24.コゴメへの言葉
『ルーベンという港町に来ている。海を初めて見た。水平線は地平線と同じように見えた。ただ色が違う―――海の方が濃い。夕暮れの波に光が反射するのが、しばらく目が離せなかった。こういう場所があると知らなかった。人間界はまだ広い。楽しかった』
書き終えてから少し眺めた。「目が離せなかった」などと素直に書いたのは珍しい気がしたが、コゴメに対しては、なぜかそういう言葉が出やすい。消す気にはならなかった。
部屋のドアがノックされた。
「ルベルド、起きてるか?俺、眠れなくて―――」
「入れ」
レインが入ってきた。手に湯のみを二つ持っていた。
「宿の人に頼んで温かいの作ってもらった。よかったら」
「もらう」
二人で縁に座って湯のみを持った。窓から海が見えた。夜の海は昼と全然違って、暗く、重く、しかし静かだった。
「何書いてたんだ?」
レインが机の上を見た。
「コゴメへの手紙だ」
「へえ。なんか面白いことやってるな」
「夏休みの間、楽しい事があれば全部書く」
「……」
レインが少し黙った。
「なんか、ジリジリする!」
「なぜだ」
「だってさお前が律儀にそんな事をやってるてすごくないか?お前ってコゴメ王女のこと相当好きだと思うんだけどさ……どうなの?」
「これは礼儀の問題だ。夏休み前に約束をした。それに俺が旅に出ると知っているから」
「違うって!!礼儀だけじゃないだろ!!!」
「声が大きい」
「うわー……ルベルドって鈍いのか、それとも気づいてて避けてるのか、どっちだ」
「……後者に近い」
レインが目を丸くした。
「え、素直だ。それに避けてる方!なんで!?」
「近衛騎士になる前に、そういう話をするのは筋が違う気がしている」
「冷静だなー!普通感情は先に来るもんだろ?」
「立場がなければ傍に立てない。傍に立てない状態で、感情の話をしても―――」
「責任を持って向き合えないってことか?」
ルベルドは少し止まった。
「……そういうことだ」
「……ルベルドのそういうところ、格好いいとは思うけど―――」
レインが湯のみを両手で包んだ。
「俺の経験から言うと、感情は後回しにすると複雑になるぞ」
「経験か」
「4年前のときに好きな子がいて、言えいまま引っ越された話」
「興味無い」
「聞けって!! 学びがあるから!!」
「……聞こう」
「えっ、聞いてくれるの?!」
「参考程度に」
レインが「じゃあ話す」と言って、昔話を始めた。8歳の頃に好きだった女の子がいて、告白しようとしたら相手が一週間早く引っ越してしまったという話だった。悲劇にはちがいないが、話し方があまりに明るかったので、ルベルドはどう反応すれば良いか少し迷った。
「……それで、学んだことは」
「言えるときにすぐ言えばよかった。以上!」
「……それだけか」
「それだけ!教訓はシンプルな方が覚えやすい!」
ルベルドはしばらく黙ってから言った。
「……覚えておく」
「ほんとに?絶対?」
レインが少し驚いた顔をした。
「覚えておく、と言った」
「……嬉しいな。俺の経験がお前の役に立つなんて」
「まだ役に立てたかどうかは分からない。しかし、参考にはなった」
「十分だ!」
窓の隙間から夜の海の音が小さく聞こえてくる。静かだった。波の音が一定のリズムで続いていた。
「……レイン」
「なに」
「お前は、兄上に近い成績を出したいと思っているか」
突然の話題転換にレインが少し目を丸くした。しかしすぐに「あー、昨日の話か」と言った。
「正直に言うと近くなりたい気持ちはある。兄貴に「お前も頑張ったな」って言ってもらいたいし」
「選抜試験を受けると言っていたな」
「うん。近衛騎士になれるとは思ってないけど、全力でやって、その結果を兄貴に見せたい。『俺、1人でもやっていけてるぜ』って、顔を上げて言えるくらいには頑張りたい」
それは昼間の「届かなくていい」という話と矛盾するように見えるが―――ルベルドは矛盾だとは思わなかった。「兄上を超える」のではなく「自分が胸を張れる」ことを目標にしている。それはちゃんと、別の方向を向いている。
「それは、いい目標だ」
「本当か!?」
「兄上に勝つのではなく、自分に勝つことを目標にしている。それは正しい」
レインが湯のみを置いて、少し俯いた。
「……ルベルドって、なんかお前と話してると整理されるんだよな。頭の中が」
「俺は何もしていない。整理しているのはお前自身だ」
「俺が?」
「俺は聞いているだけだ。話しながら整理できるのはお前の力だ」
レインがまた少し黙った。それから「ありがとうな」と言った。
「今日は二回もありがとうを言った」
「これからも言うぞ。慣れろ」
「……慣れるよう努力する」
二人で笑った——いや、レインが笑って、ルベルドの口の端がわずかに動いた。それでもルベルトが笑ったことに変わりないだろう。




