101. 神獣
グアム島の南側の崖下に、海に向かって斜めに続く洞窟がある。
普段は海水が満ちているその洞窟が、特定の潮位の時間帯だけ通路として機能する。それでも大半は水中だ。
「普通の人間には無理な道だな」
スルクが洞窟の入り口を見ながら言った。低い岩壁の向こうに海が広がり、波が静かに岩を洗っている。朝の光が海面に反射してきらきらと揺れていた。
「水中を長く移動するには魔法の訓練が要る」
「こういうのを使えば楽だぜ」
はにかむよう笑ってからスルクが手を上げた。指先から薄い光の膜が広がった。空気を包み込むような、柔らかい魔力の層がボール状に膨らみスルクの身体を覆った。
「これがあれば水中でも呼吸できる。ルベルトの分も作ってあげるけど——」
「俺は必要ない。……第一、魔族は水中での滞在に耐性があるだろう」
「そうか。こっちの方が面白いと思うけど」
「何が起こるか分からない。少しでも魔力ら温存したい」
二人で洞窟に入った。
最初の十メートルほどは空気があった。しかし天井が徐々に低くなり、足元の水位が上がってくる。やがて完全に水中になった。
(……静かだ)
水の中で、音が変わった。外の波の音が遠くなり、深い沈黙が迫ってくる。光は差し込んでいたが奥に進むほど薄くなった。
ルベルドは闇の魔力を指先に灯した。以前、洞窟で子どもを助けた時に使ったのと同じ発光の技術だ。光が青白く水中に広がった。
(……どれだけ深くなるのか)
スルクが先を進む。迷いなく泳いでいた。道を知っているのだろう。
しばらくして壁面に薄く発光する何かが現れた。苔のような、発光する微小な生き物だろうか。海底に生息する種類のものか——青白い光が、水に濡れた岩を弱く照らしていた。
「……綺麗だな」
スルクが小声で言った。
ルベルドも心の中で認めた。
そうして三分ほど水中を進んだところで、急に通路が広がった。上に向かって空間が開ける。
顔を出すと——空気があった。
海底神殿、と呼ばれる場所がそこにあった。
石の柱が四本、天井を支えている。柱には細かな紋様が刻まれており、それが暖かな緑色の光を放っている。床は滑らかな石版、中央には石の台がある。その上には何も置かれていないが、古い供え物の痕跡が残っていた。
天井の一部が空洞になっており、そこから水面に光が差し込んでいる。青白い水の反射が神殿全体を揺らしながら照らしている。
(……ここが神域)
神の在る場所が持つ独特の空気——魔力の密度が肌で感じ取れるほど高い。
水から上がった。
ただ——
それだけではなかった。
(……何かが、俺たちを見ている)
ルベルドは足を止めた。スルクも同じタイミングで立ち止まった。
祭壇の傍に、影があった。
それは岩と同じ色をしていた。最初は岩の一部かと思った。しかし、動いた。そしてゆっくと首を持ち上げる。
――大きい。その一言に全てが集約される。
全長は正確には分からない。神殿奥から祭壇まだその体が伸びている。表面は鱗で覆われており、鱗の一つひとつに発光する模様が走っている。頭部は幅広く、目が二つ、静かにこちらを覗いていた。目の色は――深い青。
ルベルドはその目と、一瞬だけ視線を合わせた。
(……見られている。全部が、見えているのかもしれない)
神獣が口を開かなかった。声もなかった。しかし——言葉が、届いた。言語として聞こえるのではない。意味として、直接理解できた。
そういうやり取りの仕方をする存在なのだと分かった。
「——なぜここへ来た」
スルクが前に出た。
「神を守りに来た。アダムという組織が、神を殺そうとしている。それを止めるために、神に深く眠りについてもらいたい」
神獣は動かなかった。
「——お前たちの世界を言え」
「魔界だ」
短い沈黙の後、重い返事がくる。
「——魔族が、神を守ると言う」
「そうだ」
「——その言葉は、信じるには足りない」
言葉は静かだった。拒絶の色があった。怒りではない。ただそう判断された。
(……想定していたことだ)
ルベルドは少し前に出た。
「俺たちが嘘をついていないことを示す方法があるなら、言ってほしい」
神獣の瞳がルベルドの方を向いた。
「——示す方法はある」
「何だ」
「——お前たちを、心から信じる人間を連れてくることだ。魔族と人間の間に、本物の信頼があるなら——それを信じる理由にできる」
神獣はそれだけ言って、また動かなくなった。




