。行け」
レインが一瞬だけルベルドを見た。頷いて、男の子を抱えて水流に踏み込んだ。土属性の魔法を足元に展開して地面に踏ん張りを作りながら、数秒で外に出た。
「出た!!押してくれ!!!」
ルベルドは女の子を前に回した。
「目を閉じていろ。俺が押す」
「……こわいよ」
「大丈夫だ。必ず生きて帰す」
ルベルドは女の子の背中を押しながら、自分の足元に闇魔法を流した。水流の力を受け流すように、足場に「重さ」を加える。人間界の物理学では説明できない魔力の使い方だが、今は気にしている場合ではない。
女の子の手がレインに掴まれた。引き上げられた。
最後にルベルドが出た。
外に出た瞬間、嵐の前の強風が体に当たった。塩辛い風だった。
「全員いるか!!」
レインが叫んだ。
「四人いる」
「よし!!!!!」
振り返ると、洞窟の入り口は波に完全に塞がれていた。
崖の上に全員が上がった。
男の子が「お兄ちゃん達、どうもありがとうございました」と丁寧に言った。女の子も泣きながら頭を下げた。
「足首を冷やせ。念の為三日は走らないよう注意しろ」
ルベルドが言った。
「はい……っ!」
「家に帰れるか」
「走れます!妹は俺が背負います!!」
男の子の言葉にルベルドはため息をついた。
「走るなと言ったばかりだ。分かった。―――乗れ」
ルベルドは男の子に背中を差し出した。
男の子は素直に背中に乗った。
「レイン背負い方を知っているか。こうする」
「えっ」
「何をしている。妹の方はお前が運べ。できるだろ」
「できる!!!」
レインがルベルドの真似をして軽く女の子を乗せた。
「迷惑かけちゃってごめんなさい」
歩いている途中に男の子が小さな声で言った。
「別にいい。それに子供とは迷惑をかけるものだ。それで成長をしていく」
「お!ルベルドいいこと言うな!!」
「成長出来なかったらこの男のようになるからお前らは気をつけろ」
「え!?なんだ、どういうことだよ!!!」
二人のおかしなやり取りを見て、2人の子供は元気な声で笑った。
街に着くとそこで二人は子供を背中から降ろした。
「もう大丈夫だな」
ルベルトが言うと二人で「はい、本当にありがとうございました」とまた丁寧にお辞儀をした。
二人が街の方へ走っていった。雨が降り始めた。
ルベルドとレインは並んで、嵐が来る海を見た。
「……いやー、間に合ったな」
レインが息を整えて言った。
「ぎりぎりだった!!」
「でも間に合った。お前も一緒に来たお陰だな」
「二人だからできた!!」
「そうか」
雨が強くなってきた。レインが空を見上げた。
「そういえばルベルド。さっき流れの中で女の子を押したとき、なんか普通じゃないことしてなかったか?足元に何かしてたように見えたけど」
(……見ていたか)
「魔力を足場に流した。闇属性の応用で、足元に重さを加えられる。魔法学の授業では出ない技術だ」
「独学ってやつ?」
「昔から練習していた。特殊な状況で使える」
「……俺には絶対できないやつだ。お前って天才だよな」
レインがやや遠い目をした。
「まず闇属性が、やっぱり独特だし。お前だからできるって感じがある」
「お前の土属性も、あの場面で役に立った。流れの中で地面に踏ん張れたのは、俺には難しかった」
「え、そうか?」
「それに土属性の踏ん張りは防御の理屈だけじゃ使えない。お前はそれを自然に使えている。立派な強みだ」
レインが少し目を丸くした。それから、照れくさそうに笑った。
「……ルベルドにそれ言われると、なんか本気で嬉しいな」
「本気で言っている」
「分かってるよ。だからこそ嬉しいんだ」
嵐の雨が本降りになってきた。二人は宿へ向かって歩き出した。




