第十九話:アルコール依存症
「おかえりなさい」
車へ戻ってきた俺をドアを開けて迎え入れた見越が、若干おどけたような口調で笑いかけてきた。
「いや、お待たせしてしまってすみません。従業員の人、一人で夜勤やらされてるんですかね。仕事とは言え、こんな所に一晩中いさせられるのもちょっと可哀想だなぁ」
ガサガサと音を鳴らしながらレジ袋を座席へ置き自分も車へ乗り込むと、俺は自分が出てきたばかりのコンビニへ顔を向けた。
レジに立つ男が、何を考えているのかわからない表情をしたままこちらを見つめているのがわかり、少しだけ気持ちの悪い人だと胸中で評価をする。
「深夜はトラック乗りの方が結構来ますから、それほど寂しくはないと思いますよ。それに、暇であれば楽にお金が稼げてラッキーと思っているかもしれませんし、悪いことばかりでもないのでしょう」
「まぁ、夜勤の方が給料は高いですからね。恐いとか寂しいとか考えないタイプの人からすれば、確かに魅力のある職場なんでしょうけど……強盗でも入られたら、ひとたまりもないと思いますよ。警察だってそんなすぐには駆けつけられないでしょうし。近くに交番とかあるのかな」
「いやぁ……この近辺にはなかったはずですねぇ。言われれば確かに、事件ではないにせよ、火事などが発生した場合も迅速な対応は難しい環境かもしれませんね」
車が動きだし、徐行しながら駐車場を後にする。
再び景色の窺えない暗い空間に飲み込まれ、車はより闇の深淵へと向かい落ち始めた。
ここから先は終始こんな風景が続くのだろう。
そう思いながら買ってきた物をリュックの中へしまおうとすると、からかうような調子で見越が声を放ってきた。
「お酒でも買われたんですか?」
「え? いや、まさか。さすがにこれから夜の廃墟へ出向くっていうのに、アルコールの摂取なんてできませんよ。そういうのは、家に帰って落ちついてから一人でゆっくり堪能したい派です」
「そうですか。てっきり、この先で晩餐でもするつもりなのかなと」
お互いの笑い声が車内に広がり、透過するようにして外へ漏れて消えていく。
路面が悪いのか、ガタンと一度大きく車体が縦に揺れ、ほんの一瞬だけ尻の浮くような感覚を味わった。
その刹那の衝撃が空気を切り替えるスイッチにでもなったかのように俺たちの笑い声が途切れ、代わりにトーンを落とした見越の声が、会話を引き継ぐように話を続けてきた。
「そうそう、お酒と言えばアルコール依存症という言葉をご存じですか?」
「ええ、それくらいはもちろん。あまり良いイメージはありませんけど」
酒を飲まないと身体の震えが止まらない。そんな風になるまで酒を飲み続け身体を駄目にした人間に密着したドキュメンタリー番組を、以前観たことがある。
こんなになるまで酒を飲むなんて金の無駄だなと、そんなズレた感想を抱いた記憶が今も残っている。
「量をわきまえて摂取すれば、お酒も美味しく楽しめるのですが。やはりどんなものでも限度を超えると駄目ですね。過去に、アルコール依存症になってしまい最後には肝臓を壊して他界したという父を持つ方のお話を聞いたことがありまして。やはり、依存までしてしまうと死後もお酒を求めてしまう方もいるのかと、そんなことを考えてしまったんですが……ちょっと、このお話もお聞かせしましょうか」
そんな長い前置きをして、見越はヘッドライトだけが照らす闇を見つめたまま、微かに口元へ笑みを作った。
◇◆◇◆◇◆◇
五十代くらいのその女性は、二十年程前にお父さんを病気で亡くしたそうです。
死因は肝硬変。十年以上、毎日のように多量のアルコールを摂取し続けた生活の末路でした。
正直、お父さんが亡くなっても家族は誰も悲しむことはせず、むしろ全員がホッとしたくらいだったと。
と言うのも、毎日浴びるようにお酒を飲んでは大声を出したり暴れたり、突然泣きだしてみたりと、家族も全員が終わりのない父親の身勝手さに辟易していたそうで。
やっと家の中が平和になる。
そんな安寧な気持ちを抱きながら葬儀を終え、初七日も過ぎて普段の生活を取り戻しかけた頃、家の中でおかしな現象が起こり始めた。
毎晩、ちょうど日付が変わるくらいの時刻になると、台所の方からカサカサと何やら小さな物音が聞こえてくる。
最初の二、三日は家族の誰かが起きてきて、冷蔵庫でも開けているのかなと、そんな風に考えて気に留めずにいたそうなのですが、さすがにそれが一週間も続くと不審に思えてきて、その方は食事の席で家族たちに問いかけてみたのだそうです。
「そう言えば最近、夜の十二時くらいになると誰か台所で何かしてるよね? あれ誰なの?」
そんな風に家族たちを見回しながら訊ねてみると、問われた家族はお互いを探るように目配せし合い、全員が「自分ではない」と首を横へと振った。
その物音は女性以外も家族全員が聞いていて、皆一様に不審に思ってはいたというのです。
誰かが嘘を言っているようには思えないし、いちいち嘘を言う理由も思いつかない。
それではいったい、あの夜に聞こえてくる物音は何なのか。
季節は初冬であったそうですが、ネズミかゴキブリでも潜んでいるのかとそんな結論をその場では下して、曖昧な気分のまま話を終えたそうなのですが、やはり女性は納得ができなかったんですね。
家族が犯人じゃないのなら、その正体は何なのか。
はっきりさせないことにはどうにも落ち着くことができない。
そう考えて、女性はその日の夜に音の出処を確かめてやろうと、そう決意したのだそうです。
そうして、夜になり家族が寝静まった深夜の零時。
部屋の中でジッと息を潜めて音が聞こえるのを待ち構えていた女性は、日付が変わって間もなくに、例のカサカサと何かを物色するような物音を聞き取った。
意を決し、そっと部屋を抜け出し台所へ向かうと、やはり謎の音はそこから聞こえてきていたようで、よりはっきりと聞き取ることができる。
すぐに電気を点けるのも恐く、ジッと入口から耳と目を澄まして様子を探っていると、暗闇に慣れてきた目が壁際に設置された棚の前に何か黒い塊が屈み込んでいるのを捉えた。
その大きさから、どう見てもネズミや虫といったものではないのは明らか。
大声を出して家族を呼ぼうかと思うも、その瞬間にこの何かが動きだしたらと想像すると恐くて声が出せない。
暫しその場に立ち尽くし、その何かがカサカサと音を鳴らしているのを聞いていた女性は、やがて勇気を振り絞って側の壁に設置されていた電気のスイッチへ手を伸ばし、明りを点けた。
その瞬間、その方はハッと息を飲んだそうです。
台所の電気が灯された一瞬、その物音を立てていたモノの正体が露わになったのだそうですが、それ、亡くなったばかりの自分のお父さんだったそうで。
生前よく着ていた白いよれたTシャツに、橙色の薄いパジャマ用のズボン姿の、半透明になったお父さんの背中がそこに見え、まるで電気の明かりに掻き消されるようにしてすぐに見えなくなってしまったのだと、そう仰りました。
……翌朝、このことを家族へ伝えると、母親が
「あの人、死んでもまだお酒飲むつもりでいるのかしら」
とあからさまに嫌そうな顔をして呟き、それを聞いて女性も(ああ、そうか)と、お父さんが現れていたことに納得した。
そのお父さんがいた場所、普段飲んでいたお酒を常備している所だったんですね。
さすがに亡くなった後は誰も飲まないからと全て処分されていたそうなのですが、それでお父さん、なくなったお酒を探して毎晩現れていたんだなと、そう気がついたのだそうで。
因みに、このお父さんの気配は四十九日が終わるまでほぼ毎晩のように現れ、その後は成仏をしたのか、一切物音を立てることはなくなったそうです。




