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魔王リライト  作者: ゆずリンゴ


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93.山の神域

 サリム山の麓は、静かだった。


 村が一つある。石造りの家が十数軒、岩肌に寄り添うように建っている。住人は皆老人か子供で、若い者の姿がほとんどない。山の民の暮らしは厳しいのだと、景色を見れば分かった。


 馬をつないで、二人は山道に入った。

 入ってすぐの所で黒い服の顔を隠した男が現れるとルベルドは警戒したが先にスルクが動いた。そのまま何か話をすると去ったのを見るにあれがスルクの言っていた仲間なのだろう。


「少し急ごうか」


 スルクがそう言うとルベルドは黙って頷いた。山を登り始める。夏の名残を残した陽の光が、木々の間を斜めに差している。秋の入口の山は、葉の色が変わり始めていた。緑と黄と赤が混ざり合い、踏んだ落ち葉が乾いた音を立てた。


「……静かな山だ」


 ルベルドが言った。ガルム島の神域に行った時とはまた違う感想を抱いた。海に感じたのが「広大さの果ての静けさ」なら、山には「歴史の積み重なった偉大さ」とでも言えばいいか。長い年月をかけて積み重なった、何かの重みが空気に混じっている。


「感じるか」


 スルクが隣を歩きながら言った。


「神の気配か」


「そうだよ。ここの神は姿は表してないけどまだ起きてる。随分ゆっくりとした、呑気な感じがする。人間に心を開いているのか、落ち着いた神なのかな」


(……確かに、ある)


 薄く、しかし確実にある。岩や木々そのものが何かを蓄えているような重さ。足元の土が、ただの土ではないような感触。山を登っている間優しく包まれるように安心できた。


 半刻ほど登った頃に、スルクが足を止めた。


「ルベルド」


 低く言った。いつもの軽い声とは違う。


「……気配がある」


「俺も感じた」


 二人が同時に止まった。


 山道が開ける手前、岩の陰から声が聞こえてきた。言葉としてではなく、声の調子だけが届いてくる。穏やかに語りかけるような声。


 スルクが手で合図した。静かに、岩を迂回して近づく。


 岩陰を回り込んだ先に——古い祠があった。


 小さかった。木造の、苔の生えた屋根。石の台座に古い彫刻が刻まれている。山の民が代々使ってきた場所だということは、その使い込まれた様子から分かった。


 祠の前に、二人がいた。


 一人は祠に向かって立ち、何かを語りかけている。声の主は男だった。


 背が高く、体格が良い。黒い外套を纏っているが、その着こなし方が他のアダムの構成員とは違う。外套の合わせ目が精巧に縫われていて、随所に細かな装飾がある。黒の中に銀の糸が走っていた。髪は明るい栗色で、丁寧に整えられている。横顔が見えた——端正な顔だった。目元が切れ長で、鼻筋が通っている。年は二十前後だろうか。


 もう一人は祠の脇に立って、腕を組んでいた。


 女だった。年齢はルベルドとさほど変わらない、十六か十七かそのくらい。白い装束を纏っており、黒髪が腰の下まで伸びている。目は静かで、じっと男を見ていた。不機嫌、とも言い切れないが、歓迎はしていない。ただ淡々と、その場にいた。


(……あれが巫女か)


 ルベルドは瞬時に判断した。女——ノクタール・サリアは山の神域の番人だ。男の方は言わずもがな、アダムの者だ。


「お願いします」


 男の声が届いた。思ったより柔らかかった。


「俺たちは神を否定したいわけじゃない。ただ神に選ばれなかった人間にも、力を持つ権利があると思っているです。それを証明するためだけに、少し力を分けてほしいんです。あなたが守っているお方に、少しだけお話をする時間をくれませんか?」


「断る」


 ノクタールが淡々とした声で言った。どこか気が強いような印象を受ける。


「この山の神との面会を促す許可は、私にはない。会えるのは神が認めてくださった場合のみ。たとえ理由がどれほど正当であっても、勝手に動かすことはできない」


「でも――」


「どれほど言葉を重ねても、答えは変わらない。お引き取り願う」


 男が少し間を置いた。


「……分かりました」


 諦めた声のように聞こえた。しかし、ルベルドには違う何かが見えた。


 その男が、ほんの少しだけ動いた。祠から視線を外し——こちらに向けた。


 岩陰に立つ二人の方を。


(……気づいているか)


「ああ、そうだ」


 男が声を上げた。今度は明らかにこちらに向けた声だった。


「隠れていないで出てきたらどうです。見えていますよ」


 スルクが少し口の端を動かした。それからルベルドに向かって「見つかったか」と小声で言い、岩陰から歩き出た。ルベルドも続いた。


 祠の前に立った男は、二人を見て笑った。


 美しい笑顔だった。整った顔に、完璧に計算されたような笑みを貼り付けている。自分の笑顔が人に与える効果を、完全に理解しているのだ。


「やあ。珍しい顔ぶれですね」


 軽い声だった。警戒はしているようだが、それを表に出さない。


「俺の名前はアップ。アダムの上位構成員です。貴方たちは?」


「なに、ただの通りすがりだ」


 スルクが言った。


「通りすがりが来る場所じゃありませんよ。ここは俺たちも用があってね。……邪魔してもらっては困る」


「邪魔、とは心外だな。それに君がどれだけ待ったとしても神様には会えないよ」


 スルクが肩を竦めて言うとアップが少し眉を上げた。笑顔は崩れない。


「俺はただ、この山の方に話しかけていただけです。元より簡単に神に出会えるとは考えていない。たとえ神が姿を表さずとも構いません。それに——」


 その目が、鋭くなった。


「あなたたちの方こそ、少し説明が必要ではないですか」


 アップがノクタールの方を向いた。


「巫女様」


 声が変わった。少し急いでいるような。いや、実際に急いでいるのではなく——そういう演技だ。


「この二人は、人間ではありません。魔族の者です。魔界から来たんです」


 ノクタールの目が、少し変わった。


「……それは真ですか。確かめる手段は」


「その目を見てください。光の当たり方が人間と違う。魔族の者は目の奥に、人間の光源では説明できない反射があるのです」


(……こいつ、知識がある)


 ルベルドは内心で認めた。確かに、魔族の目の特性を正確に把握している。


「彼らがここに来た理由は一つです。この山の神を殺すために来た。加護の源を断ち切ることで、人間界の力の根底を崩す。それがアダムの——いや、魔族の目的です。この神域は、今危険にさらされている」


 嘘をつくな――とルベルドは思った。思ったが、声に出す前に、ノクタールが動いた。


 祠の脇に置いてあった長杖を取り上げ、二人の方に向けた。


 杖の先端に、淡い光が灯る。


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