100.潜入
サリム山を下りてから二日が経った。
アップが言っていた廃砦は、山の神域からさらに北東に向かった先にある。地図上では小さな印しかない場所だが、スルクがすでに正確な位置を把握していた。
「以前から目をつけていた場所ではあった」
スルクが馬を進めながら言った。
「アダムの動きを追っていると、この廃砦の周辺を通る人間が何人かいた。行き来のパターンが一定だった。情報の集積拠点として使っているのは間違いない」
ルベルドは頷いた。
「だとすれば、廃砦で得られる情報は——組織の構造か」
「そうだね。ただ、それだけでも価値はある。どの程度の規模か、誰が動いているか、どこを警戒しているか。それが分かれば、次の動き方が変わる」
街道を外れた未舗装の道を、馬が進んだ。木々が密度を増して、日差しが斜めになってきた。
廃砦が見えてきたのは、それから半刻後だった。
石造りの廃砦だった。かつては何かの軍事拠点だったのか、石壁の一部が残っている。屋根は崩れており、外から見れば廃墟そのものだ。しかし近づくにつれて、ルベルドには分かった。
(……人の気配がある)
二人がいる。あるいは三人。廃砦の中の、どこかに。漏れ出る歪な気配からも分かる通り、一般人ではない。
「入り口はどこだ」
「正面は罠がある可能性が高い。裏の崩れた石壁から入った方がいい」
スルクが先導した。
廃砦の裏手に回ると、確かに石壁の一部が崩落して隙間ができていた。人一人が通れるくらいの幅だ。長年の風化によるものと、意図的に崩したものが混ざっているように見えた。
「入る前に確認しておく」
スルクが小声で言った。
「中にいる人間は二人。後ろの部屋に一人、中央の部屋に一人。今の配置なら、二人が同時に動いてくるまでに少し間がある。ただ声を上げられると周囲に知らせる可能性があるから、静かに処理したい」
「どうする」
「気絶させる程度で。すぐに終わらせよう」
「分かった」
隙間を抜けて、廃砦の内部に入った。
◆◇◆◇
内部は思ったより広かった。
石の床に、積み上げられた木箱。角の棚には書類が束ねられている。油の燃えた後の臭い——ランプが最近まで使われていた痕跡だ。日常的に使われている拠点だと分かる。
スルクが示した方向に、気配が一つあった。
ルベルドは音を立てずに近づいた。石の角を曲がった先に、男が一人いた。書類を確認している様子だった。年齢は二十代前半、外套を着て、腰に短剣を下げている。
ルベルドは闇の魔力を最小限に絞った。一点に集中させた衝撃。頭部に当てれば気絶する。
男が振り返るよりも速く、放った。
男が崩れ落ちる瞬間に床に闇魔法の沼を発生させ音を殺した。
もう一人はスルクが処理した。戻ってきた時には、スルクが何事もなかったような顔をして立っていた。
「終わった」
「よくやった。優秀だ」
「敵が弱かっただけだ」
小さく会話をしてから机の上にまとめられた書類の束に目を向け、ルベルドは順番に確認した。
大半はアダムの内部文書だった。集会の日程、資材の移動記録、各地の神域の場所と現状を記した報告書。それだけでも組織の規模が分かった。
(……想定より広い活動圏だ)
報告書には十以上の神域名が記されていた。ガルム島は「目標達成済み・次段階調査中」とある。サリム山の神域は「番人あり・要戦力」とある。
ルベルドはさらに奥の棚を確認した。
そこに、別の種類の書類があった。
表紙に「警戒対象一覧」と書かれていた。
それと——「実験記録・断片」という表題の一枚の紙。
どちらもルベルドは手にした。
「それは後で見よう。長居は都合が悪くなるかもしれない」
スルクが小さく言った。それにルベルドが頷くと二人で足早に廃砦を後にした。木立の中を五分ほど歩いてから、スルクが足を止める。
「ここでいいか」
「ああ」
書類を広げた。
一枚目——「警戒対象一覧」。
最上位に記された名前は、二つだった。
一つ目は「S(男・魔族・一級警戒)」。写真も詳細な特徴もない。ただ短い注記が添えられていた。「接触厳禁。組織の行動パターンを把握している可能性あり。出没情報は即刻上位へ報告せよ」。
「……俺か。一級警戒だなんて光栄だな」
「喜んでいる場合ではない」
二つ目は「卒業生・元特別近衛騎士・L(女・雷属性・加護持ち・現騎士団所属)」。こちらには少し詳細があった。「学園での選抜試験に複数回関与。現在は騎士団に所属し幼い祝福受領者の護衛に当たる。祝福受領者への接近は危険を伴う可能性あり。監視継続」。
(……Lはレオニードか)
ルベルドは少し目を細めた。
「レオニード先輩が把握されている。それと——幼い祝福受領者の護衛に当たると書いてある」
「へえ。お前の先輩さん、学園を出た後はそういう仕事をしているのか」
「……知らなかった」
続けて読んだ。
クロード・アルバ。エレナ・フォルテ。セン・ヴァルト——学園の卒業生近衛騎士たちの名前が並んでいた。それぞれに魔法属性と特性の注記がある。誰が最も戦力として脅威か、誰を優先的に牽制するか——そういう観点でまとめられた資料だった。
続いて「実験記録・断片(八月〜十月)」という一枚を広げた。
数値と短い記述の羅列だった。「祝福血液・採取成功」「試料適合率・高」「発動条件の解析——」。そこで文章が途切れ、次の行に「詳細は中央へ転送済み」とだけあった。
(……コゴメの血だ)
ルベルドの指が一瞬止まった。
図書棟で起きたことを思い出した。男がコゴメの腕に針を刺した。あの時に採取されたものの記録がここに残っている。発動条件の解析、とあった。何を発動させるつもりなのかは書かれていない。詳細は中央——つまり組織には中枢機関と呼べる場所があると考えていいだろう。
「……やはり、女神の祝福は特別な何かがある。スルクはそれが何かわかるか」
「詳しい事は分からない。アップと戦ったルベルドの方が違いはよく分かるんじゃないか」
スルクに言われてルベルドは先日の事を回顧する。
(……改良された刻印を使った時神に近い力を感じた。祝福は加護よりも神と密接な力を持っている)
それがルベルドの答えであったが、コゴメが持つ特殊な力を知らない。
回復魔法が得意なのもコゴメ自身の才能。
ただコゴメの血に何か価値がある事はさっきの資料を見る限り間違いない。
「コゴメの血で何かをしようとしている。それだけは確かだ。分かっていれば対処の判断ができる。知らないままより、はるかにましだ」
「そうだな」
木立の間を歩きながら、スルクが言った。
「創設者の情報は」
「なかった。それと、上位構成員のリストも記号と番号だけで実名は書かれていなかった。Zという記号が二位執行者として記されていた。ズームだろう。その上の一位執行者の欄は空白だった」
「空白か」
「この拠点の人間には、一位執行者の情報が与えられていないということだと思う」
「……組織の機密の扱い方としては普通だな。上位に行くほど情報が絞られる仕組みになっている」
「アップもそう言っていた」
スルクが少し間を置いた。
「まあ、十分な収穫だ。レオニードさんが把握されているのは重要な情報だし、コゴメさんの血について分かったのも大事だ。——次は神殿だ」
「ああ」
スルクが空を見た。朝の光が高くなっていた。
「グアム島の海底に眠っている神に休眠してもらう。アダムが動いている今、いつ神殿に刃が届くか分からない。俺たちが動ける間に動く方がいい」
「……分かっている」
「急ごう」
二人で歩き出した。
廃砦は後ろに遠くなっていった。




