第十三話:夕立に見たもの
「このお話は結局、本当にご両親が夢の中へ現れたのか、男性が精神的に疲れ果てていたのが原因で見た、ただの夢であったのかは、誰にもわからないことではありますがね」
静かにそう締めくくった見越は、同じように静かにブレーキを踏み赤信号の前で車を停止させた。
外を見れば、数分前までとは明らかに景色が変わり始め、人工的な光も建築物も極端に少なくなってしまっていた。
町中から出て、郊外に移動し始めたということだろう。
「今の話程ではないですが、俺も中学の頃に一度だけすぐ側から誰かに名前を呼ばれたような気がして、驚きながら目を覚ました経験があるんですけど、ああいうのって目覚めた直後はすごく混乱するんですよね。夢なのか、実際に何かが側にいるのか、よくわからなくて無性に不安になるというか。それが
夜中だったりなんかしたら、結構恐怖心も湧いてくるし」
夜闇の中に建物のシルエットだけが浮かぶだけの景色から目を逸らし、俺が学生の頃を思い返しながらそう言うと、見越は「ありますねぇ」と同意するように首を縦に振ってきた。
「そういうのは、私だって何度か経験していますよ。脳が寝ぼけているから、余計に混乱したり不安を感じたりもするのかもしれませんね。朝になって改めて起きてから思い返すと、大したことでもなかったなと思えることが大半なのですが」
「そうそう、さっきはあんなに恐く感じたのに、時間を置いて冷静に振り返るとそうでもないじゃんかってね。あれは何なんでしょうね」
笑いながら言葉を返し、信号が変わって再び動き出した車の振動に身を預ける。
「よく見えないですけど、この辺りは田んぼが多くなっていますか? 建物も少なってきてますよね?」
「ええ、田畑が多いですかね。何だかんだと言って、田舎ですから。ちょっと走ればすぐにこういう場所へ出てしまいますよ。都会などに暮らす人にとっては、山が見えてその下に田園が広がる風景というものは癒しのように映るのかもしれませんが、現地で暮らしていると若い人なんかはつまらないと感じる方がほとんどで。農地の管理も重労働ですしね」
「わかります。田舎暮らしが快適とか、隣の芝生は青く見えるって言葉に当て嵌まりますよね。田んぼや土地の管理って、本当にキツイですから。叔父の家が農業をやっていて、手伝いをしたことが何度かあるんですけど、あれは、ちょっと……いくら仕事とはいえよくできるなと感心させられました。こっちは慣れない重労働で、身体中が筋肉痛になったし」
学生時代の春休みや夏休みに、父親の命令で叔父の家の手伝いを無賃でやらされていたことがあったが、あれは心底うんざりだった。
あれほど広い敷地をほとんど家族だけで管理するのだから、農家だけはやりたくないと誓ったし、今だって手伝いを頼まれたら丁重に断りたいくらいだ。
ただ、一つだけ自分にとって収穫があったなと思えたのは、その叔父から面白い話を聞かせてもらえたことくらいだろうか。
「そうそう、俺、その叔父の家で手伝いをしている時に、一つだけ恐い話を聞かせてもらったことがあるんですよ。叔父の幼馴染で、子供の頃はよく一緒に遊んでたっていう男の人が体験して教えてくれたらしい話なんですけど」
せっかく思い出したのだし、披露しようかと思いそう告げると、見越は
「ほう、田舎の怪談ですか? 情緒がありそうですね。よろしければ、お聞かせください」
と言って、微かに身体を揺らした。
「これはですね、叔父の住んでいる町……と言っても、見た目は村みたいな場所なんですけど、そこで叔父の幼馴染が体験した話です」
改めて前置きをして、俺は当時交わした叔父との会話を思い出しながら、ゆっくりと話を始めた。
◇◆◇◆◇◆◇
叔父が小学生の時、近所に住んでいた幼馴染の男子が家に遊びに訪れ、「おれこの間、すげぇ恐い体験したんだよ」と、どこか自慢げに自らが遭遇した出来事を語りだした。
その時は夏休みの最中で、梅雨が明けて間もない時期だったといいます。
幼馴染は叔父と同じ年の男子で、不思議な出来事に遭遇したというその日の夕方、親に頼まれて親戚の家へ届け物をさせられていた。
親戚の家は遠くはないが近くもない。自転車を持っていなかった幼馴染は、仕方なく徒歩で移動をしていたのですが、その途中、突然の夕立に襲われ、近くにあったバス停の小屋で雨宿りをする羽目になったのだそうです。
雨は瞬く間に視界が霞むほどにまでに強くなってしまい、幼馴染は仕方なく誰もいないバス停で雨が止むまで待機することを決めました。
たぶん、夕立だからすぐに止むだろう。
そう高を括って、ぼんやりと空を眺めて時間を潰していると、不意に道の先から誰かが歩いてくる輪郭が見えてきた。
あ、誰か来た。
内心、少し心細くなっていた幼馴染は、現れた人の姿に安堵しかけたものの、その姿が近づいてくるにつれ何かがおかしいことに気がついた。
こんな豪雨なのに、あの人傘をさしてない。それに、一人じゃないような
……。
突然の雨ですから、自分のように傘を持っていなかっただけかもしれない。雨宿りする場所も見つからず、開き直ってずぶ濡れになりながら歩いているのだろうか。
そう思いかけながら近づいてくる人を見ていると、どうやら歩いているのは一人ではなく、先頭を歩く人物の後ろに、何人もの人が行列になってついてきているのがわかった。
ゆっくりとした足取りで近づいてきたその人たちは、全員が喪服のような黒い服を着ていて、それが数十人、一列になって歩いているという、何とも異様な雰囲気を放つ集団だった。
それらが皆、傘もささずに俯きながら呆然と見つめる幼馴染の前を通り過ぎていく。
やがてその長い行列が視界から見えなくなると、まるでそのタイミングを計っていたかのように、ずっと降り続いていた豪雨がピタリと止み、オレンジに染まった夕暮れの空が広がり始めた。
あの人たちは誰だったんだろう。家に帰ったら親に訊いてみよう。
それからすぐに用事を済ませ家に帰った幼馴染は、早速親に自分の見た謎の集団について訊ねてみたものの、親は不思議そうに首を傾げて「そんなことをする人たち、この辺では見たことないな」と、呟かれただけだったそうです。
ただ、この日から僅か数日後、幼馴染の近所に住んでいた老人が亡くなったそうで、ひょっとしたら夕立の中を歩いていたあの喪服の集団は、死期の近い人を迎えに訪れた異界の存在だったんじゃないかと、叔父や他の友人たちの間では暫く話題になったのだと言っていました。




