104.しつこい
レオニードが戻ってきたのは一時間後だった。
荷物はほとんど持っていなかった。騎士団の装いから、旅に適した服装に変わっていた。
「先輩はどうした?」
「……今頃、私が外出したことを知った頃でしょう。追ってくる前に離れましょう」
「追ってくるのか」
「追ってくる。絶対に」
それが面倒なのか仕方ないと思っているのか判断できない口調でレオニードが言った。
「アレクセイ先輩は、私のことを心配してくれる方だから。学園にいた時から、何かと目をかけてくれて。今でも口を開けば『無茶をするな』と言う。良い先輩ではある。ただ……」
「融通が利かない、か」
「正解」
短い答えだった。ただ、どこか柔らかい言い方だった。
「先輩が俺を試したのは——俺がレオニード先輩とどういう関係かを確かめるためか」
「……おそらく。気にしないでください。あの人はそういう方ですから」
「……そうか」
二人で歩き始めた。
港を目指した。グアム島へ戻るための船を探しながら歩く。
レオニードが言った。
「神獣と向き合ったとのこと。どのような存在だったか言える?」
「表現が難しい。大きかった。体は生き物だが、それだけではない何かがあった。言葉は声ではなく意味として届く。そういう存在だ」
「怖かったりは」
「……怖いとは違う感触だった。圧倒的だという感覚はあった」
「そう。ルベルドがそう感じるか」
レオニードが少し考えるように目を向けた。
「私が嵐の神から加護をいただいた時も、怖いという言葉とは違うものを感じた。圧倒的、というのは近いと思う。神と比べると自分が小さいものだと感じた。でも拒絶された感じはしなかったな。見定めている、という感じで」
「神獣も似ている部分があった。見定めていた。ただ、俺とスルクが魔族だと分かった瞬間にその目が変わった」
「信用できないと」
「そう言われた」
「それでも条件を出してくれた。それは——希望があるということに他ならない」
(……確かに)
ルベルドはそれを言葉にしていなかった。言われてみると、そうだった。信用しないと一方的に言い切って終わりにするのではなく、条件を出した。それは対話の余地があるということだ。
「先輩がいれば、条件を満たせると思っているか」
「満たせると思っている。私はルベルドを信じていると言ったね。それは本当のこと。嘘をつく理由がないから」
「……ありがとう」
「お礼は神獣に認められてからにしよう」
レオニードが少し笑った。
港が見えてきた。
◆◇◆◇
ガルム島に戻ったのは夕方だった。
潮が引いて、洞窟への入り口が通れる時間帯になるまで、崖の上で待った。
レオニードが海を見ながら言った。
「この島、雰囲気がガルム島に似ている。加護を得た時の事を思い出すよ」
「同じ神域だからか」
「ただ、ガルム島とは空気が違う。重くなった、というか――嫌な感触」
「……それは、アダムが動いているからかもしれない」
「そう、そうかも」
潮が引いた。
二人で洞窟に入った。レオニードは水中の移動に慣れているらしく、淀みなく泳いだ。
神殿に出た時——スルクがそこにいた。
石畳の上に腰を下ろして、じっと待っていた。ルベルドたちの姿を見て、顔を上げた。
「遅かったな」
「色々あった」
「色々、か。お疲れ様」
スルクがレオニードを見た。レオニードもスルクを見た。
「……初めまして。スルクです」
「レオニード・クレインです。あなたが——」
「ルベルドの兄だよ」
スルクが軽く言った。
「話は聞いています。神域実習の時に助けてくれた、と。アダムから神を守るために動いている」
「端的に言えばそうです。アダムの思い通りにはさせないために」
「それは心強い」
レオニードがスルクを見た。その目が少し真剣になった。
「……あなたも、当然魔族ですよね」
「そうだよ」
「ルベルドと一緒に神獣に会いに行くつもりですか」
「そのつもりだけど——今回は俺はここで待とうかな。お前たち二人で行った方がいい」
(……スルクが控えるのか)
ルベルドは少し意外だった。
「スルク、理由はなんだ」
「神獣の条件は『信じ合える人間を連れてくること』だろう。その場に魔族が二人もいたら、バランスが悪いと思って。それに——レオニードさんと二人の方が、神獣に伝わりやすいと思う」
「……なるほど」
「俺はここで待ってる。さっさと行ってこい」
スルクが背を向けた。
ルベルドはレオニードと目を合わせた。
「行くか」
「はい」
二人で石畳を進んだ。
祭壇が近づいてくる。その傍の影——神獣は、またそこにいた。今度は最初から姿を現した状態で、二人を待っていた。
「——戻ってきたようだな」
「ああ。連れてきた」
ルベルドは隣に立つレオニードを示した。
神獣の目が、レオニードに向いた。
「——この者はお前を信じているか」
「信じています」
答えたのはレオニードだった。迷いのない声だった。
「——その言葉の重さを、示してみよ」
しばらく、何も起きなかった。
しかし——神獣の瞳の色が、少しだけ変わった。深くなった。その青色の中に、何かが宿った気がした。
「——見えた」
(……何が?)
ルベルドは神獣の言葉の意味を考えた。見えた、とは——二人の間にあるものが、見えた、ということか。証明しろと言ったのではなく、ただそれを「見た」という話か。
「——魔族よ。汝が神を守ろうとする理由を言え」
「コゴメという人間が、俺の傍にいる。組織は、コゴメを、そして神を狙っている。だから大切な存在のために神を守りたい」
「——それだけか」
「そうだ。それが理由だ」
神獣が動いた。
大きな体がゆっくりと傾いた——それが頭を下げる動作であることを、ルベルドは直感で理解した。
「——認めよう」
その言葉が空洞の中に響いた。
しかし——その瞬間に。
神殿の水面が揺れた。
水面から、何かが上がってきた。
人の形をしている。
黒い外套。顔を覆う布。腕に、刻印の紋様。
ルベルドはそれを見て、止まった。
(……ズームだ)
しかし——何かがおかしかった。
ズームはかつて見た時と違う。立っているのか倒れているのかも判別しにくいほど、体の軸がぶれていた。目の焦点が定まっていない。そして——
「……ころす。しんを、ころす」
声が、おかしかった。
本当の意味で感情がなかった。怒りも意志もなく、ただ言葉だけが繰り返されている。呟くような、独り言のような——それが何度も。
「……しんを、ころす。ころさなければ」
(……暴走しているのか)
ルベルドは素早く考えた。ズームは以前、図書棟で戦った時とは明らかに別物の状態だ。あの時のズームにはまだ意志があった。言葉があった。交渉の余地があった。
今のズームには、それがない。神経の全てに何かが刷り込まれ、他の何に入れる余地も無い。
「ルベルド」
レオニードが小声で言った。
「戦う準備はできてるかな」
「ああ」
「……私も同じ」
スルクがこちらを見ていた。しかし動く気配がない。観戦する気でいた。




