103.信用できる人
建物の前の広場で向かい合った。
アレクセイが剣を持ち構えた。風の魔力が周囲に漂い始める。乾いた空気が、少しずつ動いていた。
ルベルドは右手を前に出した。闇の魔力を集める。「見せられる強さ」の水準を、素早く考えた。今の力を全部出せばこの場では負けることはない。アレクセイという男は騎士団に所属する実力の持ち主。ルベルドの見立てではこの男はレオニードに強さは劣る。それでも学生が対等に戦うにはあまりにも強い。
(……中間を取る。認めてもらう事がこの試合における勝利だ)
「始めてもいいか」
アレクセイが問いかけてきた。
「ああ」
返事と同時に風が走った。
アレクセイの周りで旋風が起こる。そして右手に持たれた剣へと集約されていった。
ルベルドは様子見として闇の魔力弾をいくつかアレクセイへと放つ。それに剣が一振りされると――軌道が逸れ、そのまま消えた。剣の周りに巻いている風。それが剣の一振を突風へと昇華させた。
「次はこちらの攻撃だな」
アレクセイが再び剣を振り下ろした。そうして生み出されるのは風の刃。一閃、二閃、三閃と続けて。
ルベルドは二本を体を動かして躱し、三本目は闇の防壁を出して受けた。防壁は少し削れる程度にすんだ。しかし――後ずさりする。
「……衝撃が強いな」
思わず言葉が出た。防壁で防いだのにも関わらず押された。
「まだ余裕があるか」
「ある」
「次はやり方を変えてみようか」
風が変わった。剣をルベルドに向けたまま回す。それは単体の刃ではなく、渦を生み出した。空間ごと包み込むような風の圧力。それがルベルドへと向かってくる。足元を取られそうな感触だ。
(……これは、厄介だ。密度と方向の複合。まともに立っていられない。渦の方へ引き寄せられる)
それならば、とルベルドは後退せず前に踏み込んだ。
渦の中心に入り身を任せてしまえば風の流れに沿って体は吹き飛ばされる。それなら抗えばいい。常に気を張る必要も無い。この渦には圧力が逆に弱い点がある。龍巻のような形の魔法は、中心部の気圧が違う。
(そこを抜ける)
中心を通り抜けながら、闇の拘束魔法を足元に展開した。薄く、広く——足元を狙う。
アレクセイが跳んで、いや浮いて回避した。
空中での対応だ。風の魔法で自身を浮かせながら、上からルベルドに向けて風の刃を三発放つ。
(……上からか)
ルベルドは横に体を滑らせながら、上方向に闇の魔力弾を二発返した。
一発がアレクセイの腕に触れた。大きな衝撃ではない。しかし体勢を崩させるには十分だった。
アレクセイが着地した。膝が少しぶれた。
「……強い」
今度はアレクセイが言った。
「学園の問題児だとは聞いていたが、それだけじゃないみたいだな」
「問題児という評価は初めて聞いた」
「魔族が学園に入り込んでいたという話だ。問題児以外の何だと言う」
「それは——」
揺さぶりの質問。それにルベルドが反射的に答えようとした、その時。
「何をしているの」
声がした。
扉が開く。
レオニードだった。
制服ではなく騎士団の装いだ。青いマントではなく、グレーと白が混ざった実用的な服装。その腕に——小さな子どもを抱いていた。
三歳か四歳か。金色の巻き毛の、目の丸い小さな女の子だ。レオニードの服の襟をしっかり握って、きょろきょろと辺りを見ている。
「アレクセイ先輩、そしてルベルド」
レオニードはルベルドを見た。
驚いた様子はなかった。むしろ「来るかもしれない」と思っていたような、静かな目だった。
◆◇◆◇
広場が静かになった。
アレクセイがレオニードの方を向いた。その目が、明らかに変わった——厳しかった目が、ほんの一瞬だけ柔らかくなって、またすぐに表情を整えた。
「……レオニード。こいつはお前の弟子だと言っているが」
「そうです」
レオニードは間を置かずに答えた。
「ルベルド・コロールは、私が一年弱指導した生徒です。正真正銘、私の弟子であり……信頼できる人物です」
「信頼、か」
アレクセイの声に、複雑な色が混じった。
「今の学園で起きていることを知っているか。魔族が生徒の中にいたという話が——」
「知っています」
レオニードがきっぱりと言った。そしてルベルドの方を見た。
「……事情は大体、察しています」
(……やはり分かっていたか)
ルベルドは少し息を吐いた。
「アレクセイ先輩」
レオニードがガルドに向き直った。
「今日は私が対応します。ルベルドは私に用があって来た。それで間違いないですね」
「……ああ」
「分かりました。ありがとうございます、先輩」
レオニードの声は平静だった。しかし目は、はっきりとアレクセイに「下がってほしい」と言っていた。
その視線を受けてアレクセイが一歩後ろに引いた。納得した様子ではなかったが、反論もしなかった。
「……ルベルド」
レオニードが小声で言った。
「少し場所を変えましょう。先輩には聞かせないほうがいい内容が含まれていると思うので」
「そうだ」
「こっちへ」
腕に子どもを抱いたまま、レオニードが建物の裏手に回った。ルベルドが続く。
石塀に囲まれた小さな庭に出た。
レオニードが子どもを石の椅子に座らせた。
「ユーエ、少しここで待っていてね」
「——うん」
小さな子どもが頷いた。ユーエという名前らしい。目が大きく、表情がはっきりしている。じっとルベルドを見ていた。
「……この子が、祝福を受けた令嬢か」
「そうです。ユーエ様——ヴィオーヌ家のご令嬢で、まだ四歳。加護はありませんが、愛の女神の祝福を受けています」
(……コゴメと同じ祝福か」
ルベルドはユーエを見た。子どもはまだこちらを見ていた。怖がっていない。ただ、純粋に見ている。
「……ユーエ様はルベルドが何かが気になっているのでしょう」
レオニードが静かに言った。
「祝福を受けた方は、人の中にある何かを感じ取ることがあります。コゴメ様もそうでした。良いものも悪いものも、分け隔てなく」
「俺が魔族だということも」
「それも含めてなのかもしれない。でも——ユーエ様は怖がっていない」
(……そうだな)
ルベルドは少し目を細めた。
子どもが、小さく笑った。それだけでルベルドの胸はどこか温かくなる。
レオニードがルベルドに向き直った。
「それで。何があったか、教えてください
◆◇◆◇
ルベルドは話した。
廃砦での収穫。海底神殿の存在。神獣と向かい合ったこと。条件として「心から信じ合える人間を連れてくることが必要だ」と言われたこと。
レオニードは途中で遮らなかった。ただ静かに聞いていた。
「……スルクさんは今、神殿にいると」
「そうだ。俺一人で来た」
「分かりました」
レオニードが少し間を置いた。
「私に神殿に来てほしい、ということで合っているのかな」
「ああ」
「……ルベルド」
レオニードが、ルベルドをまっすぐに見た。
「正直に聞くけれど、君と私の間に——神獣が言った意味での、信頼があると思っている?」
「あると思っている。だから、それを決めるのは俺ではない」
レオニードが少し目を細めた。
それから、ほんの少しだけ口の端が上がった。
「ルベルドがそう言ってくれて私も嬉しいよ」
レオニードは膝の上で手を組んだ。それから真剣な顔でルベルドを見る。
「私はルベルドを信じているよ。師弟関係と言うにはあまりにも短い時間だったけれど——それだけの間に、君という人間をよく知れたと思っている。隠していたことはあったけれど、その事情も理解できる」
「……そうか」
「それにアダムの件についても、神域に眠っている神がアダムに殺されるかもしれないという話は、一騎士として放置できません」
「来てくれるか」
「もちろん。ただ——」
レオニードが腕を組んだ。
「アレクセイ先輩には話せそうにない。事情を話すと、必ず止めに来る方だから」
「……よく知っているんだな」
「長く世話をしたので。ユーエ様の護衛は、今日は別の騎士に引き継いでもらいます。あとは、うまくやります」
「うまくやる、というのは」
「先輩の目を盗む、という意味です」
レオニードが少し苦笑した。
「一度社会に出てみて分かったことがあって――師匠から教わったことは、学園を出ても役に立つ。そして、厄介な場面を乗り越える技術は、案外どこでも必要になる」
「……先輩に厄介な思いをさせているのは俺だな」
「まあ」
レオニードが笑った。
「でも、困った弟子ほど記憶に残るとも言う。そういうことにしておきましょう」
「……なんでそういう方向に持っていくんだ」
「気にしないで。さあ、少し時間をください。準備を整えてきます」
ルベルドはユーエを見た。子どもはまだ、こちらをじっと見ていた。
「……さっきから見ているな」
思わず言うと、ユーエが口を開いた。
「くらい」
「何が」
「め。くらい」
(……目が、暗い?)
ルベルドは少し止まった。
この子どもには見えるのかもしれない。ルベルドの目の色が、変化魔法で変えられていることが——あるいは変えられた下に、本来の深紅の色があることが。
「……そうかもしれない」
「でも、きれい」
ユーエが言った。
ルベルドは返す言葉が見つからなかった。




